表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/22

第1話 削除命令も記録対象です、王子殿下

※短編版から再構成した連載版です。

短編未読でも読めます。

「君なら黙って記録するだろう」


 王子殿下は、そうおっしゃった。


 だから私は、黙って記録した。


 王宮の夜会は、記録係にはあまり向いていない場所だった。香水と蜜酒と磨かれた銀器の匂いが混ざり、人の声は高く跳ね、床は光りすぎている。


 誰かが泣くと、周囲の人間が一斉に同じ顔をする。


 同情している顔。

 驚いている顔。

 驚いているふりをしている顔。


 私には、その区別があまりつかない。


 その代わり、発言の順番と、提出された書類の番号だけは見失わないようにしている。


 顔色は消える。

 噂は形を変える。

 けれど発言は残る。


 少なくとも、私の紙の上では。


「アデライン・ロシュフォード。君の冷酷な振る舞いには、もう耐えられない」


 大広間の中央で、王子殿下はそう宣言なさった。


 婚約者であるアデライン様は、背筋を伸ばして立っている。断罪されている令嬢にしては、あまりにも静かだった。


 私は壁際の小卓で、羽根ペンを走らせた。


 王子殿下発言。

 アデライン・ロシュフォード嬢に対し、冷酷な振る舞いがあったと主張。


「アデライン様は、私を階段から突き落としました」


 王子殿下の斜め後ろで、ロザベル嬢が白い手巾を目元に当てながら言った。


 私は書いた。


 ロザベル・ミード嬢、アデライン・ロシュフォード嬢に階段から突き落とされたと証言。


「それだけではありません。学院でも私を孤立させ、奨学金の件にも口を挟んだのです」


 奨学金。


 私は、その言葉の横に小さく印をつけた。


 後で確認が必要な言葉である。


「記録係」


 王子殿下がこちらを見た。


「余計な反論は書かなくていい。今夜は、私が婚約を破棄した事実と、その理由だけを残せ」


 私は手を止めた。


「恐れ入ります」


「なんだ」


「削除のご指示も、発言として記録対象でしょうか」


 近くの老伯爵が、眉を上げた。


 王子殿下は眉をひそめる。


「……何を言っている」


「ただいま、殿下は『余計な反論は書かなくていい』とおっしゃいました。記録内容へのご指示ですので、後日の確認のため、指示があった旨を残す必要があるかと」


「消せと言っている!」


「承知しました。では、『王子殿下、削除を命令』と記録いたします」


 誰かが息を呑んだ。


 私は、黙って書いた。


 王子殿下、記録係に対し、記録内容の削除を命令。


 黙っていることと、都合よく書くことは違う。


「続けなさい、ミラさん」


 静かな声がした。


 アデライン様だった。


「あなたは、今夜の記録係です。どうか、正確に」


「はい」


 声が少し震えたのは、インク壺の位置が遠かったせいだ。


 そういうことにした。


「アデライン!」


 王子殿下が声を荒げた。


「君はまだ反省しないのか。ロザベルは階段から落とされ、今も恐怖で震えているのだぞ」


「恐れながら、殿下」


 私は口を開いた。


「確認が必要です」


「何の確認だ」


「ロザベル嬢が階段から落ちた時刻です」


 ロザベル嬢の手巾が、ほんの少し下がった。


「ロザベル様。階段から落とされたのは、何時頃でしょうか」


「……七時頃、です」


 私は控えを開いた。


 夜会記録係には、招待客名簿、控え室使用表、警備配置、事故報告の写しが渡される。


 普通は、誰も細かく読まない。


 けれど私は読んでいた。


 読まない書類を持たされると、紙が少しかわいそうだからだ。


「七時の鐘が鳴った時点で、アデライン様は北控え室にいらっしゃいました。六時四十七分入室、七時十八分退出。立会人の署名もございます」


 ロザベル嬢の手巾が、口元へ移動した。


「ち、違います。私、混乱していて……七時半頃だったかもしれません」


「七時半頃」


 私は書いた。


「ロザベル嬢、階段から落とされた時刻について、七時頃から七時半頃へ証言を訂正」


「訂正なんて」


「訂正ではありませんか?」


「……訂正です」


「承知しました」


