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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

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20/22

第20話 議事録令嬢、女公爵様の記録官になる

 王妃付き侍女長セリア・ランベルトは、王宮監査官の前でも姿勢を崩さなかった。


 白い手袋。

 整えられた髪。

 静かな目元。


 火災現場に現れた時と同じだった。


 人を王妃殿下の保護下へ移そうとした人には、とても見えない。


 けれど、見えないからこそ侍女長なのかもしれない。


 私は帳面を開いた。


 王宮監査室。

 出席者、王宮監査官二名、宰相府補佐官エドウィン・クレイ、アデライン・ロシュフォード、ミラ・ノートン。

 尋問対象、王妃付き侍女長セリア・ランベルト。


 机の上には、証拠が並べられていた。


 王宮記録局の閲覧簿。

 私の筆跡見本。

 練習用紙。

 偽造告発文。

 白百合封蝋の覚書。

 焦げた白百合紋の布片。


 紙が多い。


 でも、今日は多い方がいい。


 紙が少ない時ほど、人は「誤解」と言いやすい。


「セリア侍女長」


 監査官が言った。


「あなたは本日、王宮記録局にてミラ・ノートン嬢の筆跡見本を閲覧しましたか」


「はい」


 セリアは、あっさり認めた。


「慈善茶会の記録係候補を確認するためです」


 私は書いた。


 セリア侍女長、ミラ・ノートンの筆跡見本閲覧を認める。名目は慈善茶会の記録係候補確認。


「その後、練習用紙にミラ・ノートン嬢の署名を複数回書きましたか」


「筆跡の確認を行いました」


「署名を複数回書きましたか」


 監査官は繰り返した。


 言葉を柔らかくさせないための聞き方だった。


 私は少し感心した。


「……はい」


 セリアは答えた。


 私は書いた。


 セリア侍女長、練習用紙にミラ・ノートンの署名を複数回記したことを認める。


 母が隣の部屋にいなくてよかったと思った。


 自分の娘の名前を誰かが何度も偽造したと聞くのは、あまりよい時間ではない。


「その練習用紙と偽造告発文の署名には、同一の癖が見られます」


 監査官が続ける。


「あなたが、ノートン男爵家に告発文を持ち込みましたか」


「私は、王妃殿下のご配慮をお伝えに参りました」


 配慮。


 また出た。


 そろそろ、その言葉だけで一冊の帳面が埋まりそうだ。


「ノートン男爵家の書斎に入りましたか」


「入りました」


「一人になりましたか」


「短い時間でした」


「告発文を机の奥へ入れましたか」


 セリアは、少しだけ黙った。


 私はその沈黙を書かなかった。


 今ほしいのは、沈黙ではなく言葉だ。


「私は」


 セリアは言った。


「王妃殿下の名誉を守るために必要なことをしたまでです」


 部屋の空気が止まった。


 私は、ペンを握る指に力を入れた。


 王妃殿下の名誉を守るため。


 それは、肯定ではない。


 けれど、否定でもない。


「必要なこと、とは」


 エドウィン様が問う。


 声は静かだった。


「王宮を乱す記録を止めることです」


「王宮を乱す記録」


「下級貴族の娘が、王太子殿下や王妃殿下のお言葉を勝手に切り取り、王家の名誉を傷つけている。放置すれば、国の秩序が揺らぎます」


 私は書いた。


 セリア侍女長、ミラ・ノートンの記録を「王宮を乱す記録」と表現。


 手が少しだけ熱くなった。


 怒っているのだと思う。


 字が濃くならないように、少し力を抜いた。


「私は勝手に切り取っていません」


 私は言った。


「発言順に書いています」


 セリアが初めて、私をまっすぐ見た。


「それが危険なのです」


「発言順が、ですか」


「はい。人には立場があります。言葉には重みがあります。王族の言葉と、下級貴族の言葉を、同じ紙の上に並べてはなりません」


 アデライン様の目が、冷えた。


 私は、ゆっくり書いた。


 セリア侍女長、「王族の言葉と下級貴族の言葉を、同じ紙の上に並べてはなりません」と発言。


 並べてはならない。


 とてもよい言葉だった。


 もちろん、悪い意味で。


「セリア侍女長」


 アデライン様が言った。


「では、孤児院の子どもたちの言葉は、どの紙に残せばよろしいの?」


 セリアは答えなかった。


