第16話 自分の目で確認するといい
パトカーのサイレンが聞こえてきた。獅堂の動きがピタリと止まる。風に揺れていたライターの炎も消えた。
獅堂はライターをしまい、ゆっくりと立ち上がる。赤色灯が近づいてくる。授業を受けている生徒たちも窓から顔をのぞかせている。さっきまで静かだった学園に慌ただしい空気が流れ込んでいた。
獅堂はタバコを投げ捨て、正門や駐車場へ10台ほどのパトカーが入ってくるのを眺めていた。逃げたり隠れたりする様子はない。むしろその光景を楽しんでいるようにすら見えた。自分が起こした騒ぎがどんなことになっていくのか、特等席で観賞している観客みたいだった。
「楽しくなってきやがった」
獅堂はそう言ってニヤリと笑った。警察は自分を追い詰める脅威ではなく、デスゲームを盛り上げる演出とでも思っているのか。その感覚が俺には理解できなかった。だから心の中で、警察が獅堂を追い詰めてくれるよう願った。
余裕たっぷりな獅堂の顔を歪ませてくれるような、優秀な刑事が来てくれているといいのだが。最低でも、獅堂を逮捕して世の中の厳しさを教えてやってほしい。と言っても、獅堂が自分の罪の重さを理解する日は来ないことくらい分かっている。こいつは後悔して変われる人間じゃない。更生してどうにかできる奴じゃないのだ。警備員2人も業者さんも俺も、獅堂にとってはただの破壊対象でしかなかった。
だから罰はこのデスゲームで下すしかない。獅堂を止められるのは法律でも良き理解者でもない。死だ。死のみがこいつを止められる。警察官たちが最後の頼みの綱。どうか、屋上にある高置水槽のふたをあけてほしい。一目でいいから俺の顔を見てくれ。そんな思いを警察官たちに向かって飛ばした。届くはずのない声を届けようと本気で祈った。
獅堂はまだ温かい業者さんの遺体を担ぎ上げた。
「とりあえず、時間稼ぎをしてもらおうか」
一体何をするつもりだ。俺がそう思っていると、獅堂は突然、業者さんを肩に担いだまま屋上の端へ向かって走り出した。全力で屋上のコンクリートを蹴っている。最初は意味が分からなかった。ところが、ふと数秒後の状況がイメージできたとき、俺の背筋は凍りついた。嘘だろ、頭の片隅でそんな言葉がよぎる。
俺は無駄だと分かっていながら「止まれ!」と叫んでいた。もちろん俺の声は獅堂に届かない。ヒュッと風を切る嫌な音がした。業者さんの体はすでに空中にあった。獅堂は屋上の端から業者さんの遺体を放り投げたのだ。
眼下に広がる静かな中庭に向かって、業者さんの体が真っ逆さまに落ちていく。人形のように体から力が抜けていて、風にあおられている。
そして中庭の静寂が破られた。遺体は小さな池の中に落ち、バシャーンと激しい音が響いた。肉の破片が飛び散る。脳が拒絶するほどの光景だった。しかし起きていることは間違いなく現実だ。みるみるうちに池の水がどす黒い赤に染まっていく。
その酷い景色を見下ろして、獅堂は昂ぶる衝動を抑えきれない様子だった。
「しゃぁああっ! ホールインワン!」
これ以上に倫理を欠いた悪行があるだろうか。あるはずがない。にもかかわらず、恐らく誰も中庭で起きたことに気づいていない。学園の生徒たちは、未だ警察車両にざわついている。中庭で起きた出来事を知っているのは俺と獅堂だけだ。
「フォォオオオオオオォォォッ!!」
獅堂は獣のように喉を鳴らして吠えた。どれほど常識から外れたことをしても自分は許される。そんな歪んだ確信が獅堂の雄叫びには滲んでいた。そのことが獅堂の中にある万能感をさらに肥大化させていた。
獅堂は上機嫌に屋上を去る。階段を降り、廊下を歩く。4限目の授業はまだ始まって間もない。各教室からは教師の声が聞こえてくる。警察が学園に来たことも落ち着いたのか、生徒たちは静かに授業を受けていた。
そんな中、16歳の凶悪犯罪者である獅堂はラウンジスペースに向かっていた。いざ着くと、すぐに自販機で炭酸ジュースを購入した。ガコンという音を立てて落ちてきた缶を取り出す。さらに隣の自販機でアイスも買い足した。獅堂は椅子にどさりと腰を下ろした。テーブルの上に足を投げ出し、1人だけ少し早い昼休みを満喫し始めた。
大きな窓ガラスの向こうには中庭の池が見える。その中に溜まった水は赤く染まっている。凄惨な死体も転がっている。ついさっき、獅堂の手によって屋上から投げ落とされた業者さんだ。
それを見ながら、獅堂はゴクゴクと喉を鳴らしてジュースを飲む。ゲップをしてアイスをかじった。開放的なラウンジスペースで、獅堂は涼しい顔をしている。ついさっきおぞましい事件を起こした人物が、南国のバカンス気分でリラックスしていた。
時計の針はもうすぐ正午を指そうとしている。それは池の中から水が勢いよく吹き上がる時間を意味していた。
そのとき丁度、何も知らない用務員さんが中庭に入ってきた。あろうことか、池の方へと近づいてくる。こんな悲運な偶然があっていいのだろうか。獅堂は椅子の背もたれから背中を外した。体がぐっと前のめりになる。
「来い、来い……」
定刻の正午12時となる。白い水しぶきが勢いよく吹き上がった。その水圧で、凄惨な姿となった業者さんの遺体が打ちあがった。しかも業者さんの遺体は用務員さんの目の前へと転がっていく。
