第18話 私の一日まで偽造しないでください
筆跡確認は、王宮記録局の小会議室で行われた。
王宮記録局。
できれば、昨日より前に来たかった場所である。
理由は単純だ。
紙が多いから。
ただ、今日は紙を見るためではなく、私の字を見るために来ている。
少しだけ不本意だった。
机の上には、三種類の紙が並べられていた。
一つ目は、ノートン男爵家で見つかった告発文。
二つ目は、アデライン様から私への指示書とされる紙。
三つ目は、私がその場で書くための白紙。
王宮監査官が正面に座り、横には筆跡鑑定官がいる。
アデライン様は少し離れた席。
エドウィン様は壁際。
私の両親は、部屋の隅で硬い顔をしていた。
母は何度も私を見ている。
大丈夫、と言いたかった。
けれど、今それを言うと母が泣きそうなので、やめた。
「ミラ・ノートン嬢」
筆跡鑑定官が言った。
「こちらの文章を書き写してください」
渡された文は、短かった。
『私は、昨日の夜会記録について、事実と異なる記載を行っていない。』
私は少しだけ眉をひそめた。
「この文章、少し回りくどいです」
筆跡鑑定官が瞬きをした。
「指定文ですので」
「承知しました」
私はペンを取った。
いつもの黒藍のインクではない。
王宮記録局の標準インク。
少し明るい青みがある。
これも覚えておく。
書き写す。
ゆっくり。
急がず。
いつもの速記ではなく、人に見せるための字で。
書き終えると、鑑定官が偽造文書と私の字を並べた。
「似ています」
監査官が言った。
「似せています」
私は訂正した。
昨日も言った気がする。
でも、大事なところなので何度でも言う。
「私の署名は、最後のンの下が跳ねます。偽造文書は止めています。あと、私は『記録』の録の金偏をやや小さく書きます。こちらは同じ大きさです」
鑑定官が拡大鏡を当てる。
「確かに、差異はあります」
「差異ではなく、癖です」
私は言った。
「字は、綺麗かどうかより、癖の方が残ります」
父が小さく頷いた。
父は私の字をよく知っている。
昔から、私の帳面を勝手に読んで「字が硬い」と言っていた。
あまり褒め言葉ではない。
「しかし」
監査官は慎重だった。
「筆跡だけでは、偽造と断定するには弱い」
「はい」
私は頷いた。
「なので、筆跡だけではなく、私の一日を確認してください」
「一日?」
「はい」
私は自分の帳面を開いた。
今日一日、どこにいて、誰の前で、何を書いていたか。
それを偽造されるのは、さすがに困る。
「偽造文書の時刻は、午前第七刻です」
私は告発文を指した。
「その時刻、私は王宮記録局にいました」
エドウィン様が机の上に一冊の簿冊を置いた。
「王宮記録局の入退室簿です」
監査官が開く。
そこには、私の名前があった。
ミラ・ノートン。
入室、午前第六刻半。
退室、午前第七刻四半。
同行者、エドウィン・クレイ。
確認者、王宮監査官二名。
「午前第七刻には、まだ記録局内にいます」
エドウィン様が言った。
「この間、ミラ嬢は王宮監査官の前で、王妃殿下の私的書庫確認許可に関する記録を作成していました」
私はそのページを開く。
同じ時刻。
同じ場所。
同じ紙。
そこには、私が書いた本物の記録がある。
「この記録のインクは、私の持参した黒藍です」
私は自分の帳面を指した。
「一方で、偽造文書の署名に使われているインクは、先ほど私が使った王宮記録局の標準インクと同じ色です」
鑑定官が、偽造文書を光にかざした。
「確かに、青みが強い」
「私は昨日から、自分のインク壺を使っています。王宮標準インクで署名したのは、今ここで書いた一枚だけです」
母が、ようやく少し息をした。
父は、まだ拳を握っている。
「つまり」
アデライン様が静かに言った。
「偽造文書は、ミラさんの持ち物ではなく、王宮記録局のインクを使える場所で書かれた可能性が高い」
「はい」
私は答えた。
「それから、紙も違います」
私は偽造文書の端を見た。
「これは王宮記録局の練習用紙です。透かしがあります」
鑑定官が紙を灯りに透かす。
王冠と羽ペンの透かし。
王宮記録局の備品。
「ノートン家の紙ではありません」
私は言った。
「うちの紙は、もっと安いです」
母が小さく「ミラ」と言った。
恥ずかしかったらしい。
でも、事実だ。
安い紙は悪いものではない。
