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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

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第14話 裏帳簿には菓子より甘い名前がある

 ミード商会本店は、王都の大通りに面していた。


 立派な石造りの建物。

 大きな硝子窓。

 磨かれた看板。

 入口には、金文字でこう書かれている。


『王家御用達 ミード商会』


 王家。


 御用達。


 便利な言葉だ。


 それが付くだけで、小麦粉も毛布も薬草茶も、なぜか少し綺麗に見える。


 私は帳面を開いた。


 ミード商会本店。

 王宮監査官二名、近衛兵四名同行。

 ロザベル・ミード令嬢、証人として同行。


 ロザベル様は、青ざめた顔で店の前に立っていた。


 昨日までなら、ここは彼女の家だったのだろう。


 今日は、証拠品の保管場所になっている。


「帳簿室は二階です」


 ロザベル様が言った。


「奥の部屋に、小金庫があります」


「案内を」


 監査官が告げる。


 商会の使用人たちは、私たちを見るなり道を開けた。


 誰も声を出さない。


 商売人の店なのに、足音ばかりが響いている。


 帳簿室は、建物の二階奥にあった。


 広い部屋だった。


 棚には帳簿がぎっしり並び、机の上には封筒、伝票、未整理の紙束。


 紙が多い部屋は落ち着く。


 ただし、嘘の紙が多い部屋は少し疲れる。


「小金庫はこちらです」


 ロザベル様が壁際の戸棚を開けた。


 その奥に、小さな鉄の箱が埋め込まれている。


 監査官が、応接室でで預かった鍵を取り出した。


 かちゃり、と音がした。


 小さな音だった。


 けれど、ロザベル様の肩が震えた。


 扉が開く。


 中に入っていたのは、黒い革表紙の帳簿と、紐で束ねられた書状。


 それから、薄い木箱。


 監査官が黒い帳簿を取り出した。


 表紙には、何も書かれていない。


 名前のない帳簿。


 だいたい、名前を書けない帳簿ほど中身が濃い。


「開きます」


 監査官がページをめくる。


 私は隣で記録を取った。


 帳簿の最初には、日付と品目が並んでいた。


 王立孤児院宛小麦粉。

 救貧院宛毛布。

 冬季配給用靴。

 薬草茶。

 保存肉。


 その横に、別の列がある。


『慈善茶会用』

『王家寄付品』

『対外贈答』

『御礼菓子』


 御礼菓子。


 私はそこでペンを止めた。


「菓子、ですか」


 思わず声が出た。


 ロザベル様が目を伏せる。


「現金や宝石を、そのまま書くわけにはいかないからと」


 アデライン様が静かに問う。


「菓子と書いたのですね」


「はい」


 ロザベル様の声は小さかった。


「父は、甘い名前にしておけば誰も怒らないと言っていました」


 私は書いた。


 ミード商会裏帳簿において、現金または贈答品と見られる支出が「御礼菓子」と記載されていたとの証言あり。


 菓子より甘い名前。


 でも、たぶん味はしない。


 監査官がさらにページをめくる。


 御礼菓子の横には、名前が並んでいた。


 慈善局副局長バルク。

 王宮記録局長ベリル。

 王妃付き侍女長セリア。


 名前が出るたび、エドウィン様の表情が少しずつ硬くなる。


「王宮記録局長まで」


 アデライン様が言った。


「議事録が消えやすいわけですね」


 私はその発言を書くか迷った。


 迷った末に、書いた。


 たぶん大事だ。


「こちらの書状も確認を」


 監査官が紐を解く。


 中には、慈善局からミード商会宛の指示書が入っていた。


 配送先変更。

 保管期限延長。

 荷札差し替え。

 王妃殿下慈善茶会への転用。


 綺麗な文字だった。


 綺麗な文字で、かなり汚いことが書かれている。


「差出人は」


 エドウィン様が聞く。


「慈善局副局長バルク名義です」


 監査官が答えた。


「ただし、追記があります」


 私は身を乗り出した。


 追記。


 欄外の小さな字ほど、書いた人の本音が出る。


 監査官が読み上げる。


「王妃殿下御前確認済み。慈善茶会前日までに、孤児院宛の旧荷札を処分のこと」


 部屋の空気が、少し冷えた。


 王妃殿下御前確認済み。


 直接の命令ではない。


 でも、近い。


 かなり近い。


 アデライン様は顔色を変えなかった。


「写しを取って」


「はい」


 監査官が書状を封筒へ入れる。


 私は記録を続けた。


 すると、ロザベル様が木箱を見て、唇を噛んだ。


