第18話 眠れない夜
夜は静かだった。
宿の外では風が鳴っている。窓の隙間から入る冷たい空気が、部屋の薄いカーテンをわずかに揺らしていた。遠くで犬が一声鳴いて、それきり静かになった。
リナは目を開ける。
暗い。
小さな部屋だった。
城の寝室とは比べものにならないくらい狭い。天井の木目が、窓から差し込む月明かりに薄く浮かび上がっている。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
しばらくぼんやり天井を見る。
それから、ふと気づいた。
廊下の向こうで、小さく床が鳴った。
⸻
部屋を出る。
宿の廊下には、もう灯りがほとんど残っていなかった。
階下から漏れる橙色の灯りだけが、床を薄く照らしている。どこかの部屋からいびきが聞こえ、風が吹くたびに宿の古い壁がかすかに軋んだ。
廊下の窓の前に、セイルが立っていた。
ぼんやり外を眺めている。
窓の外には、夜の町が見えた。
家々の灯りはほとんど消えていて、石畳が月明かりを受けて鈍く光っている。遠くで犬の鳴き声だけが聞こえていた。
「寝ないの?」
リナが声をかける。
セイルが肩を揺らした。
少し驚いた顔で振り返る。
「……リナ様」
「眠れない?」
セイルは少し黙った。
「はい……」
夜風が廊下へ入り込む。
少し冷たい。
「怖い?」
不意に、リナが訊く。
セイルはすぐには答えなかった。
窓の外を見る。
静かな町。
暗い街道。
その先へ続いていく、知らない場所。
「……分からないです」
小さい声だった。
「急に、色々変わったので」
リナは黙って聞いていた。
「本当なら、村から出ることもなかったと思いますし」
廊下の端で、風が小さく唸った。宿の壁が、またかすかに軋む。
「でも」
リナが言う。
「旅って、ちょっと楽しくない?」
セイルは少しだけ目を瞬かせる。
「……楽しい、ですか?」
「うん」
リナは窓の外を見る。
月明かりの中で、石畳がひっそりと光っていた。
「知らない場所いっぱいあるし、美味しいものもいっぱい知れるし」
少しだけ間が落ちる。
「……今日のパン、美味しかったです」
セイルが小さく言った。
リナが笑う。
「でしょ」
夜風が静かに吹き抜ける。
不思議だった。
まだ知り合って数日しか経っていない。
それなのに、こうして話していると少しだけ落ち着いた。
理由は分からない。
でも、その感覚は嫌じゃなかった。
窓の外では、夜の町が静かに眠っている。町の輪郭が月明かりの中にぼんやりと浮かび、煙突の先からかすかに煙が立ち上っていた。
旅はまだ、始まったばかりだった。
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