用務員さんの足がピタッと止まった。そして目の前のものが人の死体であるのを理解して悲鳴をあげた。腰を抜かしてその場にへたり込んだ。無理もない。ガタガタと身体を震わせながら、用務員さんは狂ったようにパニックを起こしていた。目の前にある光景を脳が現実として受け入れられないのだろう。一生もののトラウマだ。
それを見て獅堂は腹を抱えて笑っていた。肩を震わせ、ときおりテーブルを叩いていた。誰もいない静かなラウンジに、無邪気で残酷な笑い声が響いていた。
用務員さんはどうにか我に返ると、ふらつきながら立ち上がった。その場から走り去っていく。職員室へ報告に向かったのだろう。用務員さんの背中は恐怖に追い立てられているように見えた。
時刻は12時06分。デスゲームの残り時間が『11時間54分』になった頃、先生数人と警察官たちが池まで走ってやってきた。教師たちは目を背けたり、青ざめた顔で口元を押さえていたりしている。警察官たちは業者さんの遺体を確認し、無線でどこかへ連絡を取っていた。
そして1人のベテラン刑事の男が獅堂を見た。目が合った。年齢は60代くらいか。太った体格に白髪混じりのオールバック。立派な白と黒の髭をたくわえている。その姿にはいくつもの悲惨な現場を見てきたであろう貫禄があった。血や死に慣れている人間特有の落ち着きがある。その刑事は真っ直ぐ獅堂の元へ歩いてくる。
靴を脱いでラウンジスペースまでやってきた。
「どうも、どうも。ちょっとお尋ねしたいんですけど、あなたはここの生徒ですよね」
「そっすよ」
と答えて、獅堂はポケットから煙草を取り出し火をつけた。殺人事件の犯人とは思えないほどふてぶてしい。自分の部屋でくつろいでいるみたいな態度だった。刑事はタバコについては触れずに話を続ける。
「もしかして、あの方がお亡くなりになるところを見てたりしますか?」
「死ぬ瞬間をってことっすか。見てましたよ。おっさんが上から落ちてきて、グチャっと。飛び込みの練習でもしてたんすかね。飛び込むならプールに飛びこめっつうの。アハハハハ。刑事さんも、そう思いません?」
獅堂は笑みを浮かべて煙を吐き出した。刑事は獅堂の顔をじっと見つめている。表情の奥に隠れている何かを探ろうとしているみたいだった。獅堂もまた、その視線を正面から受け止める。2人の間には言葉にできない張り詰めた空気が流れていた。
この刑事は獅堂を怪しんでいる。少なくとも俺にはそう見えた。獅堂が平然と煙草を吸っていることも、人の死を笑い話みたいに語ったことも、刑事の中で大きな違和感として残ったはずだ。目の前の少年が普通でないことは明らかなのだから。
その後すぐ、プールに沈められた警備員2人の遺体も引き上げられた。いつの間にか校門前にはテレビ局も来ていた。校門から入ってすぐの広場には何台ものカメラが並んでいる。校舎のあちこちに警察官が立ち、教師と何かを話したり、敷地内を歩き回ったりしている。学校というより事件現場だった。
午後の授業は当然中止になり、昼食が始まる前に生徒たちは全員帰路についた。展開が急すぎて、多くの生徒は戸惑ったことだろう。獅堂も他の生徒たちと同じように校門を出て行った。ただ校門を出る直前、獅堂はテレビ局の取材を受けていた。先生は取材を無視するように言っていたが、お構いなしだった。
「すごく辛い状況ですけれど、今回の事件、どのように思われますか?」
「まさか自分の通ってる学校で殺人事件が起こるとは思わなかったっすね。マジ許せないっす」
獅堂は平然とした口調で喋った。自分はいかにも事件とは無関係だと言わんばかりだった。俺はテレビカメラに向かって「こいつが犯人です」と叫びたかった。
「まぁでも、実は1人、犯人じゃないかって怪しいやつ知ってるんすけど」
「その人物の名前を知っているということですか?」
「はい。いま行方不明になってる、灰守灯路ってやつっす」
あろうことか俺の名前を出しやがった。思い切り顔面をぶん殴りたい衝動にかられた。もちろん、体を動かせない俺にそんなことはできないわけだが。
神によると、学園で起きた事件はすぐ全国ニュースとなったらしい。前代未聞の形で、学園はそのまま夏休みに突入した。ただひとり、俺を残して。俺はまた高置水槽のふたの裏側を水の底から眺めるしかなくなった。薄暗い水がゆらゆらと小さく揺れている。高置水槽の外にある世界は見えない。
獅堂はもう学園に戻ってこない。事件現場である屋上に戻ってくれば警察に怪しまれる。そもそも校門には黄色い規制線が張られ、警察官も立っている。
何も起きることなく数時間が過ぎた。夕方になっても警察官が屋上へ来ることはなかった。期待していたような動きは何も起こらない。このまま誰にも見つからず終わるのだろうか。そんな弱気が胸の奥に湧き出た頃だった。
時刻は16時25分。昨日の13時にデスゲームが始まってから27時間25分が経過していた。残り時間は『07時間35分』と示している。神は笑いながら俺に言った。
「灰守、獅堂が学園に戻ってきたよ」
耳を疑うような話だった。普通なら学園に近づくことすらできないはずだ。だが神によると、獅堂は正門から堂々と入ってきたらしい。意味が分からなかった。
「自分の目で確認するといい」
そう言われ、俺は視界ジャックを再開する。なぜ獅堂が学園へ入れたのかすぐに分かった。獅堂は常識では考えられない方法で、当たり前のように規制線を越えていたのだ。その方法とは……。