「その箱も」


「何が入っていますか」


 監査官が問う。


「……名簿です」


 木箱を開けると、薄い紙束が入っていた。


 商会の取引先一覧ではなかった。


 人の名前。


 肩書き。


 家名。


 支払い名目。


 そして、短い備考。


 私は一枚ずつ目で追った。


 慈善局。

 王宮記録局。

 王妃付き侍女。

 門衛。

 学院事務官。


 その途中で、手が止まった。


 ノートン男爵家。


 自分の家名が、そこにあった。


 私は、少しだけ息を忘れた。


 備考欄。


『夜会臨時記録係候補。下級貴族。圧力容易。原本回収を優先』


 私の名前もあった。


 ミラ・ノートン。


 私が自分の名前を書くより前に、誰かが私の名前を書いていた。


 変な感じだった。


 自分の影を、知らない人に先に踏まれたような感じ。


「ミラさん」


 アデライン様の声がした。


「大丈夫?」


「はい」


 そう答えた。


 大丈夫かどうかは、よくわからない。


 でも、書ける。


 書けるなら、とりあえず大丈夫に近い。


 私は帳面に記した。


 買収または工作対象者名簿と見られる紙束内に、ノートン男爵家およびミラ・ノートンの名を確認。備考欄に「夜会臨時記録係候補」「圧力容易」「原本回収を優先」と記載あり。


 書いているうちに、指先が冷えていく。


「つまり」


 エドウィン様が低く言った。


「ミラ嬢は、偶然あの場にいたわけではない」


「そうなります」


 監査官が答える。


 偶然ではない。


 あの夜、私は隅にいた。


 地味だから、黙っているから、都合がいいから。


 そう思われていた。


 腹が立つ。


 でも、それ以上に少し納得した。


 私が選ばれた理由が、ようやく紙の上に出てきたから。


「圧力容易」


 私は小さく読んだ。


 ひどい書き方だと思う。


 せめて、もう少し丁寧な文字で書いてほしい。


「そこは怒るところです」


 エドウィン様が言った。


「怒っています」


「そうは見えません」


「字が少し濃くなっています」


 エドウィン様は私の帳面を見て、ほんの少しだけ表情をゆるめた。


「なるほど」


 アデライン様が名簿を見つめる。


 その目は、今までで一番冷たかった。


「ミラさんを巻き込んだことについては、私にも責任があります」


「いえ」


「あります」


 アデライン様は言った。


「だから、最後まで守ります」


 私は返事に困った。


 守ると言われるのは、慣れていない。


 記録係は、だいたい部屋の端に置かれるものだ。


 守られる場所に置かれるとは、あまり思っていなかった。


 その時だった。


 廊下の向こうで、何かが倒れる音がした。


 近衛兵が振り向く。


「確認を」


 監査官が言う。


 扉の外へ出た兵が、すぐに戻ってきた。


 顔色が変わっている。


「煙です」


「煙?」


「一階倉庫側から。火が出ています」


 ロザベル様が息を呑んだ。


「一階倉庫には、まだ帳簿の写しと配送記録が」


 アデライン様が即座に言った。


「証拠をまとめて。持てるものだけでいい」


 エドウィン様が黒い帳簿と書状束を抱える。


 監査官が名簿を封筒に入れる。


 私は帳面を閉じようとして、閉じられなかった。


 部屋の入口から、薄い煙が入ってきた。


 紙が焦げる匂い。


 嫌な匂いだった。


 紙は燃える。


 とてもよく燃える。


 だから、燃える前に書くしかない。


「ミラ嬢」


 エドウィン様が言った。


「出ます」


「はい」


 私は鞄を肩にかけた。


 その時、床に一枚だけ紙が落ちているのに気づいた。


 木箱の底に貼りついていた紙が、火の気配で剥がれたのかもしれない。


 拾う。


 そこには短く、こう書かれていた。


『記録係処理、王妃付きに引き渡し』


 私は、指先が冷たくなるのを感じた。


 処理。


 また便利な言葉だ。


 人間にも使えるらしい。


「ミラさん!」


 アデライン様の声。


 煙が濃くなる。


 私はその紙を帳面の間に挟んだ。


 記録係処理。


 王妃付き。


 その文字を、燃やさせるわけにはいかなかった。


 廊下へ出ると、階段の下が赤く揺れていた。


 帳簿室が燃えている。


 いや。


 燃やされている。


 私は煙の中で、咳き込みながら思った。


 嘘を隠す人たちは、本当に紙を燃やすのが好きだ。


 困ったことに、紙は燃える。


 もっと困ったことに、私はその前に読んでしまう。

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