第19話 中を調べろ
刑事の鶴田さんが屋上の扉を開ける。昼間に吸収した真夏の熱気がコンクリートから立ち上がった。
そのとき学園のチャイムが鳴り響く。生徒たちに下校を知らせるためのチャイムだ。時刻は18時00分。昨日の13時に理不尽なデスゲームが始まって29時間00分が経過した。視界の端に浮かぶ無機質なデジタル数字は、残り時間『06時間00分』を示している。
屋上には、20代と思われる男性警察官が3人いた。警察官たちは地面を這いつくばるようにして何かを真剣に探している。そのうちの1人が、ピンセットを慎重に動かして小さな証拠をつまみ上げた。確保されたのは、獅堂が捨てたタバコの吸い殻だった。それは獅堂の傲慢さが生み出した決定的なミスだ。
獅堂の喉がゴクリと鳴る。
「鶴さん、プール脇に落ちてたタバコと同じ銘柄です」
「だそうです、獅堂さん。これが警察の仕事なんですけど、参考になりましたか?」
鶴田さんは獅堂を見て笑った。獅堂は心臓の鼓動を早めながら頷いた。
鶴田さんが図書室で獅堂から回収したタバコ、屋上に落ちていたタバコ、プール脇に落ちていたタバコ。それら全てから採取される唾液のDNAは一致する。逃れようのない科学の目が、獅堂の嘘をあぶり出そうとしている。
「犯人は、どうやってメンテナンス業者の男性を殺したんでしょうかね」
鶴田さんは獅堂に向かって話しかけた。
「中庭に投げて殺したんじゃないすか。俺、落ちてくるの見てたっすから」
「本当にそう思われます?」
鶴田さんは柔らかな表情で言った。しかしその声のトーンは低い。空気が冷えた気がした。圧倒的な経験と鋭い勘を持つこの老刑事は、獅堂の薄っぺらい嘘など見透かしているのだろう。
「60キロ強ある成人男性を、生きたまま投げることなんてできません。当然、抵抗しますから。どういうことか分かりますよね。殺した後に投げてるんです」
鶴田さんが歩を進めた先のコンクリート地面には、黒ずんだ赤い染みがこびりついていた。獅堂が突き落としたメンテナンス業者さんの血だ。そこで殺人が起きたのは明らかだった。
「突き落としたんでしょうなぁ。あそこから」
その太い指が指し示した先には高置水槽がそびえ立つ。その薄暗い水の底には俺の死体が沈んでいる。絶望に似た焦りが獅堂の全身を駆け巡っていることだろう。やはりこの鶴田という刑事は優秀だ。
「亡くなった被害者の会社に問い合わせたところ、彼は高置水槽の点検を行うつもりだったようです。ということは、犯人は被害者と一緒に高置水槽にのぼり、後ろから突き落としたと考えるのが妥当だと思います。そのあと、ここで首を踏みつけて殺した……」
「何で分かるんすか?」
「首元に踏まれたような跡がありましたから。指の形じゃありませんでした。仰向けになって苦しむガイシャの首を、見下ろす形で踏みつけて窒息死させたんです。残酷ですねぇ」
現場を調べただけで、ここまで正確に状況を言い当てられるものなのか。鶴田さんの言葉は獅堂の逃げ道を塞いでいく。生ぬるい風が吹き抜け、獅堂の背中の表面を冷たい汗が流れた。しかも呼吸が浅くなっているようだ。カナカナカナと物悲しく鳴く蝉の声が、獅堂を追い詰めるカウントダウンのように聞こえる。
「そして池の噴水に向かって被害者の遺体を投げた、と。自分の腕力でも試したかったんでしょうか。もしかすると、池に入った時にホールインワンと叫んでいるかもしれませんなぁ。んふふふふふっ。おっと、失礼。不謹慎でした。いずれにせよ、ろくな人間のやることじゃありません……」
そう言って鶴田さんは獅堂を見る。獅堂は地面を見たまま何も答えない。獅堂の安っぽい自信は完全に崩れていた。何か嘘を言えばボロが出ると本能で悟っているのかもしれない。固く唇を引き結び、額に浮かんだ汗を拭うことしかできない。
