第4話 勇者ではない二人
王の間は静かだった。
天井は高く、石の柱が左右に並んでいる。柱の表面は磨かれていて、窓から差し込む午後の光を鈍く反射していた。
赤い絨毯が玉座までまっすぐ伸び、その両脇には家臣たちが等間隔に並んでいる。
誰も動かない。
空気だけが重かった。
セイルは、扉をくぐった瞬間から居心地の悪さを感じていた。
視線が集まる。
自分を見ている。
勇者を見る目だった。
(やめてほしい)
そう思う。
けれど、口には出せない。
隣では、リナだけがいつも通りだった。
緊張している様子もない。
むしろ、少し不満そうですらある。
「来たか」
王の声が落ちる。
低く、よく通る声だった。
二人は玉座の前で立ち止まった。
「そなたが、勇者の剣を抜いた者か」
王の視線がセイルへ向く。
逃げ場がない。
「……はい」
返事は小さかった。
王はしばらくセイルを見つめ、それから静かに口を開く。
「魔王軍の動きが、ここ最近急激に活発になっている」
王の間の空気がさらに静まった。
家臣たちは微動だにしない。
「勇者よ」
王が続ける。
「世界を救え」
その言葉を聞いた瞬間、セイルの顔から血の気が引いた。
「……僕には出来ません」
はっきりした拒絶だった。
一瞬だけ、空気が揺れる。
家臣たちがざわめいた。
リナは横目でセイルを見る。
王がゆっくり目を細めた。
「なぜだ」
セイルは唇を噛む。
少し迷ってから、ようやく声を絞り出した。
「……僕は、勇者じゃありません」
「剣は抜けた」
「抜けてしまっただけです」
「それでも選ばれた」
「戦ったこともありません。剣も使えません。そんな僕が、魔王を倒すなんて……無理です」
言葉を口にするほど、自分でも情けなくなる。
でも、それが本音だった。
期待されるたびに苦しくなる。
自分には出来ないと、自分が一番よく分かっていた。
王の間に沈黙が落ちる。
その空気を破ったのは、リナだった。
「それも違う」
今度は別の意味で空気が止まった。
王がゆっくり視線を向ける。
「何がだ、リナ」
「勇者って話」
「どういう意味だ」
「だって、これでしょ?」
リナは隣のセイルを指さす。
遠慮がない。
「……ほんとに?」
確認するみたいにもう一度言う。
セイルは困った顔で口を開き、閉じた。
「……僕も、違うと思ってます」
「でしょ」
「でしょ、ではない」
王が額を押さえる。
後ろで家臣の一人が青ざめていた。
リナは気にせず続ける。
「私が勇者だと思うんだけど」
「剣は抜けなかっただろう」
「それはそうなんだけど」
「ならば――」
「でも納得いかない」
王は深く息を吐いた。
リナはまっすぐ王を見る。
「こんな頼りないの、勇者っぽくないし」
セイルが小さく傷ついた顔をする。
「……すみません」
「謝るところじゃないよ」
リナは本気でそう思っている。
悪意はない。
ないから余計にひどい。
王の間の空気がさらに重くなる。
それでも王は静かに言った。
「しかし現に剣は抜かれた」
「ふーん」
「勇者の剣が選んだのだ」
「剣の見る目なくない?」
とうとう後ろで侍女が小さく悲鳴を上げた。
セイルはおろおろと王とリナを見比べるしかない。
「……僕は本当に、勇者なんかじゃ」
「うん」
「……」
「だから……無理です」
「ふーん」
リナは少しだけ考える。
「じゃあ、どうすんの」
セイルは答えられなかった。
口を開きかけて、閉じる。
何も出てこない。
ただ、この場から逃げたいと思った。
リナも答えを持っているわけではない。
ただ、譲りたくないだけだ。
勇者という席を、この頼りない少年に簡単に渡したくなかった。
王が低く告げる。
「魔王は待ってはくれぬ」
「……」
「たとえ不完全でも、動かねばならない」
セイルは黙り込む。
リナはその横顔を見る。
頼りない。
おどおどしている。
こんなのが勇者なんて、やっぱりおかしい。
それがどうしても気に入らなかった。
「お父様」
リナが口を開く。
「私が行く」
家臣たちが息を呑む。
「リナ」
「こいつじゃ無理でしょ」
「……」
「……そう、ですね」
セイルが小さく言った。
王はしばらく二人を見ていた。
そのときだった。
床が大きく揺れた。
鈍い振動が足元から突き上げる。
天井の梁が軋み、柱の間に吊られていた燭台が激しく揺れて音を立てた。窓から差し込んでいた光が、舞い上がった埃で白く霞む。
遅れて、外から悲鳴が上がった。
「なに……?」
リナが振り向く。
その直後、王の間の扉が勢いよく開かれた。
「陛下!」
兵士が駆け込んでくる。
顔色が悪い。
「竜が……! 城下に……!」
一瞬、場が凍った。
家臣たちのざわめきが一気に広がる。
「被害は!」
王の声が落ちる。
「民家が数軒……すでに炎が……!」
遠くで何かが崩れる音が響いた。
重く、嫌な音だった。
セイルの喉が鳴る。
(竜……?)
思考が追いつかない。
ついさっきまで勇者の話をしていたはずなのに。
「勇者よ」
王の視線が落ちる。
セイルの体が強張った。
「出よ」
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
周囲の視線が一斉に集まる。
家臣も、兵士も、侍女も。
誰もがこちらを見ていた。
逃げ場はない。
「……無理です」
セイルはかろうじて言った。
だが、誰も動かない。
誰も代わろうとしない。
沈黙だけが重くのしかかる。
その横で、リナが一歩前に出た。
「私が倒してくる」
軽い声だった。
迷いがない。
「え――」
セイルが顔を上げる。
リナはもうこちらを見ていなかった。
出口へ向かって歩き出す。
「ちょっと――」
止める言葉が出ない。
出たとしても、止まらないと分かっていた。
「待ってください!」
それでも声が出る。
リナは振り返らない。
「無茶ですって! 竜なんて――」
「知ってる」
あっさり返ってくる。
「じゃあ――」
「でも行く」
それで終わりだった。
リナはそのまま駆け出す。
開いた扉の向こうから、煙の匂いが流れ込んできた。
焦げた木と、熱を帯びた風の匂い。
セイルは立ち尽くす。
(なんで)
足が動かない。
(なんで行くんだ)
理解できない。
勝てる相手じゃない。
戦える相手でもない。
外から咆哮が響いた。
空気が震える。
遠くで壁が崩れる音がした。
一瞬だけ、リナの背中が見える。
小さくて。
細くて。
危なっかしい。
「……っ」
足が動いた。
「ちょっと、待って――」
止めるためなのか。
追いかけるためなのか。
自分でも分からないまま、セイルは走り出していた。
読んでいただきありがとうございます。
少しずつ更新していきます。




