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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第二章

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第28話 届かなかった写し

 送付簿は、家政部の地下書庫にあった。


 地下といっても、暗くはない。


 壁際に灯りが並び、湿気を逃がすための細い窓もある。


 紙を守るための部屋だった。


 少なくとも、そういう顔をしている。


「北部再建費の送付記録は、この棚です」


 モーリス様が一番奥の棚を示した。


 棚には、年月ごとに帳簿が並んでいる。


 表紙には、家政部受付簿、会計室送付簿、領地報告受領簿。


 名前は違う。


 けれど、どれも「誰が何を受け取ったか」を残すための紙だった。


 私は少し安心した。


 人は嘘をつく。


 でも、同じ嘘を三つの帳簿に合わせて残すのは、少し難しい。


「三年前の洪水後から確認します」


 私は机に帳簿を並べた。


 一冊目。


 家政部受付簿。


 二冊目。


 会計室送付簿。


 三冊目。


 領地報告受領簿。


 アデライン様は私の向かいに座った。


 黒に近い青の外套は脱いでいた。


 それでも、背筋は崩れない。


 昨日見つかった先代公爵の指示控えは、白布に包まれて机の横に置かれている。


『アデラインにも写しを送付すること』


 短い指示だった。


 だからこそ、言い逃れは難しい。


「まず、家政部です」


 私は頁をめくった。


 北部三村洪水被害報告。


 受領日。

 差出人。

 書類番号。

 写し作成数。


 写しは四部。


 家政部。

 会計室。

 北部代官所。

 アデライン・ロシュフォード。


 記載はある。


「ここでは、アデライン様宛の写しが作られています」


 モーリス様が帳簿を覗き込む。


「担当者印もございます」


 担当者は、当時の家政書記。


 すでに退職している。


 ただ、押印は正式なものだった。


「次を」


 アデライン様が言った。


 私は会計室送付簿を開いた。


 同じ書類番号を探す。


 あった。


 北部三村再建費支出報告。


 家政部から受領。

 会計室確認済。

 写し一部をアデライン・ロシュフォード様付き書記へ送付。


 送付日も書いてある。


「ここまでは進んでいます」


 私は言った。


「送付先は、当時の私の控え室ね」


「はい」


 アデライン様は帳簿を見た。


「受領者は?」


「次で確認します」


 三冊目。


 領地報告受領簿。


 これは、アデライン様付きの書記室が受け取った書類を記録するものだ。


 王宮へ向けた婚約準備が本格化する前、アデライン様には公爵家内に小さな執務室があった。


 そこへ届く領地報告も、この帳簿に残る。


 頁をめくる。


 日付を追う。


 書類番号を探す。


 ない。


 もう一度見る。


 その前後の日付には、税収報告、農作物見通し、地方裁判記録。


 北部再建費だけがない。


「受領記録がありません」


 私は言った。


 アデライン様は、すぐには答えなかった。


 モーリス様が帳簿を受け取り、自分でも確認する。


「たしかに、ございません」


「送付済みなのに、受領されていない」


 私は二冊の帳簿を並べた。


 会計室では送った。


 アデライン様付き書記室では受け取っていない。


 途中で止まった。


「送付経路は?」


 アデライン様が問う。


「会計室から家政部の内便を使います」


 モーリス様が答えた。


「内便記録を」


「ございます」


 四冊目が増えた。


 家政部内便簿。


 私は少しだけ机を見た。


 すぐに机ではなくなる気がする。


 記録を追うと、だいたい別の記録が増える。


 これはもう仕方がない。


 内便簿を開く。


 北部再建費支出報告写し。


 宛先、アデライン・ロシュフォード様付き書記室。


 差出、会計室。


 そして、受取。


『分家管理室預かり』


 私は指を止めた。


「分家管理室」


 アデライン様が繰り返した。


「なぜ、私宛の書類を?」


 モーリス様の顔が険しくなる。


「当時、アデライン様の王宮滞在準備に伴い、一部の領地書類を分家管理室が整理しておりました」


「整理」


 アデライン様の声が低くなる。


 私は続きを見た。


 預かり担当者印。


 小さな盾の中に、葡萄の蔓。


 ヴィクター分家の管理印だった。


「分家側が受け取っています」


 私は言った。


「その後の返却記録は?」


 アデライン様が問う。


 私は頁をめくった。


 ない。


 返却済の印もない。


 転送先もない。


 ただ、分家管理室預かり。


 そこで止まっている。


「止めたのね」


 アデライン様が言った。


「現時点では、分家管理室で止まった記録です」


 私は答えた。


