第3話 廊下ですれ違う
昼を少し回った頃、王城の空気がまた慌ただしくなった。
「リナ様、王がお呼びです」
部屋の前まで来た兵士が、硬い声でそう告げる。
「今?」
「今です」
妙に即答だった。
リナは椅子から立ち上がる。
王が呼ぶ理由は、だいたい予想がついていた。
「勇者のこと?」
歩きながら訊ねる。
兵士は少しだけ視線を逸らした。
「……王の間でご説明があります」
「いるんだ」
「…………」
「いるんだね」
兵士は答えなかった。
でも、その沈黙だけで十分だった。
リナは少しだけ口元を上げる。
(どんなやつかな)
⸻
王の間へ向かう廊下は長い。
高い窓から午後の光が差し込み、磨かれた石床の上に白い帯を作っていた。赤い絨毯はその光を受けて淡く色を変え、古くなった端だけ少し擦れている。
静かな廊下だった。
響くのは足音だけ。
兵士の革靴の音と、リナの軽い足音が、交互に石壁へ反射している。
その向こうから、人の気配が近づいてきた。
別の兵士に連れられた少年が一人、こちらへ歩いてくる。
背は高すぎず低すぎず。
立派な服を着せられているが、明らかに着慣れていない。袖口が少しずれていて、本人は気づいていないらしかった。
肩がわずかに縮こまり、視線は床と壁の間を落ち着きなく行き来している。
目立たない。
第一印象は、それだった。
リナは足を止めた。
「ねえ」
呼ばれた少年――セイルがびくりと肩を揺らす。
一瞬、本気で自分に声をかけられたと分かっていない顔をした。
「……え?」
「ちょっと止まって」
兵士たちが困った顔をする。
だが、リナは気にしない。
そのまま近づいていき、真正面からセイルの顔を覗き込んだ。
「ちょ、近……」
「ちょっと顔見せて」
「顔、ですか?」
「うん」
セイルは困ったように視線を泳がせる。
逃げたい。
でも逃げられない。
そんな顔だった。
リナはじっとその顔を見る。
整ってはいる。
弱々しいというほどでもない。
でも。
(勇者……?)
どうしてもしっくりこない。
目の前にいるのは、伝説に選ばれた英雄というより、突然知らない場所へ連れてこられて困っている普通の少年だった。
「……ふーん」
しばらく見たあと、リナは小さく呟く。
「な、なんですか」
「別に」
少し考えてから、首をかしげた。
「……これが勇者?」
セイルは固まった。
「……違います」
ほとんど反射みたいに否定する。
「僕じゃないです」
「だよね」
「だよね、って……」
後ろから侍女の声が飛んだ。
「リナ様!」
「なに?」
「その方にご迷惑をおかけしないでください」
「かけてないよ」
「かけています!」
セイルは慌てて首を振る。
「い、いえ、大丈夫です」
「ほら」
「ほら、ではありません!」
侍女が頭を抱えている。
リナは気にせず、もう一度セイルへ向き直った。
「名前は?」
「セイル、です」
「ふーん」
その名前を一度だけ頭の中で転がす。
それから、少しだけ視線を細めた。
自信なさそうなところ。
困るとすぐ視線が泳ぐところ。
なんとなく、昔の知り合いに似ている気がした。
もちろん、そんなはずはないのだけれど。
「私はリナ」
「……はい」
「よろしく、セイル」
「は、はい」
兵士が小さく咳払いをする。
「リナ様、セイル様。王がお待ちです」
「じゃあ一緒だ」
「……え?」
「王の間」
「あ、はい……」
結局そのまま、二人は並んで歩くことになった。
⸻
少しだけ沈黙が落ちる。
足音が二つになった。
さっきまで静かだった廊下が、少しだけ違って聞こえる。
先に口を開いたのはリナだった。
「ねえ」
「は、はい」
「剣、抜いたの?」
「……抜けてしまった、というか」
「ふーん」
「本当に、僕じゃないと思うんですけど」
「それは同意」
「同意なんだ……」
セイルが小さく肩を落とす。
リナはその横顔を見ながら、やっぱり変だと思っていた。
こんな頼りない少年が勇者だと言われても、どうにも納得できない。
認めたくない。
譲りたくもない。
重い扉の前で、兵士たちが立ち止まる。
「リナ様、セイル様をお連れしました」
低い声とともに、王の間の扉がゆっくり開いた。
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