 アデライン様は続ける。


「昨日より大きいパンを喜んだ子どもの言葉は。小麦粉が届かなかった院長の言葉は。王立孤児院宛の荷札を剥がされた箱は」


 静かな声だった。


 けれど、一つずつ刃が入っていく。


「それらも、王家の名誉のために紙の外へ出すべきですか」


 セリアの表情が、わずかに歪んだ。


「私は、王妃殿下のご意向に従っただけです」


 出た。


 私は一字も漏らさないように書いた。


 セリア侍女長、「私は、王妃殿下のご意向に従っただけです」と発言。


 監査官が顔を上げる。


「王妃殿下のご意向とは、直接命令ですか」


 セリアの唇が止まった。


 ここは大事だ。


 直接か。

 直接ではないか。


 その差で、王妃殿下本人まで届くかどうかが変わる。


「王妃殿下は」


 セリアは、ゆっくり言った。


「王家の名誉を守るよう、お望みでした」


「偽造文書の作成を命じましたか」


「そのような、直接のお言葉はございません」


 王妃殿下は、やはり直接は言わない。


 そういう人だ。


 言葉を残さず、周りが勝手に動く場所を作る。


 とても嫌な賢さだと思う。


「では、あなたの判断で偽造文書を作成し、ノートン男爵家へ持ち込んだのですね」


 監査官が言った。


 セリアは、静かに目を閉じた。


「王妃殿下の名誉のためです」


「答えてください」


「……はい」


 私は書いた。


 セリア侍女長、偽造告発文の作成およびノートン男爵家への持ち込みを認める。ただし、王妃殿下からの直接命令は否定。


 王妃殿下までは、まだ届かない。


 でも、王妃殿下の周りに張られた白い布は、裂けた。


 監査官が次の証拠を出した。


 白百合封蝋の覚書。


「商会帳簿室焼却後、記録係を保護名目で移送。抵抗の場合、ノートン家の件を先に処理。これはあなたの指示ですか」


 セリアは沈黙した。


「答えてください」


「……ガレスに渡しました」


 私は書いた。


 セリア侍女長、白百合封蝋の覚書を元王妃付き護衛ガレス・ロウに渡したと認める。


「ガレスには何を命じましたか」


「証拠の保全を」


「火災現場から逃走した男性が、証拠の保全を?」


 エドウィン様が静かに言った。


 セリアは何も言わない。


 私は、少しだけ思った。


 沈黙は逃げ道になる。


 でも、今日は沈黙の周りを紙で囲んでいる。


 逃げ道は、あまり広くない。


 監査官が席を立った。


「セリア・ランベルト。あなたには、偽造文書作成、証人移送未遂、王宮監査妨害、ならびにミード商会火災への関与の疑いがあります。身柄を預かります」


 セリアは、抵抗しなかった。


 ただ、連れていかれる直前、私を見た。


「あなたは、自分が何を壊したのか、まだわかっていません」


 私はペンを止めた。


「何を壊したのでしょうか」


「王家の静けさです」


 セリアは言った。


「静かな王宮に、あなたは紙の音を持ち込んだ」


 私は少し考えた。


 それは、悪いことなのだろうか。


 紙の音くらい、してもいいと思う。


 泣き声が消えるよりは、ずっといい。


「記録します」


 私は言った。


 セリアは目を細めた。


 私は書いた。


 セリア侍女長、「静かな王宮に、あなたは紙の音を持ち込んだ」と発言。


 セリアが連れていかれると、部屋に少しだけ空気が戻った。


 でも、終わりではない。


 王妃殿下本人は、まだ奥にいる。


 直接命令は残っていない。


 それでも、紙は十分に集まった。


 王妃殿下の慈善茶会。

 慈善局への指示。

 ミード商会。

 孤児院の物資。

 筆跡見本。

 偽造告発文。

 セリアの証言。


 その日の夕刻、国王陛下の執務室に、すべての記録が運ばれた。


 机の上に並べられた紙を、国王陛下はしばらく黙って見ていた。


 王太子殿下も呼ばれていた。


 顔色は悪い。


 王妃殿下もいた。


 いつものように、美しい姿勢で立っている。


 白い花の香りが、少しだけした。


 私は部屋の端で帳面を開いた。


「王妃」


 国王陛下が言った。


「そなたは、セリアに偽造を命じたか」


「いいえ」


 王妃殿下は静かに答えた。


「私は、そのような命令はしておりません」


 直接命令はない。


 想定通りだった。


「では、慈善局の支給経路変更については」


「王家の慈善事業を整えるための措置でした。結果として一部に不備があったのなら、監督者として責任は感じております」


