第10話 おいっ!
誰かが勢いよくシャッターを持ち上げた。獅堂は振り返る。反射的に一歩後ずさるも、それ以上は動けなかった。俺が入った寝袋を担いだ状態で硬直している。寝袋を握る手にも自然と力が入る。ついさっきまで勝利を確信して笑っていた男の顔から余裕は消え失せた。
その人物はゆっくりと倉庫の中へ足を踏み入れた。制服姿と腰に下げた警棒を見て、相手が夜間巡回中の警備員であることが分かった。恐らく第二倉庫の窓から漏れる明かりに気づき様子を見に来たのだろうと思う。獅堂をまっすぐ見据えたまま、30代くらいのその男は低く静かな声で言った。
「ここの生徒? こんな時間に何してんの?」
獅堂は大人受けのいい人懐っこい笑顔を浮かべた。何も後ろめたいことはないと言わんばかりの自然な笑みだった。
「今日親戚がうちに泊まりに来てて。布団が足りないから寝袋を借りようと思ったんすよ」
「学校側に許可は取ってる?」
「そりゃそっすよ」
獅堂は当然のことのように答えた。しかし警備員は納得していない。その視線は獅堂の顔から肩へ担がれた寝袋へ移る。殺された俺の死体はその中へすっぽり収まっている。頭まで完全に隠れているため顔は見えない。それでも人一人が入っていることは見ただけで分かるはずだ。その重みも警備員には伝わっている。
警備員は眉間に深いしわを寄せたまま寝袋をじっと見つめる。その目は明らかに何かがおかしいと訴えていた。
「寝袋に誰か入ってるよね」
「あぁ……、これっすか、弟が。寝袋4つ必要なんで手伝えって連れてきて。使い心地に問題ないか試してんすけど、良さそっすね」
何が弟だ。中に入っているのは俺の死体だ。俺は警備員が寝袋の中を確かめてくれることを祈った。このデスゲームのルール上、俺の顔を見つけてもらうことが勝利条件となっている。頼む、警備員さん。自分の感覚を信じてくれ。あなたが怪しいと思っているその直感は正しい。人が入っているのに一言も喋らない。身じろぎ一つしない。そんな状況を普通だと思わないでくれ。あと少しだけ踏み込んで、ジッパーを開けて中を確認してくれ。
「弟さん、苦しいんじゃないの?」
「逆っす。寝てますもん、こいつ。アハハハハ」
「……」
警備員は笑わない。数秒にも満たない沈黙が長く感じられた。ジッパーを開けてくれ。中を見てくれ。
「じゃあ早く帰りなさい。下校時間は過ぎてるんだから」
「うぃっす。警備員さんもお疲れ様っす」
警備員は踵を返し第二倉庫を後にした。足音が少しずつ遠ざかっていく。獅堂はその音が完全に聞こえなくなるまでじっと動かなかった。
完全に立ち去ったと判断すると、獅堂は張り詰めていた肩の力を抜き、大きく息を吐き出した。俺の入った寝袋を肩から下ろしコンクリートの地面にドサッと置く。
まただ。また獅堂は危機的な状況を乗り越えてしまった。俺の胸には諦めにも似た感情が広がっていく。どうしていつもこうなるんだ。誰も俺に気づいてくれない。ルールを守れない不良の言うことなんか信じるなよ。疑ってかかるべきだろ。こいつは人殺しなんだ。俺は誰にも届かない叫びを心の中で繰り返した。
「その首からかけてるタオルの血はどうしたんだい?」
獅堂は肩をびくりと震わせ振り返る。さっき去ったはずの警備員がいつの間にか音もなくシャッターの前へ立っていた。油断したところを狙って引き返してたのかは分からない。
突然の質問に獅堂は面食らったような表情を浮かべた。しかし動揺したのはほんの一瞬だけだった。すぐに表情を取り繕うと、左手を差し出して平然と答える。
「昼に手を切ったんすよ」