「そういえば獅堂さん、いい体つきをしてますなぁ。鍛えてるんですか?」
「まぁ、そこそこには」
「素晴らしい。私はこの通りビールっ腹ですから。あっはっはっはっは」
鶴田さんは自分のお腹をぽんぽんと叩いてみせた。あえて滑稽な姿をさらけ出し、獅堂の油断を誘っているのだろうか。愛想笑いを浮かべる獅堂の顔色は悪い。獅堂はこの老刑事が持つ推理力を理解している。だからいつもの軽快な嘘が出てこないのだ。
突然、屋上の扉が開いた。新人の若い刑事が重い足取りで現れた。彼の腕にはシンプルな造りの人形が抱えられている。「人形?」と獅堂が思わずつぶやく。声の端には隠しきれない動揺がにじんでいた。
「えぇ。人形で状況を再現するんですよ。身長170センチ、体重60キロ。実際に亡くなった彼はもう少し重たいですが、十分でしょう」
鶴田さんが言うには「捜査用人形」や「実況見分用マネキン」と呼ばれる道具らしい。この人形は、事件の現場で犯行の手口や被害者の倒れていた状況を再現し、検察へ提出するための証拠写真を撮るために使われるようだ。
身長や体重は亡くなった被害者の体格に合わせられていて、関節が動くように作られている。そのため犯行時の姿勢を細かく再現できるとのこと。またこの人形を使って犯人の供述に矛盾がないかも確認するという。
「そこまでするんすね」
「もちろんですとも。ガチですから」
鶴田さんは目尻のしわを深く刻んで笑った。けれどよく見るとその目は笑っていない。細められた目の奥には鋭い光が宿っていて、獅堂の表情や仕草をじっと見つめていた。対する獅堂は口元に笑顔を作っているものの、その笑い方は不自然だった。頬の筋肉がピクピクと小さく動いている。目の前の1人の刑事を相手にして、獅堂は明らかに緊張していた。
「あっ、そうだ……!」
鶴田さんは何か思いついたように軽く手を打つと、近くにいた若い警察官から人形を取り上げた。そのまま獅堂へ押し付けるように差し出す。獅堂は一瞬だけ眉をひそめたが、そのまま受け取らざるを得なかった。人形の硬い感触が手の平に伝わって腕が少し沈んだ。
「折角来てくれたわけですから、獅堂さんに捜査協力していただきましょう。獅堂さん、人形を池に向かって投げてくれませんか」
獅堂は「……は?」と言って困惑した表情を浮かべている。それを無視して、鶴田さんは腰につけた無線機を手に取る。
「今から池に向かって人形を投げる」
中庭にいる警察官へ伝えたようだ。鶴田さんの持つ無線機からザァーという無機質なノイズが聞こえ「こちら、いつでもオーケーです」という短い返事が返ってくる。
獅堂は状況をうまく飲み込みきれないまま、腕の中ののっぺらぼうな人形へ視線を落とした。その顔には目も口もない。それでも見つめ返されているような気味の悪さがあった。
「走って勢いをつけてもらって構いませんから、全力でお願いします。よろしいですよね?」
「いや……」
「あぁ、もちろん。無理にとは言いません。獅堂さんはまだ子供ですから。本来こんなことを子供にやらせたら、私が上から大目玉くらっちゃいます」
その言葉を聞いた瞬間、獅堂の表情が変わった。口元が固くなり、目つきまで険しくなる。機嫌が悪くなった小学生みたいだった。子供扱いされたことが気に入らなかったのだろう。鶴田さんはそんな獅堂の反応を見ても、表情ひとつ変えなかった。獅堂の出方を待っている。
