第6話 ありがとう
「あのでかい段ボールって何に使うんすか」
獅堂は用務員さんに尋ねた。何気ない世間話でも始めるような口調だった。
「この後、学園長室に持っていくんだよ。学園長の古いデスクトップパソコンを入れるんだ」
「じゃあ今は空なんすね」
「そうだよ。じゃあちょっと写真撮るから、いいかな」
獅堂は素直に道を譲る。ただし、その立ち位置は計算の上だった。手前の個室の前へ何気ない動作で移動し、ドア下にある15センチほどの隙間を自分の足で自然に隠す。その隙間から万が一にも俺の死体が見えないようにするためだ。追い詰められた状況でも獅堂の頭は冷静に回っていた。用務員さんは獅堂の立ち位置に違和感を抱くこともなく奥の個室の前まで歩きドアを開いた。
その瞬間だった。獅堂が弾かれたように素早く動く。手前の個室へ滑り込むように入り、俺の体を一気に肩へ担ぎ上げる。どこをつかめば持ち上げやすいのか、どう動けば最短なのか、すべて知っている動きだった。それでいて物音だけは立てないよう細心の注意を払っている。しかもその最中ですら獅堂は用務員さんへ話しかけ続けていた。
「用務員さん、もしかして洋式のトイレになったりするんすか?」
「そうそう。グラウンド脇のトイレと同じのになる予定らしいよ」
「マジっすか、めっちゃ嬉しいっすわ」
あまりにも異様な光景だった。用務員さんはすぐ隣で起きていることにまったく気づかない。奥の個室からは、カシャッ、カシャッ、とシャッター音が響いてくる。その音に紛れるように、獅堂は手前の個室から静かに飛び出した。俺は自分の死体が荷物のように運ばれていく感覚を味わいながら、あまりの手際の良さに言葉を失っていた。
俺を肩へ担いだまま台車へ駆け寄ると、大きな段ボール箱の蓋を開ける。本当に空だった。すぐ近くでは水泳部がいつも通り練習を続けている。笛の音、水しぶき、掛け声が夏空へ響き渡る。誰一人として獅堂へ視線を向けていない。すぐ近くで死体が運ばれているなど夢にも思っていない。
獅堂は俺を段ボールの中へ無理やり押し込む。膝を強引に折り曲げ、後頭部を押さえつけ、少しでも体積を小さくしようとする。もちろん死人である俺は抵抗できない。身長160センチ、体重55キロの俺でも完全には収まりきらず、どうしても頭が少しだけ段ボールの上へ飛び出してしまう。
獅堂は小さく舌打ちすると自分のシャツを脱いだ。タンクトップ一枚の姿になり、奥の個室で用務員さんがまだ撮影を続けていることを横目で確認する。そして脱いだシャツを段ボールの上へ無造作にかぶせ、飛び出していた俺を隠した。はた目には脱いだシャツを段ボール箱へ置いているだけにしか見えない。もともと段ボールの上部は開いたままだったこともあり、不自然さはほとんどなかった。悔しいが、即興で思いついた偽装にしては上出来だった。
ちょうどその頃、奥の個室の撮影が終わったらしい。用務員さんがカメラを下ろし獅堂の方へ振り返る。
「君、どうしたの?」
「あ、いや、俺もなんか手伝おうかなと思って」
獅堂は何事もなかったように笑ってみせた。肩で息をしているのに声は落ち着いている。焦りは感じられない。こういう土壇場で平然と、それも相手に疑われない自然な嘘を口にできるところが厄介だった。
俺は意識を自分の死体へ戻した。もしかしたら指一本くらい動くようになっているかもしれない。そんな淡い期待を抱いて手の平へ意識を集中させる。力を入れる。動け、と何度も念じる。しかし指先はぴくりとも反応しなかった。呼吸も鼓動もない肉の塊は、俺の意思など受け付けていなかった。クソッ、と心の中で悪態をつくことしかできない。
「実はもう1人いると助かるなと思ってたんだ。もうすぐ撮り終わるから待ってて」
「うぃっす」
用務員さんは安心したように笑みを見せた。獅堂を親切な生徒だと信じ切っている。その光景が腹立たしかった。この獅堂という人間はとんでもない悪党だ。罪もない俺を殺し、その死体を段ボールへ押し込んだ張本人である。それなのに今は「助かるよ」と感謝されている。その皮肉な状況に吐き気すら覚えた。
一方の獅堂は小さく息を吐いていた。この場を何とか切り抜けたからだろう。強張っていた体から力が抜ける。確かに段ボールの中に俺を隠すという発想は良かった。それ以外にあの場を切り抜ける方法はなかっただろう。咄嗟の判断力だけは認める。だが俺には分かっていた。結局は俺が見つかるのを先延ばししたに過ぎないと。
この段ボールは学園長室へ運ばれ必ず開けられる。その瞬間、獅堂の負けは確定する。ここまで運と咄嗟の発想とでギリギリ乗り切ってきた獅堂も、さすがに次で詰みだ。どれだけ悪あがきしてもここから逆転する方法などない。獅堂が安心するにはまだ早すぎた。さすがにそれくらいは分かっているようで、獅堂は落ち着きなく歩き回っている。
何度も周囲へ視線を走らせ逃げ道を探している。しかし放課後の学園は部活動に励む生徒たちがあちこちにいる。誰にも見られず段ボールを運び出せる場所など存在しない。だからといって校舎内へ持ち込めば、教師や職員、教室でだべっている生徒の目がある。どちらへ進んでも結末は同じ。
「面白い展開になってきたね」