 一部。


 不備。


 責任は感じております。


 綺麗な言葉が並んだ。


 綺麗すぎて、やはりパンの匂いがしない。


 国王陛下は、しばらく王妃殿下を見ていた。


 それから、低い声で言った。


「王妃主催の慈善茶会を、当面停止する」


 王妃殿下の指が、ほんの少し動いた。


 私は書いた。


 国王陛下、王妃主催の慈善茶会の当面停止を命じる。


「慈善局への王妃名義の新規指示も停止。慈善局副局長バルクは拘束のうえ尋問。ミード商会主は王宮監査下に置き、商会倉庫および帳簿を封鎖する」


 王太子殿下が顔を上げた。


「父上」


「お前は黙っていろ」


 国王陛下の声は、刃のようだった。


 王太子殿下の口が閉じる。


「王太子アレクシス」


 国王陛下は言った。


「お前の公務を停止する。学院、慈善局、王宮行事への関与も禁じる。婚約破棄騒動、虚偽証言への関与、奨学金停止発言、すべて調査対象とする」


 王太子殿下の顔から血の気が引いた。


 私は書いた。


 王太子アレクシス、公務停止。学院、慈善局、王宮行事への関与禁止。婚約破棄騒動、虚偽証言、奨学金停止発言について調査対象。


 長い。


 でも、とてもよい長さだった。


 読んだら少しだけ息がしやすくなる長さだ。


「王宮記録局長ベリルは更迭。後任が決まるまで、記録局は監査官の管理下に置く」


 国王陛下は続けた。


「王立孤児院への支給物資は、本来の宛先へ即日返還。欠損分はミード商会および慈善局予算より補填する」


 私は、リナの小さなパンを思い出した。


 昨日より大きいです、と言ったあの声。


 次に会う時、あの子のパンが、昨日より大きいだけでは足りない。


 本来の大きさでなければ困る。


「アデライン・ロシュフォード」


 国王陛下が呼んだ。


 アデライン様が一歩前へ出る。


「はい」


「そなたに、慈善局および王立孤児院支給記録の共同監査権を与える。ロシュフォード公爵家として、再発防止案を提出せよ」


「承知いたしました」


 アデライン様は頭を下げた。


 その姿は、婚約破棄された令嬢ではなかった。


 誰かに捨てられた人でもない。


 これから自分の名前で命じる人だった。


「なお」


 国王陛下は、少しだけ目を細めた。


「ロシュフォード公爵位継承に関する手続きも、速やかに進める」


 王太子殿下が、何か言いかけた。


 言えなかった。


 アデライン様は、静かに微笑んだ。


「恐れ入ります」


 私は書いた。


 アデライン・ロシュフォード、慈善局および王立孤児院支給記録の共同監査権を得る。ロシュフォード公爵位継承手続き、速やかに進行予定。


 手が、少しだけ熱かった。


 これは怒りではない。


 たぶん、別のものだ。


 安堵に近い。


 でも、安堵というには少し背筋が伸びる。


 国王陛下の視線が、私に向いた。


「ミラ・ノートン」


「はい」


 私は立ち上がった。


 急だったので、椅子が少し鳴った。


 音が大きく聞こえた。


「そなたの記録は、今回の調査に大きく寄与した」


「恐れ入ります」


「だが、王宮に置けば、また同じことが起きる」


 その言い方は少し怖かった。


 解雇だろうか。


 解雇なら、できれば書面でほしい。


「アデライン」


「はい」


「この者をどうする」


 アデライン様が、私を見る。


 私は帳面を抱えた。


 どうする。


 私は物ではない。


 でも、今はどうされるのかが少し気になる。


「ロシュフォード公爵家で正式に雇います」


 アデライン様は言った。


「記録官として」


 正式に。


 記録官。


 その言葉が、思ったより重く胸に落ちた。


「本人の意思は」


 国王陛下が問う。


 アデライン様は、私を見たまま答えなかった。


 自分で答えなさい、ということらしい。


 私は息を吸った。


「お受けします」


 声は少し震えた。


 でも、たぶん聞こえた。


「ただし」


 言ってから、自分でも驚いた。


 ただし。


 国王陛下の前で、ただし。


 非常にまずい。


 でも、出てしまった。


「ただし、記録を削れと言われた場合は、断ります」


 部屋が静かになった。


 王太子殿下がこちらを見た。


 王妃殿下も見た。


 アデライン様だけが、少し笑った。


「もちろん」


 アデライン様は言った。


「削らせるために雇うのではありません」


 私は書きたくなった。