ただ、透かしは入っていない。
「では、なぜそれがノートン男爵家の書斎にあったのか」
監査官が言う。
「誰かが持ち込んだのだと思います」
「誰が」
「それは、まだ記録にありません」
私は答えた。
ここで名前を出したくなる。
王妃殿下。
侍女長セリア。
でも、紙にないものを急いで言うと、相手と同じになる。
「ですが、母は午前中に王妃付き侍女長セリア様が来訪したと証言しています」
母がびくりとした。
監査官が母を見る。
「ノートン男爵夫人。改めて確認します。王妃付き侍女長セリアが、本日午前、屋敷を訪問しましたか」
「はい」
母は両手を握りしめた。
「ミラの安全を案じていると。王妃殿下のご配慮だとおっしゃって」
「書斎に入りましたか」
「入りました」
「一人になりましたか」
母は父を見た。
父が深く息を吸う。
「私が茶を取りに席を外した間、短い時間ですが」
「その間、机の奥へ近づける状態でしたか」
「はい」
父の声は苦しそうだった。
「私の不注意です」
「お父様のせいではありません」
私は言った。
父が顔を上げる。
「机の奥に紙を入れた人が悪いです」
とても当然のことを言った。
でも、父は少し泣きそうな顔をした。
「もう一つあります」
私は偽造文書を見た。
「この告発文には、私が孤児院支給記録とミード商会倉庫に関する記録を加筆したとあります」
「それが?」
「ミード商会倉庫の確認は、この告発文の作成時刻より後です」
部屋が静かになった。
監査官が告発文の日付を確認する。
青雨月十八日、午前第七刻。
私は自分の帳面をめくった。
「ミード商会倉庫の確認は、午前第九刻以降です。王宮監査官、近衛兵、ロザベル・ミード令嬢の立ち会いがあります」
エドウィン様が補足した。
「王宮監査官の巡回記録にも残っています」
監査官が別の簿冊を開く。
そこにも、時刻があった。
午前第九刻二十分。
ミード商会倉庫確認開始。
つまり、偽造文書は未来の出来事を知っている。
私は告発文を指した。
「私がまだ見ていない倉庫について、私が加筆したことになっています」
少し間を置いて、続けた。
「私の一日まで、偽造しないでください」
自分でも、声が硬いと思った。
母が口元を押さえた。
アデライン様は、私を見ていた。
エドウィン様は、いつもの静かな顔だったが、目だけ少し険しい。
「偽造文書は」
監査官が言った。
「少なくとも、記載された時刻に作成されたものではない」
「はい」
「王宮記録局のインクと紙が使われた可能性が高い」
「はい」
「ミラ・ノートン嬢本人の筆跡ではない疑いが強い」
「はい」
「そして、ノートン男爵家へ持ち込んだ人物として、王妃付き侍女長セリアの訪問記録がある」
「はい」
私は返事をした。
そのたびに、少しずつ息がしやすくなった。
私の一日が、紙の上に戻ってくる。
「しかし、問題が一つあります」
鑑定官が言った。
「偽造者は、かなり近いところまでミラ嬢の字を真似ています。署名だけならともかく、本文にも癖が写っている」
「私の字を、どこかで見たということですね」
「はい。長めの文章が必要です」
私は考えた。
私の長い文章。
夜会の議事録。
孤児院の記録。
王宮記録局に提出した写し。
そして。
「臨時記録係採用時の筆跡見本」
エドウィン様が言った。
私は顔を上げた。
そうだ。
王宮で臨時記録係を務める時、事前に筆跡見本を書かされた。
短い文章ではない。
名前、日付、簡単な議事要約。
偽造の手本にするには、ちょうどいい。
「筆跡見本は、どこに」
アデライン様が問う。
記録局の職員が答えた。
「王宮記録局の保管棚です。閲覧には記録が必要です」
閲覧記録。
私はペンを握り直した。
ようやく次の紙が見えた。
「その閲覧簿を確認してください」
アデライン様が言う。
監査官が頷いた。
「直ちに」
私は新しい行を作った。
ミラ・ノートン筆跡見本、王宮記録局保管棚にあり。
その下に、もう一行。
閲覧簿確認へ。
偽造された私の字は、まだ気持ち悪い。
でも、少しだけましになった。
偽造された字は、誰かが私の字を見た証拠でもある。
誰かが見たなら、どこかに残る。
紙は弱い。
でも、紙を見た人もまた、紙に名前を書くことがある。
私は帳面を閉じなかった。
次に探すのは、私の字を盗んだ人の名前だった。