そう言って神はどこか楽しそうに笑った。映画のクライマックスを最前列で観賞している観客みたいだった。こいつは本当に性格が悪い。俺が勝とうが獅堂が勝とうが、そんなことはどうでもいいのだ。ただ予想外の展開が起こり、ハラハラして最後まで退屈しなければそれで満足なのだろう。獅堂とは別の意味で腹が立つ。
獅堂は次第に焦りが募っていく。逃げ道なんて見つかるわけもない。やがて獅堂は意を決したように台車の持ち手へ手を掛ける。用務員さんを振り切るつもりなのか。俺がそう思ったときだった。
「お待たせ。それじゃ、行こうか」
穏やかな声が背後から響く。獅堂は肩をびくりと震わせ反射的に振り返った。トイレ内の撮影を終えた用務員さんが、首からカメラを下げて戻ってきていた。用務員さんは獅堂の思惑など知る由もない。仕事を手伝ってくれる生徒がいることを素直に喜んでいる。その何気ない笑顔が、今の獅堂には地獄行きを告げる死神のように映っていたかもしれない。
「押してくれるの?」
「もちろんっす」
獅堂がわずかに引きつった笑顔を作った。
「ありがとう。君、名前は?」
「獅堂龍辰」
「獅堂君だね。覚えたよ。それじゃ、学園長室に行こうか」
獅堂は台車の持ち手を握り、用務員さんの隣を並んで歩き出す。台車を押す腕に力が入っている様子も見せず、俺1人分の重さなど存在しないかのようだ。本当に空の段ボールが載っているようにしか見えないだろう。190センチ近い体格と鍛えられた腕力が役立ってしまっている。世間話までする余裕を見せていた。
こうして俺の死体が入った段ボールは校舎の中、学園長室へ向かって進む。グラウンド脇から昇降口へ着くと、用務員さんは「車輪を洗うから」と言って足洗い場で台車を止めるよう促した。校舎内を汚さないための作業なのだろう。でもその何気ない一手間も獅堂にとってはミッションだった。
用務員さんがホースを手に取り蛇口をひねろうとする。用務員さんの視線が外れるその短い時間を獅堂は見逃さなかった。段ボールの下に手を入れる。底が抜けないよう慎重に、かつ素早く台車から俺の死体が入った段ボールを降ろした。残念ながら、用務員さんがこちらを振り返ることはなかった。
獅堂は車輪を洗いやすいよう台車をひっくり返した状態で、何食わぬ顔をして立っている。用務員さんはホースの水を車輪へ当て泥や砂を丁寧に洗い流していた。やがて蛇口を閉めるため再び視線を外す。獅堂は先ほどと同じように段ボールを素早く台車へ戻す。何事もなかったように持ち手を握る。
結局、用務員さんはここでも俺の存在に気づかなかった。それでも俺は絶望していなかった。目的地は学園長室。そこへ着けば段ボールは必ず開かれる。どれだけ獅堂が奇跡的にピンチを切り抜けても、それだけは絶対に避けられないと分かっているからだ。
2人は校舎内の廊下をゆっくり進む。何人かの生徒たちとすれ違う。用務員さんに挨拶する者もいれば、獅堂を見た瞬間に表情をこわばらせ足早に距離を取る者もいた。その段ボールの中に俺の死体が入っていることを誰も知らない。少し手を伸ばせば触れられる距離なのに誰一人として気づかない。
時刻は17時05分。残り時間は『30時間55分』。デジタル数字は1秒ずつ減り続けるが何も問題ない。もうすぐ学園長室だ。俺の勘違いかも分からないが獅堂の歩幅は小さく、歩く速さは遅くなっている気がした。
そのときだった。偶然にも廊下の向こうから1人の教師が歩いてくる。見慣れた顔だった。俺たち1年A組の担任、佐藤先生だ。生徒指導にも厳しく、獅堂にも臆することなく注意する数少ない教師だった。学園中の教師が面倒事を避けるように獅堂へ接する中、この人だけは違う。相手が誰であろうと間違っていることは間違っているとはっきり言う。
佐藤先生はこちらへ真っすぐ歩いてくる。そして台車の前でぴたりと立ち止まった。自然と通路は塞がれる。獅堂も用務員さんも足を止めるしかなかった。先生の足元には段ボールに隠された俺がいる。まさか、こんな幸運が俺に訪れるとは思わなかった。学園長室にたどり着く前にデスゲームは終わるかもしれない。そんな期待があった。
逆に獅堂にとっては予想外の新たな試練だった。少しでも不自然な態度を見せれば警戒される。獅堂は表面上こそ平静を装っていたが、その胸の内では心臓が激しく脈打っていた。佐藤先生は眉をひそめて獅堂をまっすぐ見据えた。
「獅堂、また授業サボってただろ」
獅堂は一瞬だけ表情を固くしたものの、何事もなかったように口元を緩め、いつもの気怠そうな笑みを浮かべた。
「体調悪くて」
「保健室には来てないって聞いたぞ」
「いやいや、保健室ってベッド一つしかないじゃないすか。俺以外のやつが体調悪くなったとき使えないのかわいそうでしょ。だから屋上で休んでたんすよ」
白々しい嘘だった。この真夏に屋上で休む理由など一つしかない。煙草を吸うためだ。それなのに獅堂は他人を気遣う優しい生徒であるかのような口ぶりで話した。それにしても適当な嘘がここまで淀みなく出てくるとは。
佐藤先生は深くため息をついた。その表情には呆れが浮かんでいる。獅堂の言葉が嘘なのはわかっている。それ以上追及したところで無駄なのも知っている。何を言っても言い訳を繰り返すだけ。そんな諦めが先生のため息には滲んでいた。
「これは?」
先生の視線が段ボールへ落ちる。段ボール越しに、俺は佐藤先生と目が合っていた。