 でも、自分の返事を自分で記録するのは、少し変なので我慢した。


 国王陛下が、低く笑った。


「よろしい。ミラ・ノートンを、ロシュフォード公爵家記録官として認める」


 私は頭を下げた。


 その瞬間、ようやく少しだけ膝の力が抜けた。


 倒れなかったので、よかった。


 王妃殿下は、最後まで美しかった。


 微笑みも崩さなかった。


 でも、部屋を出る時、その白い手袋の指が強く握られているのを私は見た。


 王妃殿下は倒れていない。


 王太子殿下も、まだ王太子のままだ。


 けれど、慈善茶会は止まり、慈善局への手は止まり、王太子殿下の公務も止まった。


 孤児院へは物資が戻る。


 記録局長は更迭され、侍女長は拘束された。


 全部が終わったわけではない。


 でも、何も変わらなかったわけでもない。


 その夜、ロシュフォード公爵家の馬車に乗る前に、エドウィン様が私を呼び止めた。


「ミラ嬢」


「はい」


 差し出されたのは、細長い箱だった。


「これは?」


「ペンです」


 開けると、銀色の細いペンが入っていた。


 派手ではない。


 でも、手に持つと重さがちょうどよかった。


 書くための道具だと、すぐにわかる。


「今回の記録で、あなたのペン先がだいぶ傷んでいました」


「見ていたのですか」


「はい」


「かなり細かいですね」


「あなたほどではありません」


 それは、褒め言葉だろうか。


 たぶん違う。


 でも、悪い気はしなかった。


「ありがとうございます」


 私は箱を閉じた。


「大切に使います」


「使ってください。大切にしまい込むものではないので」


 正しい。


 ペンは使うものだ。


 紙も使うものだ。


 残すために。


 エドウィン様は少しだけ声を落とした。


「あなたの記録がなければ、ここまでは来られませんでした」


「私だけではありません」


「はい」


 彼は頷いた。


「ですが、あなたが書いたことは事実です」


 私は返事に困った。


 事実。


 その言葉は、とても重い。


 でも、今日は少しだけ、温かかった。


 馬車の前で、アデライン様が待っていた。


「ミラさん」


「はい」


「明日から忙しくなります」


「明日から」


「ええ。孤児院への物資返還の確認、慈善局記録の照合、ロシュフォード公爵家での契約書作成。それから、公爵位継承手続きに必要な記録も」


 私は、銀色のペンの箱を抱えたまま固まった。


「明日から、ですか」


「明日からです」


「休暇は」


 アデライン様は、優雅に微笑んだ。


「記録しておきましょう」


 それは、今すぐあるという意味ではなかった。


 私は馬車に乗り込む。


 座席は柔らかかった。


 柔らかすぎて、少し眠くなる。


 窓の外では、王宮の灯りが遠ざかっていく。


 あの夜、私は王宮夜会の隅にいた。


 地味で、黙っていて、都合のいい記録係。


 君なら黙って記録するだろう。


 王子殿下は、そう言った。


 だから、私は黙って記録した。


 階段の証言も。

 奨学金停止の発言も。

 孤児院の小さなパンも。

 薄紙に残った三年前の議事録も。

 ロザベル様の嘘と証言も。

 私の字で書かれた私の嘘も。

 そして、今日決まった処分も。


 議事録は味方を選ばない。


 発言を残すだけだ。


 けれど、残された発言は、ときどき人を守る。


 ときどき、嘘を追い詰める。


 ときどき、誰かの明日のパンを少しだけ大きくする。


 私は新しいペンの箱を膝に置いた。


 ロシュフォード公爵家の馬車が、夜の王都を進んでいく。


 未来の女公爵様の記録官。


 そう呼ばれるには、まだ少し慣れない。


 けれど、仕事はもう決まっている。


 私は今日も、黙って記録する。


 困ったことに、明日の予定まで、もう記録で埋まり始めていた。


 せめて一日くらい、休暇を入れておくべきだった。

第一章はここまでです。


王宮夜会の片隅で「黙って記録するだろう」と言われたミラが、未来の女公爵アデラインの記録官になるまでのお話でした。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。


第二章では、ロシュフォード公爵家と、公爵位を継ぐアデラインの新しい仕事が始まります。

ミラの記録も、王宮の外へ広がっていく予定です。


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