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「君なら黙って記録するだろう」と王子殿下はおっしゃいましたので 〜議事録令嬢は未来の女公爵様の記録官になります〜  作者: 神居 朔
第一章

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12/22

第12話 嘘つき令嬢は証人になった

 ロザベル・ミード令嬢は、王宮の東門で立ち尽くしていた。


 昨夜の夜会で見た時より、ずっと顔色が悪い。


 頬は白く、唇には血の気がない。

 けれど、背筋だけは妙にまっすぐだった。


 その隣で、ミード商会主が近衛兵に詰め寄っている。


「これは何かの間違いです。娘は体調を崩しておりまして、すぐに屋敷へ戻す必要があるのです」


「王宮監査官より、足止めの命が出ております」


「足止め? 商会主たる私をか」


「ミード商会主、およびロザベル・ミード令嬢です」


 近衛兵は淡々としていた。


 王宮の兵士は、こういう時、紙より硬い。


 私は帳面を開いた。


 東門。

 ミード商会主。

 ロザベル・ミード令嬢。

 王宮退出を試みる。


 書いている途中で、ロザベル様がこちらを見た。


 目が合う。


 私は少し困った。


 嘘をついた人と目が合うと、どこまで記録すればいいのかわからなくなる。


 嘘は書ける。


 でも、嘘をつく前に震えていた指までは、書いていいのだろうか。


「アデライン様」


 ロザベル様が声を出した。


 細い声だった。


 それでも、逃げる声ではなかった。


「私は、証言します」


 ミード商会主の顔が変わった。


「ロザベル」


「お父様」


 ロザベル様は振り向かなかった。


「私はもう、言われた通りに泣くのをやめます」


 私は書いた。


 ロザベル・ミード令嬢、「私は、証言します」と発言。


 その下に、少し迷ってからもう一行足した。


 同令嬢、「言われた通りに泣くのをやめます」と発言。


 言われた通りに泣く。


 変な言葉だ。


 でも、たぶん正確だった。


「娘は混乱しております」


 ミード商会主が言った。


「昨夜の件で、心身ともに疲れているのです。どうか、今日は屋敷で休ませていただきたい」


 休ませたい人は、たいてい相手を黙らせたい人でもある。


 もちろん、本当に休ませたいだけの人もいる。


 見分けるのは難しい。


 だから、私は発言だけ書く。


「ロザベル様」


 アデライン様が一歩前に出た。


 その声は静かだった。


 優しくはない。


 でも、冷たくもない。


「あなたは昨夜、私があなたを階段から突き落としたと証言しました」


「……はい」


「学院の奨学金を私が止めようとした、とも」


「はい」


「それは事実ですか」


 ロザベル様の指が震えた。


 昨夜と同じだ。


 けれど、昨夜と違って、今度は誰の袖も握っていない。


「事実では、ありません」


 ミード商会主が声を荒げた。


「ロザベル!」


 近衛兵が一歩動く。


 アデライン様は動かなかった。


「続けて」


「階段のことは、私が足を滑らせました。アデライン様は、私に触れていません」


 ロザベル様は言った。


「奨学金のことも、アデライン様からは何もされていません。止められると聞かされて、私はそう言えばいいのだと……」


 言葉が切れた。


「誰に聞かされましたか」


 エドウィン様が問う。


 ロザベル様は、すぐには答えなかった。


 父親の方を見そうになって、見なかった。


「父と、王太子殿下です」


 空気が、少しだけ重くなる。


 私は書いた。


 ロザベル・ミード令嬢、階段転落および奨学金停止に関する昨夜の証言は事実ではないと認める。父ミード商会主および王太子殿下より、当該内容を聞かされていたと発言。


 長い。


 長すぎる。


 でも、これは短くできない。


 長い嘘は、崩す時も長い。


「殿下は」


 ロザベル様は唇を噛んだ。


「私を選んでくださるとおっしゃいました」


 アデライン様の表情は変わらない。


 たぶん、痛くないわけではない。


 ただ、この人は痛みを顔に出す順番を自分で決めているのだと思う。


