第8話 崩れる均衡
竜の動きが変わり始めていた。
荒い。
怒りに任せて暴れている。
だが、それでも速かった。
黒い翼が大きく振られるたび、熱風が通りを吹き抜ける。崩れた建物の火が煽られ、火の粉が渦みたいに舞い上がった。
リナの額を汗が流れる。
息も少しずつ重くなっていた。
前へ出る。
避ける。
踏み込む。
それを繰り返しているのに、体が少しずつ鈍くなっていく。
(重い……)
前世の感覚なら、もっと深く入れていた。
もっと速く動けていた。
でも今の体は、そこまで届かない。
竜の爪が振り下ろされる。
速い。
避けきれない。
そう思った瞬間、横から火球が飛び込んだ。
竜の顔のすぐ横で弾ける。
視線がわずかに逸れた。
その一瞬で、爪の軌道がずれる。
リナは転がるように地面を抜けた。
石畳に手をつく。
熱い。
掌が焼けそうになる。
それでも、すぐ立ち上がる。
「……危な」
息を切らしながら、小さく笑う。
後ろで、セイルは笑えなかった。
心臓がうるさい。
手の震えも止まらない。
(今の……)
本当に、あと少しだった。
少しでも遅れていたら、間に合わなかった。
竜が大きく吠える。
耳の奥まで響く低い咆哮だった。
熱気が押し寄せる。
そのとき、セイルの目が止まった。
竜の胸元。
黒い鱗が剥がれ、赤黒い傷が覗いている。
さっき、リナの剣が入った場所だった。
(あそこ……)
言いかける。
でも、その前にリナが動いていた。
竜の懐へ踏み込む。
爪が来る。
尾が唸る。
その全部を紙一重で避けながら、前へ出続ける。
ほんの一瞬。
竜の動きが大きく開いた。
セイルの指先に熱が集まる。
火球を放つ。
竜の視界が揺れる。
その隙に、リナが深く踏み込んだ。
剣が、傷口へ吸い込まれる。
鈍い感触。
今までより、ずっと深い。
竜が大きくのけぞった。
咆哮が空を震わせる。
吹き荒れた風で煙が流れ、焼けた街並みが一瞬だけ見えた。
崩れた家。
逃げ惑う人影。
燃える瓦礫。
その中で、リナだけが止まらない。
竜を真っ直ぐ見上げたまま、もう一度剣を構えた。
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