警備員は確認するためゆっくり近づいてくる。獅堂の手の平の傷をじっと覗き込んだ。そのすぐ足元には俺がいる。獅堂の不意をついて開けてくれないだろうか。それでデスゲームは終わる。獅堂は存在ごと消滅する。この悪人を社会に出さずに済む。そんな願いが頭の中を駆け巡った。
しかしその淡い期待はあっさり裏切られた。警備員は傷を一通り確認するとポケットをごそごそと探り包帯を取り出す。
「一応、渡しておくよ」
「あざっす」
獅堂は包帯を受け取りその場で左手へ巻き始める。
「君の学年と名前を聞いてもいいかい?」
「1年の灰守っす」
俺は思わず「はっ……?」という声が出た。まさか獅堂が俺の名前を名乗るとは思わなかった。その理由を考えると、すぐ嫌な答えへたどり着いた。警備員は巡回中に出会った生徒のことを学園に報告するはずだ。だから獅堂は自分ではなく俺の名前を口にしたのだろう。後になって何か問題が起きたとしても、最初に疑われるのは行方不明になっている俺となる。自分へ向けられる疑いを俺へ全部押しつけている。吐き気がするほど胸くそ悪かった。
もっとも名前を偽ったところで外見までごまかせるわけじゃない。俺と獅堂では髪の色も体格も顔立ちもまったく違う。どちらにせよ獅堂の嘘は簡単に崩れる。それでも怒鳴りたくなるほど腹が立った。自分が殺した相手の名前まで利用してお咎めを回避しようとしている。どこまで腐ってるんだ、この男は。
「下の名前は?」
「……忘れました。いや、冗談っす。トージ。灰守トージ」
獅堂は軽口を叩いて笑ってみせた。しかし警備員は笑わない。表情を変えないまま手帳に名前を書き留める。その間も獅堂は受け取った包帯を左手へ巻き続けていた。最後は包帯の端を歯で噛み切り、余った部分をポケットへ押し込んだ。
警備員はメモを書き終えると手帳を閉じ、横たわる寝袋へ視線を向けた。その目にはまだ拭い切れない疑いが残っていた。しかしその視線はすぐに獅堂の顔へと移る。
「気を付けて帰るんだよ」
そう言い残して、警備員は第二倉庫を後にした。靴音が少しずつ遠ざかっていく。
正直、警備員が俺の死体を見つけてくれなかったことは残念だった。それでも俺は確信していた。あの警備員は確実に獅堂を疑っている。最後に寝袋を見下ろしたときの、あの慎重な目つきがそう言っていた。明らかに違和感を覚えている目だった。必ずこの件は学園へ報告される。それだけでも俺にとっては1つのプラスだ。
そして何より大きいのは、獅堂が頭の中で組み立てていた計画がもう通用しないということだった。あの警備員は、獅堂が帰ったことを確認するためまた第二倉庫へ戻ってくる。しかも次に来たときは、さっきより注意深く倉庫の中を調べるかもしれない。
つまり、俺の入った寝袋をこの第二倉庫内に隠すことはできなくなったということだ。いくら獅堂といえど、俺を備品の裏へ隠して一安心とは思えないだろう。たとえ警備員が俺を見つけられなかったとしても、明日になれば行方不明になった俺が最後にいた場所として、第二倉庫の中を徹底的に調べる可能性だってある。
もう状況は一変した。せっかく見つけた最高の隠し場所が、今や最も危険な場所になってしまったのだ。これは獅堂にとって新たなミッションだった。警備員が戻ってくる前に俺の死体をまた別の場所へ移動させなければならない。
「クソがっ……!」
獅堂は苛立ったように前髪をぐしゃぐしゃとかき上げ、壁へ拳をぶつける。それから落ち着きなく倉庫の外と中を何度も見比べては唇を噛む。焦りが全身からにじみ出ている。
俺の死体の最適な移動先が思いつかないのだ。獅堂の脳内ではいくつもの案が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返しているのだろう。あるいは1つも浮かんでいないのかもしれない。時間だけが容赦なく過ぎていく。焦れ、もっと焦れ。焦りは思考を鈍らせミスを誘う。