 柔らかい言葉にしても、意味が消えるわけではない。


「七時半頃ですと、アデライン様は東廊下にいらっしゃいます。ただし、東廊下には階段がございません。王妃殿下、宰相閣下、学院長も同時刻に通行なさっています」


「で、では、八時前です!」


 ロザベル嬢が叫んだ。


 私は事故報告の写しを確認した。


「八時前ですと、ロザベル嬢はすでに医務室にいらっしゃいます。七時四十二分、医務室到着。右足首を軽く捻ったとの記録がございます」


 近くの誰かが笑いかけて、慌てて咳に変えた。


 咳に変えた音も、それなりに目立つ。


 私は書いた。


 ロザベル嬢、階段から落とされた時刻について、七時頃、七時半頃、八時前と複数回訂正。


「記録係!」


 王子殿下が怒鳴った。


「誰の味方だ!」


 私はペンを止めた。


 少しだけ難しい質問だった。


 父の味方。

 家の味方。

 自分の将来の味方。


 そう答えられたら、きっと楽だった。


 でも、私は記録係としてここにいる。


「議事録は味方を選びません」


 私は言った。


「発言を残すだけです」


 王子殿下の顔が赤くなった。


 ロザベル嬢は青ざめていた。


 色としては、二人で釣り合いが取れている。


 でも、それも記録しない。


「ミラさん」


 アデライン様が、私の名を呼んだ。


「はい」


「その議事録、控えは取れますか」


「はい。清書前の下書きと、発言順の符号表がございます。原本の改竄防止のため、後ほど照合できます」


「素晴らしい」


 褒められた。


 困る。


 褒められると、私は自分の手をどこに置けばいいのかわからなくなる。


 ただ、今はペンを持っていたので助かった。


「アデライン、貴様、何をするつもりだ」


 王子殿下が言った。


 アデライン様は、そこで初めて、王子殿下をまっすぐ見た。


「殿下。先ほど、殿下は私との婚約を破棄するとおっしゃいました」


「それがどうした」


「議事録にも残っております」


 王子殿下の表情が止まった。


「したがって、私はもう、殿下の婚約者として沈黙する必要がございません」


 数人の貴族が、無言で姿勢を正した。


 誰が力を持っているのか。

 誰の旗が折れ、誰の旗が上がったのか。


 そういうことに敏い方々は、扇を閉じるのも早い。


「ミラ・ノートンさん」


 アデライン様が言った。


「今夜の議事録を、最後まで正確に残してください。そのうえで、明朝、ロシュフォード公爵家へいらっしゃい」


 私はペンを持ったまま固まった。


「私が、ですか」


「ええ。あなたです」


「恐れながら、私はただの臨時記録係で」


「いいえ」


 アデライン様は微笑んだ。


 社交界で飾られるための笑みではなかった。


「あなたは今夜、この大広間で一番正確に事実を見ていた人です」


 胸の奥が、少しだけ熱くなった。


 困る。


 期待されると、インク壺の位置を直したくなる。


 けれど今、インク壺はちょうどいい位置にあった。


 仕方がないので、私は紙の端をそろえた。


「明朝、ですか」


「ええ」


 アデライン様は、刃物を布で包んだような、綺麗で少し怖い笑みを浮かべた。


「私、公爵位を継ぐことにしましたの」


 その瞬間、私は初めて、記録する前にペンを落としかけた。


「最初の仕事は、王国中の嘘を記録に戻すことです」


 私は、震える指でペンを持ち直した。


 そして、黙って記録した。


 削除命令も。

 証言の訂正も。

 公爵家の次期当主が、王国の嘘を記録に戻すと宣言したことも。


 ただ、最後の一文だけは、少し手が震えた。


 アデライン・ロシュフォード嬢、記録係ミラ・ノートンに対し、翌朝ロシュフォード公爵家への同行を求める。


 そこまで書いて、私はようやく気づいた。


 私の名前まで、議事録に残ってしまった。

ここから連載版として続きます。

ミラはこのあと、未来の女公爵アデラインの記録官として、王国のあちこちの嘘を記録に戻していくことになります。

続きが気になりましたら、ブックマーク・評価で応援していただけると嬉しいです。

たぶん本人は、まだそこまで大事になると思っていません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