第20話 人間は奇妙な生き物だ
夏の熱気が屋上にまとわりつく中、鶴田さんの視線が高置水槽へと突き刺さる。ここに何かある。そう確信している人間が持つ目に見えた。
「中を調べろ」
指示を受けた1人の若い警察官が「はい」と短く返事をすると、すぐにハシゴへ足をかける。カン、カンと靴底が鉄を叩く音がして、1段上るたびに俺の緊張も少しずつ高まっていった。俺以上に獅堂の方が気が気じゃないだろう。
警察官の手が錆びついた高置水槽のふたに触れる。両手に力を込めてふたを回す。ギリギリと金属の擦れ合う音が響いた。俺の死体はすぐそこにある。あと数秒でふたが開く。薄暗い水槽の底に沈む俺の姿が警察官の目に晒される。ようやく終わる。獅堂もここまでだ。
期待と緊張が入り混じり、死んだはずの体が固くこわばるような錯覚さえ覚えた。いよいよ見つかる。そう思ったときだった。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
突然、獅堂が喉を掻きむしるような大声で叫んだ。耳をつんざく絶叫が屋上の空気を震わせる。警察官のふたを開ける手がぴたりと止まった。その場にいた全員が一斉に獅堂を見る。
「俺が殺した。屋上で寝てたら業者のやつが来て。こんな場所でサボるなって蹴られたんすよ。それでムカついて突き落としました」
呼吸を乱しながら肩を大きく上下させて獅堂は言い放つ。その声は震えていたが、俺には演技としか思えなかった。しかもメンテナンス業者さんは獅堂にフレンドリーで優しかった。蹴るどころか、初対面の獅堂にも気さくに笑いかけるような人だった。
「警備員2人を殺したのも獅堂さんですか?」
「はい。俺っす……」
そう言って獅堂は涙ぐんだ。目元を赤くし、今にも崩れ落ちそうな顔を作っている。事情を知らない人間が見れば、本気で後悔している少年に見えるかもしれない。肉を切らせて骨を断つ。獅堂はデスゲームに勝つためなら捕まってもいいと思っていた。つまりこの嘘の涙は獅堂が持っていた最後のカードだった。
「倉庫で殺してるね。理由は?」
獅堂は少しうつむき、言葉を選ぶように黙り込む。そして後悔と反省をにじませるような声で喋り出した。
「付き合ってる彼女からもらった指輪を倉庫付近で落として。それで、下校時間を過ぎて探してたら警備員が来て。早く帰れって言われたんすけど、大切な指輪だからもう少しだけ探したいって言ったんすよ……」
獅堂は両目から涙を流した。頬を伝う涙は夕日に照らされて光っている。もちろん口から出てくる言葉のすべてが嘘だ。
「そしたら警備員が胸ぐら掴んできて。そこからは取っ組み合いになって、気づいたら……」
そこで言葉を詰まらせうつむく。肩を震わせ小さく息を漏らす。その1つ1つの仕草は計算して作られている。第一、気づいたら大人2人を殺していたなんてあり得ないだろ。情状酌量を狙った安っぽい演技をする獅堂の心中に反省の色などない。ただ水槽のふたを開けさせないための芝居を打っているだけだ。
「詳しいことは署で聞きましょう」
鶴田さんは獅堂の言葉を真っ向から信じたわけではないだろう。そのうえで警察署に行き、全てを明らかにするつもりだと思う。
鶴田さんは腰の後ろへ手を回し、銀色に光る手錠を取り出した。
「18時28分、殺人の罪により手錠させてもらいます。よろしいですね?」
観念したのか、獅堂は小さく頷いた。それとも次の悪知恵を巡らせているのかもしれない。こいつはデスゲームに勝つためなら、自分の刑を少しでも軽くするためなら、どんな嘘でも平気で口にする男だ。
チャキッという冷たい金属音が静かな屋上に響く。冷たい鉄の輪が獅堂の両手を拘束した。
「鶴田さん。俺、取り返しのつかないことを……」
「そうですね。許されないことをしました。ですから、署についたら全て正直に話してください。それがあなたにできる唯一のことです」
「はい……」
獅堂は力なくうなだれ、小さな声で返事をした。その姿は罪を悔いる少年にしか見えない。でも俺には分かっている。その言葉も表情も涙も全てが自己保身のための虚言だ。死人に口なしをいいことに、身勝手な言葉を並べ立てるのが心底腹立たしい。それでも俺は黙ってその醜い芝居を見ているしかなかった。
ふたを開けようとしていた警察官がハシゴを下りていく。
俺は叫んだ。行かないでくれ。水槽のふたを開けてくれ。俺はここにいる。俺の死体がここに沈んでいる。頼む、俺を見つけてくれ。声が枯れるほど叫び続けた。だが俺の声は誰の耳にも届かない。もう誰も高置水槽を見ようとすらしない。屋上にいた全員の足が出口へ向かって動き始める。
獅堂は警察官たちに囲まれながら屋上を出て行った。またも期待は砕かれた。胸の奥へ重たい絶望が流れ込み、何もかも飲み込んでいく。16歳の獅堂が何年牢屋に入るのかは分からない。少年法により犯行時18歳未満は死刑にならない。一番重い刑罰でも無期懲役だ。多くは懲役10年以上15年以下で収まるケースが多い。
獅堂は自分の罪を軽くするためならどんな嘘でもつく。反省したふりをして涙を流し、都合のいい話を並べ立てる。もしかしたら心神喪失を演じて責任を逃れようとするかもしれない。殺された俺は反論すらできない。
許せない。獅堂は死ななければならない人間だ。あいつはいつかまた誰かの命を平然と奪う。何のためらいもなく他者の人生を壊す。そんな未来だけは絶対に止めなければならない。社会のためにも、警備員2人とメンテナンス業者さんのためにも、そして俺の無念を晴らすためにも。