「誰の判断かは、まだ」


「ええ」


 アデライン様は頷いた。


「だから確認します」


 怒鳴らない。


 決めつけない。


 でも、逃がさない。


 それが、今のアデライン様だった。


「当時の分家管理室責任者は」


 モーリス様が記憶を探る。


「ヴィクター様付き家令、ローデン・メイアだったはずです」


「現在は?」


「分家屋敷におります」


「呼んで」


「すぐに」


 モーリス様が書庫を出ていく。


 アデライン様は、内便簿を見つめていた。


 私は書いた。


 北部再建費支出報告写し、会計室よりアデライン・ロシュフォード様付き書記室へ送付。

 内便途中、分家管理室が預かり。

 返却および転送記録なし。


「アデライン様」


「何?」


「この時期、領地報告を読む時間はありましたか」


 少し聞きにくいことだった。


 でも、必要だと思った。


 アデライン様は怒らなかった。


「ありました」


 静かに答えた。


「多くはなかったけれど、届いたものには目を通していました。王妃教育、学院、社交、王宮行事。その間に」


「すべて?」


「いいえ」


 アデライン様は首を振った。


「すべてを完璧に見ていたとは言いません」


 その答えは、少し意外だった。


「届いたものの中にも、見落としたものはあったでしょう。父や家臣に任せていたこともあります」


 彼女は、先代公爵の指示控えに視線を移した。


「でも、届かなかったものを見抜くことはできない」


 私は書かなかった。


 それは発言だった。


 でも、今はまだ、アデライン様自身に残しておいた方がいい気がした。


「だから」


 彼女は続けた。


「今度は、届く仕組みを作ります」


 私はそこでペンを動かした。


 アデライン・ロシュフォード、重要領地報告の送付および受領確認制度の見直しを指示。


「まだ指示していないわ」


「これからされるかと思いました」


 アデライン様が、ほんの少しだけ笑う。


「では、正式に指示します」


「はい」


 少し先に書いてしまった。


 でも、間違ってはいなかった。


 地下書庫に足音が響いた。


 モーリス様が戻ってきた。


 その後ろに、痩せた年配の男性がいる。


 灰色の髪。

 細い肩。

 左手に革の手袋。


「ローデン・メイアにございます」


 男性は深く頭を下げた。


「お呼びと伺いました」


「三年前、分家管理室の責任者でしたね」


 アデライン様が問う。


「はい」


「私宛の北部再建費報告を預かっています」


 ローデン様の視線が、机上の内便簿へ落ちた。


 ほんの一瞬。


 でも、見た。


「古いことでございますので、記憶が」


「帳簿に残っています」


 アデライン様は言った。


「記憶を責めるつもりはありません。記録について聞きます」


 ローデン様は黙った。


 私は帳面を開いたまま待つ。


「なぜ、分家管理室が預かったのですか」


「当時、アデライン様は王宮へお入りになる準備中でした」


「それは理由になりません」


「領地に関する重い報告で、余計なご負担をおかけしないようにと」


「誰の判断で?」


 ローデン様は答えない。


 アデライン様も急かさなかった。


 沈黙が長くなる。


 こういう時、先に口を開いた方が負けることがある。


 私は紙の端を押さえた。


 ローデン様の喉が動く。


「ヴィクター様でございます」


 短い答えだった。


 私は書いた。


 ローデン・メイア、北部再建費報告写しを分家管理室で預かったのはヴィクター・ロシュフォードの指示だったと証言。


「理由は」


 アデライン様が問う。


「王家との婚約を控えた方に、領地の不安を知らせるべきではないと」


「それだけ?」


 ローデン様の指が動いた。


 左手の革手袋が、少しきしむ。


「……北部再建費の処理は、分家側で調整すると」


「調整」


 アデライン様の声が、冷たくなった。


「具体的には?」


「存じません」


「報告書を止めたのに?」


「私は命じられた通り、書類を預かっただけです」


 アデライン様は、しばらく彼を見た。


 それから、静かに言った。


「預かった書類は、どこへ?」


「分家管理室の保管棚へ」


「今も?」


「……いいえ」


 私はペンを止めた。


「どこへ移しましたか」


 ローデン様は俯いた。


「ヴィクター様の執務室へ」


 アデライン様の目が細くなる。


「いつ?」


「再建費の未処理一覧を作成する前です」


 地下書庫の空気が、さらに冷えた。


 未処理一覧。


 三年前には支給済みだった救済金を、今になって未処理の負債として出した書類。


 その前に、アデライン様へ届くはずだった報告書を、ヴィクター様の執務室へ移した。


 偶然ではない。


 少なくとも、かなり近い。


「未処理一覧の作成に、原本を使いましたか」


 私が聞いた。


 ローデン様が私を見る。


「私は」


「使いましたか」


 アデライン様が重ねた。


 ローデン様の肩が少し落ちた。


