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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第二章

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第27話 分家の書類は、綺麗すぎました

 ヴィクター様から書類が届いたのは、翌朝だった。


 早い。


 とても早い。


 昨夜、北部再建費に関する分家側の書類提出を求めたばかりである。


 それなのに、朝食前にはもう、木箱が三つ届いていた。


 木箱には、分家の小さな紋章が押されている。


 封もきちんとしていた。


 きちんとしすぎていた。


 私は記録官室の床を見た。


 昨日の書類箱。

 代官所から押さえた写し。

 リーヴェ村の証言記録。

 金庫封印記録。


 そこへ新しい木箱が三つ。


 私の机は、すでに机ではない。


 書類に囲まれた小さな島である。


「ミラさん」


 アデライン様が扉の前で立ち止まった。


「置ける?」


「床なら」


「床ね」


「はい。床は広いです」


「机ではなく?」


「机はもう、紙の所有物です」


 アデライン様は少しだけ笑った。


「では、床を借りましょう」


 モーリス様が使用人に合図をし、木箱が部屋の中央に置かれた。


 一つ目。


『北部再建費関連帳簿』


 二つ目。


『分家支援記録』


 三つ目。


『ヴィクター・ロシュフォード私的通信控え』


 私は三つ目の札で、少し目を止めた。


 私的通信控え。


 自分から出してきたにしては、ずいぶん親切な名前だ。


 親切な書類は、たいてい親切ではない。


「ずいぶん協力的ね」


 アデライン様が言った。


「はい」


 モーリス様は箱の封を確認した。


「分家側の使者によれば、ヴィクター様は疑いを晴らすため、必要な書類はすべて提出するとのことです」


「すべて」


 私は繰り返した。


 すべて、という言葉も便利だ。


 誰が範囲を決めるかで、意味が変わる。


「開けます」


 モーリス様が封を切った。


 木箱の中には、書類束が並んでいた。


 とても綺麗に。


 年月順。

 村名順。

 項目別。


 角もそろっている。


 紐も新しい。


 紙には埃がほとんどない。


 私は一束を取り上げた。


『リーヴェ村仮橋支援に関する分家側覚書』


 紙は三年前の日付だった。


 けれど、折り目が浅い。


 三年前から保管されていた紙は、もっと癖がつく。


 人の指に触れ、箱に押され、湿気を吸う。


 この紙は、古い日付を名乗っているわりに、まだ若い。


「ミラさん」


 アデライン様が私を見る。


「どう?」


「綺麗です」


「それは良いこと?」


「場合によります」


 私は紙束を机に置いた。


「古い書類が綺麗なのは、丁寧に保管されていたからかもしれません」


「ええ」


「ただ、全部が同じように綺麗だと、少し困ります」


「なぜ?」


「時間は、紙を平等には古くしません」


 私は三束を並べた。


 三年前の書類。

 二年前の書類。

 半年前の書類。


 紙の色は、ほとんど同じだった。


 紐の新しさも同じ。


 折り目の深さも同じ。


「同じ日に整えられた可能性があります」


 モーリス様の眉が少し動いた。


「作成日ではなく、整えられた日が同じ、ということですか」


「はい」


 私は頷いた。


「少なくとも、そう見えます」


 アデライン様は、木箱の中を見下ろした。


「叔父様は、私たちが見やすいように整理してくださったのかもしれないわね」


「はい」


 私は言った。


「見せたい順番に」


 アデライン様は少しだけ笑った。


 その笑みは、柔らかくはなかった。


「では、見せたい順番ではなく、日付順に戻しましょう」


「はい」


 私は帳面を開いた。


 分家提出書類、木箱三つ。

 封確認、モーリス。

 書類状態、全体に新しく整えられた形跡あり。


 そこまで書いて、私は一つ目の箱から書類を取り出し始めた。


 支援記録。

 再配分覚書。

 代官所との連絡控え。

 分家から北部への寄付一覧。


 どれも、文章が綺麗だった。


 綺麗すぎた。


 ヴィクター様は、自分が北部を助けようとしていたと主張したいらしい。


 たしかに書類の上では、分家はとても親切だった。


 橋材を手配しようとしている。

 倉庫修繕を心配している。

 種麦不足を案じている。


 心配。

 配慮。

 調整。


 優しい言葉が多い。


 優しい言葉が多い書類は、少し怖い。


 私は別の束を開いた。


『リーヴェ村仮橋材不足に関する報告』


 差出人、トレバー・ハル。

 宛先、ヴィクター・ロシュフォード。


 内容は、こうだった。


 救済金は一時的に代官所で保管。

 村側の受け入れ準備が整っていない。

 橋材の品質確認が必要。

 分家が後見的立場で調整を行う。


 後見的立場。


 また出た。


 ヴィクター様は、よほど後見が好きらしい。


「この書類では、分家は監督役に見えます」


 私は言った。


「現場の不備を止めようとしていた、と?」


 アデライン様が問う。


「はい」


「では、昨日の代官の発言とは違うわね」


 トレバー代官は、ヴィクター様の指示で管理していたと言った。


 この書類では、ヴィクター様は現場を心配しているだけ。


 立場が違う。


 ただ、どちらも自分に都合のよい顔をしている。


「この手紙の日付は?」


「三年前の冬です」


「紙は?」


「新しいです」


 私は手紙を光に透かした。


 窓から入る朝の光が、紙の薄さを見せる。


 透かしがある。


 ロシュフォード分家の紙ではない。


 代官所で見た練習用紙に近い。


 いや。


 もっと正確には、最近の分家書記室で使われている紙かもしれない。


 私はモーリス様を見る。


「分家の用紙の透かしは、三年前から同じでしょうか」