なのに刑事たちは屋上の階段を下りていく。俺から希望まで一緒に離れていくようだった。そして獅堂から敗北の匂いはしない。手錠をかけられ自由を失ったのに、これから警察署へ連れて行かれるというのに、むしろ勝者であるかのようだった。実際、獅堂の口元がわずかに緩んだのを感じた。それは計算通りに事を切り抜けた人間が見せる仕草だった。
警察官たちは獅堂を連れて校舎を出た。外は夕焼けで空がオレンジ色に染まっている。俺も自分の目でこの夕日を見たかった。何気ない景色を何も考えずに眺めていたかった。その願いはもう2度と叶わない。
長く伸びた影が地面を覆っている。今日という一日が終わりに向かって進んでいる。俺は負けたのだ。勝利はすぐ目の前まで転がってきたのに、最後の最後で手のひらからこぼれ落ちた。獅堂は鶴田ら刑事数人に囲まれながらパトカーへ向かう。
そのときだった。獅堂はまさかの行動に出る。あろうことか、パトカーのドアが開いた一瞬の隙を突き、鶴田さんを蹴り飛ばしたのだ。そして走り出す。逃亡である。
刑事たちが怒号を上げ一斉に追いかけた。獅堂は手錠をかけられたままとは思えない勢いで駆け抜ける。その脚力は異常だった。誰1人として獅堂に追いつけなかった。あっという間に裏門から外へ飛び出した。
その瞬間、俺の視界は薄暗い水底に切り替わる。元の体に戻ったのだ。俺はすぐ神へ状況を尋ねた。神は腹を抱えて笑っていた。面白い見世物でも見ているような調子で素直に教えてくれる。神によると、獅堂は学園を飛び出してそのまま学園の裏に広がる森の奥へと逃げ込んだらしい。
警察は何をやっているんだ。あれだけの人数がいて、手錠をはめた16歳の少年1人を取り逃がした。信じられない失態だった。神は終始、獅堂の逃げっぷりを見てゲラゲラと笑っている。どこからどうやって獅堂を見ているのかは知らないが、最低の観客であることは間違いない。
「人間は奇妙な生き物だ。そうだろ、灰守」
神が楽しそうにつぶやいた直後だった。それまで晴れていた空が急に暗くなる。誰かの思惑であるかのように黒い雲が太陽を隠し、激しい雨が降り始めた。夏の夕立なんて生ぬるいものじゃない。滝のような豪雨だった。
俺のいる高置水槽にも大粒の雨が容赦なく叩きつける。ドドドドッという轟音が金属を震わせ、水槽の中へ反響した。生きていたら耳を塞ぎたくなるほどの音だっただろう。
そんなことより、この大雨だ。森へ逃げ込んだ獅堂の足跡は消えてなくなる。視界も悪くなり、警察の捜索は一気に難しくなるはずだ。どうしてここまで獅堂に都合のいいことばかり起こるのか。俺は神が裏で手を回したと疑ったが、もちろん神は否定した。本当なのか嘘なのかは分からない。
まぁそれでも、いずれ獅堂は捕まる。手錠のかかった状態でいつまでも逃げられるはずがない。どれだけ身体能力が高くても、体力があっても限界は来る。知らない誰かに助けを求めることさえできない。ただそれでも、俺がデスゲームに負けることは覆らない事実だった。その事実が何度も頭の中を駆け巡る。
夜になっても雨は降り続けた。止む気配すらない。むしろ時間が経つほど雨脚は強くなる。水槽を叩きつける雨音は激しさを増していく。
22時を過ぎた頃には、俺の体内で腐敗が本格的に進行していた。ガスによって体が膨張し、水の底から少しずつ浮かび上がろうとしている。真夏のうだるような暑さが腐敗を一気に進めたのだ。自分の肉体が内側からゆっくり崩れていくのを感じる。水槽の中には鼻を突く強烈な死臭が充満しているはずだった。
もし警察がこの水槽の中を確認するとしても明日だ。それでは意味がない。深夜24時になればこのデスゲームは俺の負けという形で決着する。俺の死体はこの世から消える。俺の存在そのものが最初からなかったことになる。両親の記憶からも泉羽の記憶からも俺は消え去る。俺という人間が生きていた証は何1つ残らない。
もう俺はすべてがどうでもよくなっていた。どうでもいいはずなのに、心のどこかで完全には諦めきれない自分がいた。俺は高置水槽の中で誰にも知られることなく静かに消えていく。そう思うと、死んだはずの俺の目から涙があふれ出たような気がした。
ところが予想外のことが起きる。時刻は22時31分。残り時間が『01時間29分』となったときだった。獅堂が学園へ戻ってきた。警察の目を盗み、全身ずぶ濡れで泥だらけになりながら、それでも再び学園へ戻ってきたのだ。両手にはまだ手錠がかかったまま。肩は大きく上下し、口を開けて荒い呼吸を繰り返している。
それでも獅堂は足を止めない。まっすぐ校舎へ向かって走っている。俺の頭の中でいくつもの疑問が浮かんだ。どうしてわざわざ学園に戻ってくるのか。警察から逃げるなら、学園からできるだけ遠ざかるべきだ。意味が分からない。もし学園に警察がいたらどうするつもりだったのか。確かに今、学園に警察の姿はない。警察どころか誰もいない。いるのは高置水槽の中に沈められた俺だけだ。
何か目的があるはずだ。何かをするためにこの場所へ戻ってきた。でもそれが何なのか俺にはまったく見当がつかなかった。獅堂の考えていることは読めない。
しかし獅堂のこの行動が、俺の死体隠しデスゲームの展開を大きく変えることになる。




