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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

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2/22

第2話 その奨学金停止、命じたのは殿下です

 私の名前まで、議事録に残ってしまった。


 それは、なかなか困ることだった。


 議事録というものは、本来、他人の発言を残すためのものである。そこに自分の名前が入ると、急に紙の向こう側からこちらを見られているような気分になる。


 できれば、私は紙のこちら側にいたい。


 などと考えている場合ではなかった。


「待て、アデライン」


 王子殿下が、低い声で言った。


 先ほどまでの断罪する声ではない。


 少しだけ、余裕のなくなった声だった。


「階段の件に誤解があったとしても、それで君の罪が消えるわけではない」


 階段から突き落とされた時刻は、七時頃で、七時半頃で、八時前だった。


 どれも記録とは合わなかった。


 けれど王子殿下は、そのあたりをもう見ないことにしたらしい。


 人は見たくないものを見る時、目を閉じることがある。


 王子殿下の場合は、話題を変えるらしい。


「君はロザベルの奨学金を止めようとした。これは学院評議会の記録にも残っているはずだ」


 ロザベル嬢が、王子殿下の後ろで小さく頷いた。


 さっきまで青ざめていた顔に、少しだけ色が戻る。


「そうです。アデライン様は、私が奨学金を受けるのが気に入らなかったのです。公爵家のご令嬢だから、平民に近い私が学院に通うことを許せなかったのだと……」


 アデライン様は、何も言わなかった。


 ただ、私を見た。


 見ないでほしい。


 いや、見るのは構わない。

 けれどその視線には、「ありますね」と書いてあった。


 そして、残念ながら、あった。


「恐れながら」


 私は手元の帳面を開いた。


「三日前の学院評議会の議事録控えでしたら、ございます」


 王子殿下の表情が、わずかに明るくなった。


「ならば読め。アデラインがロザベルの奨学金に口を出した箇所をだ」


「承知しました」


 私は紙をめくった。


 夜会の記録係には、関連資料の写しが渡される。


 招待客名簿。

 控え室使用表。

 警備配置。

 事故報告。

 学院評議会の抜粋。


 普通は、誰も全部読まない。


 けれど私は読んでいた。


 読まない書類を持たされると、紙が少しかわいそうだからだ。


「三日前、学院評議会。第六議題、奨学金不正受給疑惑について」


 大広間の話し声が、少しずつ遠のいた。


「発言者、アデライン・ロシュフォード嬢」


 ロザベル嬢の手巾が、目元から口元へ移動した。


「『ロザベル・ミード嬢の奨学金について、匿名の告発が出ております。ですが、告発文には署名がなく、証拠も添付されておりません。よって、現時点で奨学金の停止を決定するのは不当と考えます』」