獅堂はそんな鶴田さんを睨みつけるように見ながら、低い声で「やるっすよ」と吐き捨てた。その反応を見た俺は心の中で吹いた。単純な男だ。いや、単純というよりバカとしか言いようがない。鶴田さんは最初から獅堂の性格を利用するつもりだったのだろう。子供扱いしてやれば獅堂は意地になって乗ってくる。実際、その通りとなった。
獅堂は、自分が挑発に乗せられていることに気づいていない。あるいは気づいていながらも怒りをおさえられなかったのかもしれない。どちらにしても、獅堂は老練な刑事の手の平の上だった。
獅堂は腕の中の人形を肩に担ぎ直し、屋上の中央へ歩き出す。また同じことをするなんて思いもしなかったはずだ。それでもプライドを守るため「やる」と口走った以上、もう後には引けない。
獅堂は昼間と同じ助走距離の位置で立ち止まった。鶴田さんが薄ら笑いを浮かべながら「いつでもどうぞ」と合図する。
獅堂は大きく息をはいて駆け出した。靴底が屋上を力強く蹴る。一歩、また一歩と加速し、その勢いのまま屋上の端へ突っ込んでいく。落ちる、そう思った次の瞬間、獅堂は縁のギリギリで踏みとどまり、業者さんを投げたときとまったく同じ動きで人形を放り投げた。
人形は風を切りながら綺麗な弧を描いて中庭へ吸い込まれていく。その軌道を見ながら、俺は業者さんが落ちていった光景を嫌でも思い出してしまう。胸の奥がぎゅっと締めつけられた。しかし業者さんより数キロ軽いその体は、空中を滑るようにして池を越えていく。
次の瞬間、ガシャーンと乾いた音が屋上まで反響する。人形は地面へ激しく叩きつけられた。手足が四方へ飛び散り、無残な姿になってしまった。ただの人形だ。命なんて入っていない。それなのに背筋がぞくりと震えるような感覚があった。
「流石ですね、獅堂さん。あんな遠くまで投げられる人はそうそういませんよ。ご協力どうもありがとうございました」
鶴田さんが獅堂の近くまで来て言った。獅堂は笑わず、肩で息をしている。中庭で砕け散った人形を見つめ続けていた。馬鹿正直に全力を出したことへの後悔が、今になって押し寄せてきているのだろうか。必死に次の言い訳を探しているようでもある。だが獅堂の口から言葉は出てこない。
鶴田さんは獅堂の背中に手を回し、歩いて誘導する。その途中、鶴田さんはつぶやくように言った。
「残るは動機だけです。それだけがどうしても分かりません」
「……」
獅堂は何も喋らない。ただ歩いているだけだ。
「被害者のメンテナンス業者は、11時半から12時の間にこの屋上へ来ています。そして屋上にいたこの学園の男子生徒と会った。普通に考えれば、被害者と犯人は初対面だったと思われます。初めて会った人間を殺すほどの理由って、一体何なんでしょうか?」
鶴田さんは獅堂に質問した。その声は獅堂をいたわるようでもあった。獅堂を犯人と見据えたうえで、真実を自身の口から喋ってほしいという感じだった。獅堂は言葉に詰まる。まさかデスゲームの最中だなんて言えない。鶴田さんは獅堂の反応をじっと観察している。
「さあ……」
それが獅堂の精一杯の回答だった。あまりに情けない声だった。鶴田さんは残念そうに「そうですか」と言った。気づけば鶴田さんと獅堂は高置水槽のそばまで来ていた。
「もしかして、水槽の中に見られちゃまずいもんでも入ってるんですかね……」
鶴田はゆっくりと高置水槽を見上げた。銀色に光るその巨大なタンクの中には、冷たい水に沈む俺の死体がある。鶴田さんの目は確信に満ちていた。俺は興奮をおさえられなかった。胸の奥がドクン、ドクンと高鳴った。ついに、ついにこの時がやってきた。
周囲には若い警察官が4人いる。獅堂お得意の暴力は通用しない。今度こそ間違いなく見つけてもらえる。勝てる。俺がそう確信したとき、鶴田さんは部下に指示を出した。
「中を調べろ」