「私が勇気を出して真実を言えば、王家の古い婚約を正せると。アデライン様は冷たく、民の痛みを知らない方だから、私が隣に立つ方が国のためになると」


 ロザベル様の声が震えた。


「そう言われて、私は……嬉しかったのです」


 ミード商会主が顔をしかめた。


 私はペンを止めない。


「嬉しかった?」


 アデライン様が聞き返す。


「はい」


 ロザベル様は、逃げなかった。


「私は、嬉しかったのです。商会の娘でも、王子殿下に選ばれるのだと。公爵令嬢より、私の方が必要とされているのだと」


 それは、醜い言葉だった。


 でも、自分で醜いとわかって言っている声だった。


「だから、嘘をつきました」


 ロザベル様は言った。


「私は、嘘をつきました」


 私は書いた。


 ロザベル・ミード令嬢、自身の昨夜の証言を虚偽であったと認め、「だから、嘘をつきました」と発言。


 その一文を書いた時、ロザベル様の肩が少し落ちた。


 まるで、自分の首にかかっていた飾り紐を、自分でほどいたみたいだった。


「ロザベル様」


 アデライン様が言った。


「あなたが嘘をついたことは、消えません」


「はい」


「私を貶めようとしたことも、消えません」


「はい」


「ですが」


 ロザベル様が、少し顔を上げた。


「証言するというのなら、守ります」


 ミード商会主が鼻で笑った。


「守る? 公爵令嬢が、我が商会の娘を?」


「ええ」


 アデライン様は淡々と答えた。


「嘘をついた令嬢としてではなく、証人として」


「娘は証人などではありません」


「それを決めるのは、あなたではありません」


 アデライン様の声が、わずかに硬くなった。


「ロザベル様本人です」


 ロザベル様の目が揺れる。


 父親の声より、初めて自分の名前の方を聞いた顔だった。


「ロザベル様」


 アデライン様はもう一度呼んだ。


「あなたは、誰の証人になりますか」


 ロザベル様の喉が動いた。


「……自分の嘘の、証人になります」


 私は、書く手を止めかけた。


 自分の嘘の証人。


 変な言い方だ。


 でも、たぶん正しい。


「それから」


 ロザベル様は続けた。


「孤児院の物資が、ミード商会の倉庫に入っていたことの証人になります」


 ミード商会主が、今度こそ叫んだ。


「黙れ!」


 近衛兵が商会主の前に立つ。


 ロザベル様はびくりと肩を震わせた。


 でも、黙らなかった。


「王立孤児院宛ての小麦粉、毛布、薬草茶、冬用の靴。それらが、商会の倉庫に入っていました。荷札を剥がして、王妃殿下の慈善茶会の寄付品として出すように言われました」


 私は書いた。


 速く。


 でも、字を崩さないように。


「誰に」


 エドウィン様が問う。


「父です」


 ロザベル様は答えた。


「ですが、父は慈善局からの指示だと言っていました。慈善局副局長バルク卿からの書状も見ました」


「その書状は」


「商会の帳簿室に」


 ロザベル様は言った。


「裏帳簿と一緒に保管されています」


 裏帳簿。


 その単語が出た瞬間、ミード商会主の顔から血の気が引いた。


 わかりやすい。


 人は、書かれたくない言葉を聞いた時、とても正直な顔をする。


「ロザベル」


 ミード商会主の声が低くなった。


「お前は、自分が何を言っているかわかっているのか」


「はい」


 ロザベル様は、ようやく父親を見た。


「だから言っています」


 東門のあたりに、風が吹いた。


 ロザベル様の髪飾りが揺れる。


 昨夜はきらきらして見えたそれが、今日は少し重そうだった。


「アデライン様」


 ロザベル様は、深く頭を下げた。


「昨夜、私はあなたを傷つけました。謝って済むことではありません」


「ええ」


 アデライン様は言った。


「済みません」


 容赦がない。


 でも、優しさよりずっと誠実だった。


 ロザベル様は、少しだけ唇を震わせた。


「それでも、謝罪させてください。申し訳ございませんでした」


 アデライン様は、すぐには答えなかった。


 私はその沈黙を書かなかった。


 沈黙は、ときどき発言より重い。


 けれど、全部書くと紙が足りなくなる。


「謝罪は受け取ります」