「数字の確認に、使われていたと思います」


「誰が」


「ヴィクター様と、ダリオ管理官です」


 私は書いた。


 北部再建費報告写し、ヴィクター・ロシュフォード執務室へ移送。

 未処理一覧作成前、ヴィクター・ロシュフォードおよびダリオ・ベルンが数字確認に使用した可能性あり。


 可能性。


 まだ断定はしない。


 でも、線はつながった。


 アデライン様に届くはずだった支給済み報告。


 その報告は分家で止められた。


 数年後、その数字を使って「未処理の負債」が作られた。


 そして、ヴィクター様は後見人になろうとした。


「叔父様は」


 アデライン様が静かに言った。


「私に領地の不安を知らせたくなかったのではありません」


 誰も答えない。


「領地の不安を、叔父様だけが使える状態にしたかったのですね」


 私はその言葉を記録した。


 アデライン・ロシュフォード、「領地の不安を、ヴィクター・ロシュフォードだけが使える状態にしたかった」と発言。


 ローデン様が顔を上げた。


「私は、家を守るためだと聞かされていました」


「家を守るため」


 アデライン様は繰り返した。


「ええ」


 ローデン様の声は弱かった。


「王宮へ嫁ぐ方に、領地の負債まで背負わせるべきではないと」


 アデライン様は、怒らなかった。


 少なくとも、表には出さなかった。


「知らされなかった結果、橋は三年架からなかった」


 静かな声だった。


「それが、家を守ることですか」


 ローデン様は答えられなかった。


 アデライン様は立ち上がった。


「ローデン・メイア。あなたには、分家管理室の保管棚、移送記録、ヴィクター様執務室への搬入記録をすべて提出してもらいます」


「はい」


「拒否は?」


「いたしません」


「記録官」


「記録しました」


 アデライン様は頷いた。


「モーリス。今後、重要領地報告は送付者、運搬者、受領者の三者署名を必須に。受領されなかった場合は、翌日までに私へ報告を」


「承知しました」


「写しは一部では足りないわ」


 私は少し考えた。


「三部でしょうか」


「五部」


 アデライン様は言った。


 私は少しだけ笑いそうになった。


 五部。


 よくわかってきている。


「承知しました」


 命令書を書き始める。


 重要領地報告管理規則。


 送付者署名。

 運搬者署名。

 受領者署名。

 未受領時の報告期限。

 写し五部。


 紙は増える。


 でも、今度は届かせるために増える。


 それなら悪くない。


 アデライン様は、内便簿の分家管理印を見ていた。


「ミラさん」


「はい」


「私が知らなかったことも、記録に残りますか」


 私は少し考えた。


「必要なら」


「残して」


 アデライン様は言った。


「私は、知らされなかった。でも、知らなかったことで橋が消えた事実まで、消えるわけではありません」


 私はそのまま記録した。


 アデライン・ロシュフォード、北部再建費報告を受領していなかった事実、および未把握期間中に救済が停止した事実を記録するよう指示。


「ご自身に不利になるかもしれません」


「ええ」


「よろしいのですか」


「記録は、私のためだけにあるのではないでしょう?」


 私はペンを止めた。


 それは、少し困る。


 私が言いそうなことを、先に言われた。


「はい」


 私は答えた。


「議事録は味方を選びません」


「知っています」


 アデライン様は、ほんの少し微笑んだ。


 その顔は、王宮で見た時より静かだった。


 でも、強かった。


 知らなかったことを隠さない。


 届かなかった責任から逃げない。


 その上で、次は届くように変える。


 全部を知っていた人より、今知ったことに責任を持つ人の方が、たぶん怖い。


 敵にとっては。


 私は命令書の最後に日付を入れた。


 その横に、アデライン様が署名する。


 新しい仕組みが、紙の上にできた。


 まだ誰も救っていない。


 でも、次の嘆願書は、途中で止まりにくくなる。


「次は」


 アデライン様が言った。


「分家の執務室ですね」


「はい」


「叔父様は、提出書類をすべて出したと言っていました」


 私は三箱の書類を思い出した。


 綺麗すぎる書類。


 その中にはなかったもの。


「届かなかった写しは、入っていませんでした」


「ええ」


 アデライン様は立ち上がる。


「なら、まだ『すべて』ではありません」


 地下書庫の灯りが、白布に包まれた先代公爵の指示控えを照らしていた。


 その紙は、アデライン様へ届かなかった。


 でも、今は届いている。


 遅すぎた。


 それでも、届かないままよりはいい。


 私は新しい頁を開いた。


 次の見出しを書く。


 分家執務室確認。


 届かなかった写しは、ヴィクター様の部屋へ運ばれていた。


 ならば、そこにはまだ、届かなかったものが残っているかもしれない。

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