第10話 戦いのあと
竜は動かなかった。
大きすぎる体が、崩れた通りをふさいでいる。黒い鱗の隙間から、まだ細く煙が上がっていた。傷口から流れた血は石畳の割れ目に入り込み、熱で黒く固まり始めている。
焦げた匂いがした。
木の匂い。
血の匂い。
焼けた石の匂い。
勝ったはずなのに、空気は少しも軽くならなかった。
誰もすぐには近づいてこない。
兵士たちは剣を構えたまま、倒れた竜を遠巻きに見ていた。逃げ遅れた人々も、壊れた家の陰から顔を出している。
「……倒したのか」
誰かが言った。
「本当に……?」
その声で、ようやく周囲が動き出す。
鎧の音。
泣き声。
瓦礫をどかす音。
さっきまで止まっていた街が、少しずつ息を吹き返していく。
リナは剣についた血を払った。
腕は重い。足も熱い。けれど、立てないほどではない。
「終わったね」
いつもの調子で言う。
セイルはすぐには答えられなかった。
目の前に竜が倒れている。
さっきまで、自分たちを殺そうとしていたものが。
あれを倒した。
自分たちが。
(なんで……)
胸の奥だけが、まだ戦いの中に置いていかれているみたいだった。
「ねえ」
リナが竜を指さす。
「これ、どうするの?」
「……え?」
「このまま置いとくの?」
言われて、セイルは初めて竜の体をもう一度見た。
大きい。
あまりにも大きい。
倒した後のことなんて、考えもしなかった。
「……わかりません」
「ふーん」
リナは興味があるのかないのか分からない顔で頷いた。
そのとき、兵士の一人が駆け寄ってきた。
「ご無事ですか!」
「大丈夫」
リナはあっさり答える。
セイルも頷こうとして、少し遅れた。
声が出ない。
兵士は竜を見て、それからセイルを見る。
その目が変わる。
怯えではない。
驚きとも少し違う。
何かを見つけたような目だった。
周囲の視線も、ゆっくり集まってくる。
兵士。
城下の人々。
瓦礫の陰にいた子どもまで。
みんなが竜ではなく、セイルを見ていた。
「……勇者」
誰かが呟いた。
セイルの肩が揺れる。
「違います」
反射的に出た。
けれど、誰も頷かない。
誰も笑わない。
誰も、否定してくれない。
ただ見ている。
その沈黙が、さっきの竜よりずっと重く感じた。
「違うんです」
もう一度言う。
今度は少し小さかった。
隣で、リナが竜を見上げたまま言う。
「でも、倒したしね」
「……」
セイルは何も返せなかった。
風が吹く。
灰が舞う。
焼けた街の匂いの中で、勇者という言葉だけが、逃げ場のないものみたいに残っていた。
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