第5話 竜の影
外へ出た瞬間、熱気が押し寄せてきた。
息を吸っただけで喉が焼ける。煙と焦げた木の匂いが鼻の奥に張りつき、目が少し痛んだ。風が吹くたび灰が舞い上がり、白く濁った景色の向こうで、人の悲鳴が重なっている。
城下の一角が崩れていた。
石壁は砕け、屋根は焼け落ち、通りには火の粉が散っている。倒れた荷車のそばで誰かが泣いていた。兵士の怒鳴り声も聞こえる。けれど何が起きているのか、一目では分からないほど混乱していた。
その上に――いた。
竜。
あまりにも巨大で、最初は空が欠けているように見えた。
黒い翼がゆっくり開く。
それだけで熱を含んだ風が吹き荒れ、煙が渦を巻いた。陽の光を受けているはずなのに、鱗は鈍く暗い。まるで光そのものを飲み込んでいるみたいだった。
リナは止まらなかった。
地面を蹴る。
瓦礫を飛び越え、そのまま真っ直ぐ竜へ向かう。
「ちょ、ちょっと待ってくださいって――!」
後ろからセイルの声が飛ぶ。
だが、リナは振り返らない。
速い。
今の体でも、人よりずっと速い。
それでも、足りなかった。
(……遅い)
前世の感覚より、わずかに。
踏み込みも、加速も、全部少しだけ鈍い。
その違和感が、ひどく気に入らなかった。
竜の頭がゆっくり動く。
巨大な瞳が、こちらを見た。
次の瞬間。
喉の奥が赤く光る。
「――っ」
来る。
考えるより先に、リナは横へ飛び込んだ。
直後、炎が地面を薙いだ。
轟音。
熱風が遅れて背中を叩く。石畳が赤く焼け、端からどろりと溶けていく。肌がひりつく。髪の先が熱で揺れた。
熱い。
でも、止まるほどじゃない。
リナはそのまま竜の懐へ潜り込む。
近い。
近くで見ると、竜はさらに大きかった。脚一本だけで柱みたいに太い。鱗の隙間から漏れる熱だけで空気が歪んでいる。
剣を振る。
届く。
そう思った。
だが。
刃は、わずかに空を切った。
「……っ」
足りない。
本当に、ほんの少しだけ。
リナはすぐに踏み込み直す。
その瞬間、竜の前脚が持ち上がった。
速い。
巨体とは思えない速度だった。
咄嗟に跳ぶ。
黒い爪が目の前を通り過ぎた。風圧だけで体が持っていかれそうになる。着地した瞬間、足が少し流れた。
重い。
今の体では、完全には受け切れない。
それでも、前へ出る。
止まる気はなかった。
後ろで、セイルが立ち尽くしていた。
頭では分かっている。
逃げろと。
無理だと。
でも、目が離せなかった。
大きい。
速い。
恐ろしい。
竜が動くたび、空気そのものが震える。
なのに。
リナは真正面から向かっていく。
(なんで……)
理解できない。
竜の尾が横薙ぎに振られる。
巨大な黒い塊が、通りを丸ごと潰す勢いで迫った。
リナは身を低く落とす。
髪をかすめて尾が通り過ぎた。
その風圧で灰が舞い上がる。
視界が白く濁る中、リナはそのまま剣を斬り上げた。
だが、また届かない。
ほんのわずか。
その距離だけが、何度も残る。
「なんで……」
セイルの指先が震える。
おかしい。
動きは速い。
踏み込みも鋭い。
なのに、少しだけ届かない。
前に出すぎているような。
でも、引けば間に合わないような。
うまく言葉にできない違和感が、ずっと引っかかっていた。
その間にも、リナは止まらない。
見る。
避ける。
踏み込む。
考える前に体が動いている。
竜が大きく息を吸った。
喉の奥が、再び赤く染まる。
炎が来る。
その瞬間だった。
ようやく、セイルの足が動いた。
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