第13話 ……ない
獅堂は俺の死体を担いだまま屋上にやってきた。長く歩いたからか、さすがの獅堂も少し疲れているらしい。肩で息をしている。それでも苦痛は感じさせない。普通の人間ならとっくに音を上げているだろう。獅堂の肉体が俺と同じ16歳とは到底思えなかった。
獅堂は、屋上の奥にあるはしごの近くまで移動した。それから肩に担いでいた俺を背中に背負った。俺の腕を自分の肩へ回し、落ちないように位置を調整する。続いてポケットの中を探ると、警備員からもらった包帯を取り出した。そして俺の死体と自分の身体とを包帯でぐるぐる巻き始める。腕の下を通し、肩へ回し、さらに胴体へ巻き付ける。
獅堂は包帯を強く引っ張ってから「うしっ」と小さく言葉を吐いた。俺の身体は獅堂の背中へ一定程度の強度で固定されていた。獅堂は上を見上げ、はしごに手を伸ばした。途中で俺が落ちないようにするため包帯を巻いたらしい。
はしごの上にあるのは貯水タンクだ。確か高置水槽と言ったか。建物の屋上によく設置されている、あれだ。学園に送られてきた水道水を一度このタンクにためておき、重力を利用して各階へ水を供給する装置だったはず。そこまで考えたところで、俺は自分の体がこのあとどこへ隠されるのか想像できてしまった。
獅堂は一段一段確かめるようにはしごを上っていく。高所であるだけに、さすがの獅堂も動きは慎重だった。手でしっかりとはしごをつかみ、足を置く場所を確認しながら進んでいく。やがて高置水槽の上へ到着すると、獅堂はまず足場の状態を確認した。それから周囲へ視線を向ける。
遠くには街の明かりが灯っている。黒く沈んだ夜の中に、無数の光が浮かんでいた。道路を走る車のヘッドライトが細い線のように動き、マンションの窓からも小さな明かりが漏れている。その光の1つ1つには誰かの日常がある。
獅堂の視線の先には俺の家の明かりも混ざっていた。今このときも、両親は俺の帰りを待っているだろう。でも俺はもう帰れない。その事実が重くのしかかった。我が家は目に見える距離にあるのに、そこへ帰る道は永遠に閉ざされていた。
獅堂は自分の身体に巻き付けていた包帯をほどき始めた。きつく結ばれていた結び目が外されて、俺の身体を固定していた包帯が下へ落ちる。やがてすべて解かれると、支えを失った俺の身体はその場へぐったり横たわった。
獅堂は高置水槽の蓋を開ける。さびた金属のきしむ音がした。内部には薄暗い水面が広がり、かすかな光を受けて黒く光っている。水面に獅堂の顔が映っていて、その顔には満足感がうかがえた。
「ここがてめぇの墓場だ」
そう言い放つと、獅堂は俺を水の中へと突き落とした。水面が大きく揺れ、水しぶきが周囲へ飛び散った。
そのとき、俺の体が何か硬い物へ勢いよくぶつかった。壁面ではない。ゴンッという鈍い衝撃が水の中へ伝わる。何にぶつかったのかは分からない。俺は高置水槽の内部構造を知らない。だが、高置水槽の上部から真下へと伸びる金属の棒が見えた。俺の体がぶつかった衝撃でその棒が折れたようだ。この棒がどんな役割を果たしているのかは分からない。
獅堂はというと、部品が壊れたことを特に気にしていないようだった。大したことではないと思っているのかもしれない。獅堂は水槽の上から俺を見下ろしている。俺の体はそのまま水の中へ沈んでいく。だが死んでいる俺には息苦しさも痛みも冷たいという感覚もない。
それでも自分の体が深い水の中へ落ちていくのは言葉にできない辛さがあった。動物的な本能による恐怖だろうか。とにかく俺の中で不安が膨らんだ。水面がどんどん遠ざかっていく。やがて背中が高置水槽の底面にぶつかった。
「じゃあな、灰守。俺は帰って柔らかいベッドで寝るわ」
そう言って獅堂は水の中に唾を吐いた。やるべきことは全部終わった。あとは時間が過ぎるのを待つだけ。そんな考えが透けて見えるようだった。
獅堂はふたを閉めてその上へ腰を下ろした。一息ついて、しばらくの間なにも言わず夜空を見上げている。満月だった。突然、獅堂が笑い出した。ストレスが一気に解放されたような笑い方だった。その笑い声には興奮と達成感とが入り混じっている。
「勝った。俺の勝ちだ……ッ!」
獅堂は夜空に向かって叫んだ。自分が敗北する可能性など1パーセントもないと本気で信じているような叫び方だった。確かに高置水槽の中まで警察がわざわざ調べるとは思えない。悔しいが、死体を隠す場所としては最適だった。
俺の心情としてはもう諦めムードだった。残り時間が減っていくのを眺めながら結果を待つだけ。そんな気持ちになっていた。それでも一応、獅堂の視界ジャックを続けることにした。
獅堂は上ってきたはしごを下りた。最後の大仕事を終えたみたいな感じで、満足そうな表情を浮かべている。そのまま屋上を出て階段を下り、校舎の中を進んでいく。廊下には獅堂の足音が小さく響いていた。
やがて自分で割った窓の前まで来ると、獅堂はそこで立ち止まる。ガラスの破片に気をつけながら、床に置いていた靴を履く。それから窓枠へ足をかけ外へジャンプした。あとは家に帰るだけという感じで、校門へ向かって歩いた。
そしていざ獅堂が学園の外に出た瞬間だった。俺の視界が唐突に暗転した。さっきまで見えていた夜の景色も、聞こえていた獅堂の足音も一瞬で消えた。パソコンの電源が突然落ちたみたいだった。
