第13話 証言撤回のお願いも記録します
王太子殿下との面会は、応接室で行われた。
広すぎず、狭すぎない部屋。
壁には王家の紋章。
窓際には白い花。
中央には、向かい合う長椅子。
逃げ道があるように見えて、実はあまりない部屋だった。
ロザベル様は、私の隣に座っている。
指先は震えていた。
けれど、背筋は伸びていた。
アデライン様は少し離れた椅子に座り、エドウィン様と王宮監査官が扉の近くに立っている。
二人きりではない。
その事実だけで、部屋の空気はだいぶ違った。
「ロザベル」
王太子殿下は、優しい声で言った。
「よかった。無事で」
ロザベル様の肩が、少し動いた。
昨夜なら、その声だけで泣いていたのかもしれない。
けれど、今日は泣かなかった。
「殿下」
ロザベル様は、小さく頭を下げた。
「本日は、記録係同席でお話しさせていただきます」
私は書いた。
ロザベル・ミード令嬢、記録係同席での面会を希望。
王太子殿下の視線が、私の帳面に落ちた。
「また記録か」
「はい」
私は答えた。
「面会の内容を残します」
「私的な会話まで?」
「私的な会話でしたら、王宮監査官立ち会いの応接室ではなさらない方がよろしいかと」
言ってから、少し失礼だったと思った。
でも、エドウィン様が止めなかったので、たぶんぎりぎり許される。
王太子殿下は笑った。
笑ったけれど、目は笑っていない。
「君は本当に、よく口が回る記録係だ」
「よく言われません」
「だろうな」
私はそれも書こうか迷ったが、やめた。
これは記録しなくても世界は困らない。
「ロザベル」
王太子殿下は、再び彼女を見る。
「君は誤解している」
誤解。
便利な言葉だ。
嘘より柔らかく、間違いより責任が薄い。
「私は君を利用したつもりはない」
ロザベル様は、膝の上で手を握った。
「では、昨夜の証言は何だったのでしょうか」
「君が、傷ついていたからだ」
王太子殿下は、迷いなく言った。
「アデラインは昔から冷たい。君のような者の不安など、わからない。私は君の声を拾っただけだ」
アデライン様は、表情を変えなかった。
ロザベル様は、少しだけ唇を噛んだ。
「私は、階段から突き落とされていません」
「そう思い込まされているのだろう」
「思い込まされている?」
「アデラインは賢い。周囲も賢い。君一人の言葉など、簡単に曲げられる」
ロザベル様の顔色が白くなる。
私は、ペンを握り直した。
これは危ない言い方だ。
嘘を撤回しようとしている人に、また自分を疑わせる言葉。
「殿下」
ロザベル様は、震えながら言った。
「私は、自分で足を滑らせました」
「ロザベル」
「アデライン様は、私に触れていません」
「今なら、まだ戻れる」
王太子殿下の声が低くなった。
「君が混乱していたと言えばいい。父上も、王宮も、大事にはしない。君の家も守られる」
私は書いた。
王太子殿下、ロザベル・ミード令嬢に対し、混乱していたと述べれば家を守れる旨を発言。
ロザベル様が、私の帳面をちらりと見た。
見なくてもいいのに。
でも、見て少し息をした。
自分の周りに言葉が残っていると、人は少しだけ立てるのかもしれない。
「家を守るために、また嘘をつけということですか」
「違う」
「違うのですか」
「私は君を救おうとしている」
王太子殿下は身を乗り出した。
「ミード商会は危うい立場にある。君まで証言すれば、君の父はただでは済まない」
「父は、孤児院の物資を倉庫に入れました」
「それも、まだ確定していない」
「私は見ました」
「君は若い。書類の意味をすべて理解しているわけではない」
ロザベル様の指が、ぎゅっと袖を掴んだ。
私は昨夜の彼女を思い出した。
泣いていた。
震えていた。
嘘を言っていた。
たぶん、こうやって何度も「君はわかっていない」と言われてきたのだ。
「私は」
ロザベル様が言った。
「全部を理解していたわけではありません」
王太子殿下の表情が少し緩む。
「そうだ。だから」
「ですが、嘘をついたことは理解しています」