 アデライン様は言った。


「許すかどうかは、今ここでは決めません」


「はい」


「あなたがこれから何を証言するかで、判断します」


 ロザベル様は、うなずいた。


「はい」


 私は書いた。


 アデライン・ロシュフォード、ロザベル・ミード令嬢の謝罪を受け取るが、許否は今後の証言により判断すると発言。


 少し硬い。


 でも、これくらいでいい。


 感情は、紙に乗せると形が変わる。


 だから、できるだけ正確な形で置きたい。


「ロザベル様」


 エドウィン様が言った。


「あなたを証人として保護する必要があります。商会屋敷へは戻せません」


 ミード商会主が笑った。


「娘を奪うつもりか」


「証人保護です」


「都合のいい言葉だ」


「はい」


 エドウィン様は、あっさり認めた。


「ですが、証人を連れ去ろうとした方には、少し不便な言葉かと」


 私は書きながら思った。


 エドウィン様は、時々かなり容赦がない。


 机を広くしてくれる人と同じ人とは思えない。


「保護先は」


 アデライン様が言った。


「ロシュフォード公爵家で引き受けます」


 ロザベル様が顔を上げた。


 ミード商会主が目を剥く。


「貴様、娘を人質に」


「証人として保護します」


 アデライン様は繰り返した。


「それに、あなたが本当に娘を案じているなら、王宮監査官の前で証言させればよいだけです」


 ミード商会主は、何も言えなかった。


 言えない沈黙は、かなりうるさい。


「ロザベル様」


 アデライン様が言う。


「来ますか」


 ロザベル様は、父親を見た。


 それから、私の帳面を見た。


 なぜ私の帳面を見るのかは、わからない。


 でも、彼女はそこに何かを探しているようだった。


「……はい」


 ロザベル様は言った。


「行きます」


 私は書いた。


 ロザベル・ミード令嬢、ロシュフォード公爵家による証人保護を受け入れる旨を発言。


 その時、王宮の内側から、従者が一人駆けてきた。


「エドウィン様!」


 従者は息を切らしている。


「王太子殿下より、至急の申し入れです」


 エドウィン様が眉を動かした。


「内容は」


「ロザベル・ミード令嬢と、二人で話したいとのことです」


 ロザベル様の顔が強張った。


 ミード商会主は、ほんの少しだけ笑った。


 私はその笑みを見た。


 見たけれど、書かなかった。


 まだ発言ではない。


「二人で」


 アデライン様が繰り返した。


「はい。殿下は、誤解を解きたいと」


 誤解。


 また便利な言葉が出てきた。


 嘘をついた人は、嘘がばれた後によく誤解と言う。


 私は帳面を開いたまま、ペンを持ち直した。


 ロザベル様が、かすかな声で言った。


「……一人では、会いたくありません」


 アデライン様は、すぐに頷いた。


「では、会わせません」


「ですが」


 ロザベル様は震える指で、自分の袖を握った。


「私が会わなければ、殿下は何も言わないかもしれません」


 エドウィン様が静かに見る。


 アデライン様も黙った。


 ロザベル様は、息を吸った。


「会います」


 その声は、弱かった。


 けれど、逃げてはいなかった。


「ただし」


 ロザベル様は、私を見た。


「記録係を、同席させてください」


 私はペン先を紙に落としそうになった。


 なぜ、そこで私を見るのか。


 非常に困る。


 アデライン様が、少しだけ笑った。


「もちろんです」


 エドウィン様が言う。


「では、面会は監査官立ち会いの上で。記録係同席。二人きりにはしません」


 私は書いた。


 王太子殿下、ロザベル・ミード令嬢との面会を希望。ロザベル・ミード令嬢、記録係同席を条件に面会を受け入れる旨を発言。


 次の記録が決まった。


 私は少しだけ、手元の紙を見下ろした。


 ロザベル様は嘘をついた。


 その嘘は消えない。


 でも、嘘をついた人が、次に本当のことを言えないとは限らない。


 問題は、その本当のことを、誰が残すかだ。


 私は帳面を閉じなかった。


 今日はまだ、閉じられそうにない。

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