「確認いたします」


 モーリス様はすぐに答えた。


 仕事が早い。


 とても助かる。


 とても怖い。


 私は次の束に手を伸ばした。


 二箱目。


『分家支援記録』


 そこには、種麦や毛布の配布一覧があった。


 分家が北部の村々に独自支援をした記録。


 名前だけ見れば、立派なものだった。


 ただし、支援先の村が少し変だった。


 リーヴェ村ではない。

 オルタ村でもない。

 灰谷村でもない。


 被害の大きい三村ではなく、別の村が多い。


 それも、分家領に近い村ばかり。


「アデライン様」


「ええ」


「分家の支援記録は、被災三村ではなく、分家寄りの村に偏っています」


 アデライン様が紙を受け取る。


「救済金とは別の支援だと言い張るでしょうね」


「はい」


「でも、名目は北部再建支援」


「はい」


 私は別の紙を出した。


 配布品一覧。


 種麦。

 毛布。

 干し肉。

 薬草。


 その中に、見覚えのある数字があった。


 灰谷村用の種麦記録と同じ袋数。


 偶然かもしれない。


 でも、偶然は二度目から記録対象である。


「灰谷村の種麦と数が一致しています」


 私は言った。


「袋数だけ?」


「今は袋数だけです」


 アデライン様は頷いた。


「袋を見れば、わかるかもしれないわね」


「はい」


 また現地確認が増えた。


 私の休暇は、完全に遠くへ行ったらしい。


 その時、モーリス様が三箱目の奥から、一冊の薄い綴じ帳を取り出した。


「アデライン様」


「何?」


「これは、分家のものではございません」


 差し出された綴じ帳は、古かった。


 今度は本当に古い。


 表紙の角がすり減り、紐もくたびれている。


 他の綺麗な書類の中で、それだけが明らかに年を取っていた。


 表題。


『北部再建費 先代公爵指示控え』


 アデライン様の表情が変わった。


 私は慎重に表紙を開いた。


 そこには、先代公爵の署名があった。


 アデライン様のお父上。


 堂々とした字だった。


 古いインクは、少し茶色に変わっている。


 指示内容は短い。


『北部三村への再建費支出については、代官所、家政部、会計室で写しを保管すること』


 その下。


『アデラインにも写しを送付すること。王家との婚約により家政から距離を置くとしても、ロシュフォードの娘として領民の困窮を知らぬままにしてはならない』


 部屋が静かになった。


 私は、すぐには書けなかった。


 アデライン様は、綴じ帳を見下ろしていた。


 表情は大きく変わっていない。


 けれど、目が動かない。


「……お父様が」


 小さな声だった。


 モーリス様が深く頭を下げる。


「この控えが、分家の箱に混じっていた理由は不明です」


「混じっていたのではないわ」


 アデライン様は言った。


「隠れていたのね」


 私はようやくペンを動かした。


 先代公爵指示控え発見。

 内容、北部三村再建費支出について、アデライン・ロシュフォードにも写しを送付すべしとの指示。


 書きながら、少しだけ指が重かった。


 これは不正の証拠である。


 同時に、アデライン様が本来受け取るべきだったものでもある。


「私は」


 アデライン様が、ゆっくりと言った。


「この写しを受け取っていません」


 モーリス様が答える。


「私も、アデライン様へ届いた記録を見た覚えがございません」


「届かなかったのね」


「恐らくは」


「いいえ」


 アデライン様は綴じ帳を閉じた。


「恐らく、では足りないわ」


 その声は静かだった。


 でも、部屋の空気が変わった。


「送付簿を確認します。家政部、会計室、代官所、分家。写しがどこで止まったのか、すべて」


「承知しました」


 モーリス様が頭を下げる。


 私は書いた。


 アデライン・ロシュフォード、北部再建費写しの送付経路確認を命じる。


 アデライン様は、綴じ帳に手を置いた。


「私は、王家へ入るかもしれない立場でした」


 誰に向けた言葉か、すぐにはわからなかった。


 モーリス様か。


 私か。


 それとも、もうここにいない先代公爵か。


「けれど、ロシュフォードの娘であることまで、預けた覚えはありません」


 私はその言葉を記録した。


 アデライン・ロシュフォード、「ロシュフォードの娘であることまで、預けた覚えはありません」と発言。


 書いてから、少しだけ息を吸った。


 これは、残る言葉だと思った。


 アデライン様は顔を上げた。


 もう揺れていなかった。


「叔父様は、余計なものまで出してくださいましたね」


 静かな声だった。


 皮肉というには、冷たすぎる。


「見せたい書類の中に、見せたくないものが混じっていた」


 私は三つの木箱を見た。


 綺麗すぎる書類。


 整えられた言い訳。


 その奥に、一冊だけ古い本物。


 嘘は、全部を新しくしようとして、古い真実を持ち出してしまったらしい。


「ミラさん」


「はい」


「この指示控えの写しを」


「五部ですね」


「ええ。五部」


「承知しました」


 私は立ち上がりかけて、机の上を見た。


 置く場所がない。


 床もない。


 紙は増える。


 真実も増える。


 仕事も増える。


 よいことなのか、悪いことなのか、もうよくわからない。


 ただ、一つだけわかる。


 橋にならなかった金貨の話は、ただの横領では終わらない。


 誰かが、アデライン様から領地の声を遠ざけていた。


 橋のない村だけではなく。


 彼女の手元に届くはずだった紙まで、途中で止めていた。


 私は新しい紙を一枚出した。


 見出しを書く。


 届かなかった写し。


 その下に、もう一行。


 送付経路確認。


 インクは、よく紙に乗った。


 そして私は、少しだけ思った。


 分家の書類は綺麗すぎた。


 けれど、その中に入っていた一番古い紙だけが、いちばん強かった。

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