獅堂の視界から切り離されたとすぐに分かった。視界ジャックが解除されたのだ。俺の意識は再び高置水槽に沈む自分の体の中へ戻っていた。
「学園の敷地外に出たら、視界ジャックは使えないルールだよ」
神は軽い口調でそう言った。そんな話は聞いていないと言いたくなったがやめておいた。獅堂が家でどんな生活をしているかなんて興味ない。何より見たくもない。
「灰守、今後の展開予想を聞こうか」
神の声は楽しそうだった。こっちは使命をかけてこのクソみたいなデスゲームへ臨んでいるというのに気楽なものだ。
「第二倉庫には獅堂の血が付着してる。それとプールサイドには獅堂の吸ったタバコの吸い殻も落ちてる。しかも警備員が殺された時間帯、獅堂は家に帰ってない。すぐに捕まるだろ」
俺の発言を聞いて神は子供のように笑った。
「獅堂が捕まるかなんてどうでもいいよ。重要なのは、デスゲームの展開そのものだ」
神はあっさりと言い切った。だが俺にとって獅堂が警察に捕まるかどうかは重要な問題だった。俺がこのデスゲームに負けたとしても、獅堂が逮捕、起訴されれば、裁判の結果によって罪を償うことになる。警備員2人の命を奪っているのだ。死刑になってもおかしくない。
そう思ったところで、ふとあることを思い出した。確か日本では、18歳未満に死刑判決は出ない。一番重くても無期懲役だった気がする。
もちろん獅堂が捕まったとしても無期懲役になる保証はない。獅堂のことだから、都合の悪いことは嘘でごまかし、自分の罪を少しでも軽くしようとするはずだ。また16歳という年齢も考慮され、数年で社会に出てくる可能性だってある。
結局、獅堂に罰を与えるうえで一番確実なのは、このデスゲームで勝つことだった。勝たなければ、殺された2人も俺も浮かばれない。そして勝つためには、俺の顔を誰かに見てもらわなければいけない。たった1人でいい。誰かが俺の顔を見てくれさえすればいいのだ。
「その通り。ちゃんと灰守の顔を認識できればオッケー。遠すぎたり、暗すぎて見えない、なんてことがなければ問題ないよ」
現在時刻は21時13分。俺に残された時間は『26時間47分』となっている。デスゲームが始まって8時間13分が経過していた。
「で、灰守。勝てる自信はあるのかな?」
「……ない」
思っていた以上に弱気な声が出た。明日、警察が学園に来ることで俺に有利な状況となるのは間違いない。それでも残り時間が足りない。短すぎる。
仮に警察が高置水槽の中を捜索したとしても、その頃にはタイムリミットが来ているかもしれない。35時間を過ぎてしまえば、デスゲームのルール上、俺の死体はこの世から消えてなくなっているはずだ。いや、俺の存在ごとなくなるのだから行方不明もなかったことになるのか。
不意に、獅堂の勝ち誇った不気味な笑顔が思い浮かんだ。思い出すだけでイラついてくる。あいつは生きていてはいけない人間だ。これから先も暴力で人を傷つけ、気まぐれに他者の命を奪うに決まっている。あんな凶悪な奴を社会へ野放しにしていいはずがない。
勝たなければ。勝たなければいけないのだ。もし負ければ、両親の記憶からも泉羽の記憶からも俺は消える。最初から存在しなかった人間となってしまう。それが現実味を帯びてきたせいだろう。光の届かない水の底に沈んでいるせいもあると思う。俺はひどくナーバスになっていた。胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
俺は心の中で両親に謝罪した。先にこの世からいなくなった親不孝な息子でごめん、と。何も親孝行できなかったし、別れの挨拶もできなかった。最後に交わした会話が何だったのかさえ思い出せない。たぶん「行ってきます」だろう。ある意味で別れの挨拶とも言えた。でも逆に悲しい気持ちになった。せめて「俺を生んで、育ててくれてありがとう」くらい言いたかった。
そしてもう泉羽に会えないことが辛い。くだらない話で笑い合ったことも、一緒に登下校した時間も、今思えば大事なものだった。当たり前すぎて、そのありがたさを忘れていた。失った後になって、とるに足らない平凡な日常こそが最も価値のあるものだと気づいた。そう、俺は泉羽が好きだったのだ。
本当にバカだと思う。こんなことになるなら、中学の卒業式が終わったあと、泉羽に告白しておけばよかった。別に振られたとしても、それはそれで仕方ない。高校でまた同じクラスになっても、泉羽なら今まで通りに接してくれただろう。あいつはそういう性格をしている。
胸の奥が苦しくなった。たった一言「好き」と伝えるだけだったのに、できなかった。なぜ勇気を出して伝えられなかったのか。ビビったのだ。俺は告白から逃げた。嫌われるのが怖かった。今までの関係が壊れるのが怖かった。
そのせいで、今となっては好意を伝える機会そのものがなくなってしまった。いつでも言えると思っていた。明日があると思っていた。当たり前に80歳まで生きると思っていた。いつでも泉羽と会える、そう思っていた。
でも、もう遅い。すべてが遅い。どれだけ後悔したところで時間は戻らない。もう1度だけ泉羽と話せるなら。せめてもう1度だけ、いつものように笑ってくれるなら……。暗い水の底で、そんな淡い願いを抱いてしまう。
この時の俺はまだ知らない。翌日、7月22日の午前、俺にも獅堂にとっても予想外の出来事が起こることを。そしてその出来事が、このデスゲームの流れを大きく変えることになる。