しかも獅堂にとって問題なのは、警備員が何人いるのか分からないことだった。そんな状況で寝袋を肩へ担いで外を歩くのはあまりにも危険だ。巡回中の警備員と鉢合わせる可能性があるし、さっきの警備員が無線で獅堂の情報を共有していても何ら不思議ではない。
さすがに弟を担いで学園内を移動するのは不自然過ぎる。見つかってしまえば、今度こそ言い逃れは不可能だ。寝袋の中身を確認されるに違いない。学園全体が獅堂を追い詰める檻へ変わりつつあった。
俺の死体を倉庫に置いても危険、外へ運び出しても危険。八方塞がりだった。考えれば考えるほど選択肢は減っていき、どの行動にも致命的なリスクがつきまとう。下手に動けばゲームは終わる。だからといって動かなければ、それでもゲームは終わる。獅堂は進むことも戻ることもできず、その場へ縫い付けられたように立ち尽くしていた。
「どこに隠せばいいんだよ……」
その声は獅堂とは思えないほど弱々しかった。余裕など一欠片も残っていなかった。沈んでいた俺の気持ちもこのときばかりは晴れていた。ここまで何度も紙一重で逃げ切られてきたが、今度こそいける。俺はそう確信した。
「あぁ、ションベンもしてぇし……」
そうつぶやいて、獅堂は一旦倉庫を出た。
倉庫脇を流れる雨水用の排水溝に沿って、獅堂は小走りで移動する。周囲は薄暗くなっていて、風に揺れた木の葉の音が聞こえる。スチール製の蓋が掛けられた場所まで来ると、獅堂は足を止める。ズボンを下ろして小便をしだした。ずっと我慢していたのだろう。それでも、ようやく用を足せたという安心した様子はない。
何度も首を動かし、薄い暗闇の中へ神経質な視線を飛ばしている。特に倉庫の入口は何度も確認していた。さっきの警備員が戻ってくることを恐れているのだろう。用を足している最中でさえ周囲を警戒しなければならない。それほど獅堂は追い詰められていた。
不意に、懐中電灯と思われる白い光が揺れた。学園でこの時間に懐中電灯を持って歩いている人物。そして、第二倉庫へ来る理由がある人物。あの警備員だ。俺が予想していたよりもずっと早く戻ってきた。獅堂の表情が固まる。もしかすると、最初から完全には立ち去っていなかったのかもしれない。近くに身を潜め、獅堂がどう動くのかを見張っていた可能性さえある。
「おいっ!」
獅堂は警備員に向かって鋭い声を張り上げた。警備員はその声に反応し振り返る。しかし彼は足を止めなかった。そのまま第二倉庫へ入っていく。獅堂はまだ小便の途中だった。それでも、もうそんなことを気にしている余裕はない。無理やり切り上げ、慌ててズボンを引き上げる。焦っているせいかズボンは上がり切っていない。それでも獅堂は構わず走り出した。
間に合え、間に合え。声には出していないが、獅堂は心の中ではそう叫んでいたはずだ。足がもつれそうになっても止まらない。息を荒くしながら地面を強く蹴る。そして第二倉庫の入口へたどり着くと、そのままの勢いで中へ飛び込んだ。
獅堂の目に映ったのは警備員の背中だった。警備員はしゃがみ込み、ファスナーへ手を伸ばしている。その指先が金具のプル部分をつまんだ。あとは手前へ引くだけ。たったそれだけの動作でいい。数秒もかからない。ファスナーが開けば、寝袋の中にいる俺が現れる。顔が見えればデスゲームは終わる。俺の勝ちだ。
これまで何度もあと一歩のところで逃げていった勝利が、今度こそ目の前にある。この悪夢みたいなデスゲームが、ようやく終わる……!