 私は続けた。


「『調査は必要です。しかし、生活費を含む奨学金である以上、停止は学業継続を不可能にします。本人への聞き取りを行わずに支給を止めることには、反対いたします』」


 そこまで読み上げて、私は顔を上げた。


「以上が、アデライン様の発言です」


 王子殿下は、しばらく黙っていた。


 それから、笑った。


「そんな発言はしていない」


 私は瞬きをした。


 困った。


 非常に困った。


 なぜなら今、私が読み上げたのは、アデライン様の発言である。


 王子殿下の発言ではない。


「あの」


「何だ」


「ただいま読み上げたのは、アデライン様の発言です」


 近くで、誰かが咳き込んだ。


 一度ではなく、二度。


 咳というのは便利な音だ。笑いかけた時にも、困った時にも、喉が悪いふりができる。


 王子殿下の顔が赤くなった。


「わかっている! 私は、その記録が偽りだと言っているのだ!」


「承知しました」


 私は書いた。


 王子殿下、三日前の学院評議会記録を偽りと主張。


「記録するな!」


「承知しました。では、王子殿下、偽りとの主張について記録拒否」


「黙れ!」


「はい。黙って記録いたします」


 沈黙と記録は、両立できる。


 少なくとも、私の場合は。


「ミラさん」


 アデライン様が、静かに私の名を呼んだ。


「はい」


「同じ評議会で、ロザベル嬢の奨学金停止を求めた発言者は、どなたでしたか」


 私は該当箇所を探した。


 探すまでもなかった。


 赤い印をつけていたからだ。


 赤い印は、重要という意味ではない。

 後で確認が必要という意味である。


「発言者、アレクシス王太子殿下」


 ロザベル嬢の手巾が落ちた。


「発言内容。『ロザベル・ミード嬢の奨学金については、一度停止すべきである。彼女は私の保護下に入るため、学院の支援は不要となる』」


 王子殿下の顔から、色が引いた。


「続きがございます」


 私は言った。


「『むしろ、奨学金を受け続ければ、彼女が私に近づいた理由を金と疑われかねない。私の婚約者であるアデラインには、余計な口出しをさせるな』」


 ロザベル嬢が、王子殿下を見た。


 その目には、涙より先に驚きがあった。


 泣く順番としては、少し珍しい。


「違う」


 王子殿下が言った。


「そのような意味ではない」


「意味については、記録しておりません」


 私は答えた。


「発言を記録しております」


「貴様……!」


「殿下」


 アデライン様の声が、王子殿下の怒声を遮った。


 大きな声ではなかった。


 けれど、よく通った。


「私はその場で反対いたしました。ロザベル嬢の生活を、殿下の都合で左右すべきではないと」


「黙れ!」


「それも記録していただけますか、ミラさん」


「はい」


 私は書いた。


 王子殿下、アデライン・ロシュフォード嬢に対し、沈黙を命令。


 王子殿下の取り巻きの方々は、もう頷いていなかった。


 人は頷くのをやめる時、意外と首の置き場に困るらしい。


「ロザベル」


 アデライン様は、王子殿下ではなく、ロザベル嬢を見た。


「あなたは先ほど、私が奨学金を取り上げようとしたと証言しましたね」


「わ、私は……」


「ええ。おっしゃいました」


 私が小さく補足すると、ロザベル嬢の目がこちらを向いた。


 恨まれているのかもしれない。


 けれど、私が書いたのは彼女の発言であって、彼女の心ではない。


 そこは別の人に担当してほしい。


「ロザベル嬢発言。『アデライン様は、奨学金の審査で私の名を外すように働きかけた』」


 読み上げると、ロザベル嬢は唇を噛んだ。


「ち、違うのです。私は、殿下からそう聞いて……」


「ロザベル!」


 王子殿下が叫んだ。


 その声で、答えはほとんど出てしまった。


 私は書いた。


 ロザベル嬢、先の証言について、王子殿下から聞いた内容である旨を発言。


 王子殿下、ロザベル嬢の発言を遮る。


 ペン先が紙をこする音が、やけに大きく聞こえた。


「記録係」


 王子殿下が低い声で言った。


「その紙を渡せ」


 私は帳面を押さえた。


「原本は宰相府提出用です」


「王子である私が命じている!」


「承知しました。では、『王子殿下、宰相府提出予定の議事録原本の引き渡しを要求』と」


「やめろ!」


「承知しました。では、『王子殿下、先の要求について記録中止を命令』と」


「お前は何なのだ!」


 何なのだろう。


 私も少し考えた。


 下級貴族の娘。

 臨時記録係。

 字を書くのが少し速い人間。

 菓子の粉を袖につけたまま気づかないことがある人間。


 候補はいくつかあったが、今この場で必要な答えは一つだけだった。


「記録係です」


 私は言った。


 王子殿下は、初めて言葉を失った。


 その沈黙を、私はすぐには書かなかった。


 書くべきかどうか、少し迷ったからだ。


 代わりに、手元の紙を見た。


 階段から落ちた時刻。

 北控え室の入退室。

 学院評議会の記録。

 奨学金停止を求めた発言者。

 ロザベル嬢の証言。

 王子殿下の遮り。


 どれも、今夜急に生まれた嘘には見えなかった。


 たぶん、用意されていた。


 誰かが、あらかじめ紙のない場所で用意したのだ。


「ミラさん」


 アデライン様が言った。


「その記録、守れますか」


 私は顔を上げた。


「守る、ですか」


「ええ」


 アデライン様は、王子殿下を見ずに言った。


「今夜の議事録を、消したがる人が出るはずです」


 王子殿下の肩が、わずかに動いた。


 私はそれを見た。


 見たけれど、今は書かなかった。


「原本は宰相府へ提出いたします。控えも作れます」


「何部?」


「最低でも三部」


 アデライン様は、ほんの少し笑った。


「十分です」


 褒められた。


 困る。


 でも今回は、少しだけ困り方が違った。


 これは、褒め言葉というより、仕事の依頼だった。


 仕事なら、受け取りやすい。


「承知しました」


 私は言った。


「今夜の記録は、残します」


 その言葉を口にした瞬間、私はようやく理解した。


 私はもう、ただの壁際の記録係ではない。


 誰かが消したがるものを、持ってしまったのだ。


 私は、最後に一行だけ書き足した。


 今夜の証言および関連記録について、改竄防止のため控え作成を要する。


 少し硬い文だった。


 けれど、そのくらいでちょうどいい。


 柔らかい紙ほど、燃えやすい。

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