王太子殿下の言葉が止まった。
「孤児院の荷札を剥がしたことも、見ました。王妃殿下の慈善茶会用に並べ替えたことも、知っています。父の言う通りに、見ないふりをしました」
ロザベル様の声は弱い。
でも、途切れなかった。
「だから、証言します」
「やめろ」
王太子殿下の声が、初めて少し鋭くなった。
ロザベル様の肩が跳ねる。
私は書いた。
王太子殿下、「やめろ」と発言。
短い言葉は、紙の上で強く残る。
「ロザベル」
王太子殿下はすぐに声を戻した。
「君のためだ。裏帳簿のことまで話せば、君も無関係ではいられない」
部屋の空気が変わった。
私はペンを止めた。
裏帳簿。
東門で、ロザベル様は裏帳簿の存在を話した。
けれど。
ロザベル様は、ゆっくり顔を上げた。
「殿下」
「何だ」
「私は、裏帳簿の中身までは申し上げておりません」
王太子殿下の目が揺れた。
「それに」
ロザベル様は、袖の中から小さな鍵を取り出した。
「この鍵のことも、まだ申し上げておりません」
銀色の小さな鍵。
飾り気のない、事務用の鍵だった。
私は急いで書いた。
ロザベル・ミード令嬢、商会帳簿室の鍵と思われる小鍵を提示。王太子殿下、当該鍵の提示前に裏帳簿への言及あり。
エドウィン様が、監査官を見る。
監査官が一歩前に出た。
「ロザベル・ミード令嬢。その鍵は、何の鍵ですか」
「ミード商会本店、帳簿室奥の小金庫です」
ロザベル様は答えた。
「裏帳簿と、慈善局からの書状が入っています」
「なぜ、あなたが」
「父が、私に持たせました」
ロザベル様は、王太子殿下を見た。
「いざという時は、殿下へ渡せと」
王太子殿下の顔から、わずかに色が引いた。
アデライン様が静かに言う。
「いざという時とは、いつのことでしょう」
ロザベル様は目を伏せた。
「アデライン様を断罪した後、殿下が私を王宮に迎えてくださる時だと」
私は書いた。
長い。
重い。
でも、必要な言葉だった。
「ロザベル」
王太子殿下は、もう優しい声ではなかった。
「君は、自分の立場を理解していない」
「理解しています」
「ならば、鍵を渡せ」
「いいえ」
ロザベル様は、小さな鍵を両手で握った。
「これは、監査官に渡します」
王太子殿下が立ち上がった。
近衛兵が同時に動く。
エドウィン様も一歩前へ出た。
「殿下」
エドウィン様の声は静かだった。
「お座りください」
「私に命じるのか」
「監査官立ち会いの面会中です。証人への接近はお控えください」
王太子殿下は、しばらくエドウィン様を睨んだ。
その後、ゆっくり座った。
ロザベル様は震える手で、監査官へ鍵を渡した。
鍵が受け取られる音は、とても小さかった。
けれど、その場の誰もが聞いた。
「確かに預かります」
監査官が言う。
私は書いた。
監査官、ロザベル・ミード令嬢よりミード商会本店帳簿室奥小金庫の鍵を受領。
王太子殿下は、私を見た。
その視線は、初めてはっきりと敵意を含んでいた。
「記録係」
「はい」
「それも書くのか」
「はい」
「誰のために」
私は少し考えた。
アデライン様のため。
ロザベル様のため。
孤児院の子どもたちのため。
どれも間違いではない。
でも、たぶん一番正確ではない。
「後で、言っていないと言われると困るので」
王太子殿下は、笑わなかった。
当然だと思う。
私も、あまり面白いことを言ったつもりはない。
「面会はここまでです」
アデライン様が言った。
「ロザベル様は、証人として保護します。鍵は監査官へ。ミード商会帳簿室の保全をただちに」
エドウィン様が頷く。
「手配します」
ロザベル様は、力が抜けたように座っていた。
私は帳面を閉じようとして、やめた。
まだ終わっていない。
鍵が一つ出てきた。
ということは、開けるものがある。
嘘は、いつも口だけで終わらない。
どこかの棚に、どこかの箱に、だいたい紙を残している。
私は新しいページを開いた。
次の見出しを書き込む。
ミード商会帳簿室。
その文字だけで、少しインクが重く見えた。




