第1話 春の花束は、頭へ届く
王宮主催の園遊会には、春そのものが集められていた。
芝生には白い卓が並び、その一つには婚約披露を祝う大きな花束が生けられている。
本日、そこで並ぶ予定だったのは、ロザリー・クロフォード子爵令嬢と、ルーファス・エルデン伯爵令息だった。
そのはずだった。
「ロザリー」
ルーファスの隣には、赤毛のイザベル・メイス男爵令嬢が立っていた。
「今日、私は君と婚約者として紹介される予定だった。だが、考え直した」
周囲のざわめきが小さくなる。
ルーファスは舞台の中央へ立った役者のように微笑んだ。
「君は私の隣には相応しくない」
ロザリーは静かに瞬きをした。
今日それを言うのなら、仕立屋へ払った特急料金は返してほしい。
「私の隣に立つ女性には華が必要だ。君は少々地味すぎる」
「それが、イザベル様であると」
「そういうことだ」
どうやらルーファスにとって、隣に立つ女性は胸元の飾りと同じらしい。
その後ろで、侍女のマリアが半歩前へ出た。
「お嬢様」
「何かしら」
「転ぶふりをして、頭突きをしてまいります」
「本当に転ぶからやめなさい」
「まだ、しておりません」
「今後もしないでちょうだい」
「善処いたします」
「約束なさい」
マリアは園遊会の空へ視線を向けた。
答えるつもりはないらしい。
ロザリーはルーファスへ向き直った。
「ルーファス様は、ご自身の隣に置く女性を、華やかさで選ばれるのですね」
「これは社交における適性の問題だ」
「人を見る目よりも?」
ルーファスの笑みが止まった。
「承知いたしました。父には、ルーファス様のお考えをそのままお伝えいたします」
「待ちたまえ。なぜ話を大きくする必要がある」
「婚約は、両家で交わしたお約束ですから」
「私はまだ、婚約を破棄するとは言っていない」
「では、私が隣に相応しくないまま、婚約は続けるおつもりですか?」
ルーファスは言葉に詰まった。
どうやら彼の中では、ロザリーが涙ながらに考え直してほしいと訴えるところまで決まっていたらしい。
予定された役を演じなかったため、次の台詞が出てこない。
「とにかく、今日の披露は延期だ。君も自分に何が足りないか考えるといい」
「かしこまりました」
ロザリーは一礼した。
「マリア、行きますわよ」
「はい、お嬢様」
マリアが主人のあとを追おうとした、その時だった。
芝生の窪みに靴先が引っかかる。
「あ」
本当に転んだ。
咄嗟に伸ばした手が伯爵夫人の背へ触れ、夫人は隣の老子爵へ倒れかかる。老子爵の杖が、白い卓の脚を打った。
卓が揺れた。
白磁の花瓶が傾く。
水が陽光を含んで、空中へ広がった。
その先には、倒れかけたマリアがいる。
「マリア!」
ロザリーは考えるより先に動いた。
マリアを抱き留め、自らの身体を盾にする。
冷たい水が、藤色のドレスへ降りかかった。
同時に、花瓶から抜けた花束が宙へ放り出される。
赤い薔薇。
白い百合。
黄色い小花。
祝福の花束はゆっくりと回転し、ルーファスへ向かった。
彼は薄く微笑んだ。
衆目の中、祝福の花束がまっすぐ自分へ飛んでくる。
この場の主役が誰なのか、王宮もよく分かっているらしい。
ルーファスは誇らしげに胸を張った。
花束は優雅な弧を描き――
サクッ。
整えられた金髪の上へ、見事に突き刺さった。
赤、白、黄色。
不思議なほど、よく似合っていた。
最初に沈黙を破ったのは、イザベルだった。
「まあ……」
口元へ手を当てる。
「頭が、お花畑……」
その言葉は、静まり返った園遊会によく響いた。
ルーファスの顔が赤くなる。
「誰だ! 誰がこのような無礼を!」
「申し訳ございません」
マリアはそう言ったが、すぐにルーファスのもとへは行かなかった。
濡れたロザリーの前へ膝をつき、ハンカチを取り出す。
「お嬢様、お怪我はございませんか」
「あなたは濡れていない?」
マリアの手が止まった。
「私は、お嬢様に庇っていただきましたので」
「なら、よかったわ。あなたが風邪を引いたら困るもの」
三秒ほど動かなかったあと、マリアは濡れていない場所まで丁寧に拭き始めた。
周囲の人々は、そのやり取りを黙って見ていた。
侍女を庇う令嬢と、頭に花束を咲かせたまま怒鳴る令息。
ルーファスが語った「隣に立つ者の華」が、妙に白々しく聞こえた。
「ルーファス!」
現れたエルデン伯爵は、息子の頭を見て足を止めた。
濡れたロザリー、彼女の袖を拭くマリア、息子の腕に添えられたイザベルの手。
数秒で事情を理解したらしい。
「クロフォード子爵令嬢。愚息が取り返しのつかぬ無礼を働いたようだ」
伯爵は深く頭を下げた。
それから息子へ向き直る。
「帰るぞ」
「父上、まだ皆への説明が――」
「お前の頭を見れば、十分に説明はつく」
ルーファスは花束へ手をかけた。
「では、せめてこれを抜いてから」
「抜くな」
「なぜです」
伯爵は息子の腕をつかんだ。
「お前によく似合っている」
頭上の花束を揺らしながら、ルーファスは連行されていった。
誰もが必死に礼節を守っていた。
その時、揺れる花束から黄色い花弁が一枚、ひらりと散った。
園遊会に、扇の花が一斉に開く。
白、青、薄紅。
色とりどりの扇が、笑みを隠すように広がっていった。
ロザリーはマリアへ手を差し出した。
「行きますわよ」
「はい、お嬢様」
二人は並んで歩き出す。
「先ほどは、お止めいただいてありがとうございました」
「何の話?」
「頭突きです」
「本当に転んだでしょう」
「お嬢様のご慧眼には感服いたしました」
「感服する前に、足元を見なさい」
後日、婚約は白紙へ戻された。
社交界ではしばらく、ルーファスの名が出るたびに令嬢たちの扇が開いた。
なお、王宮の園丁は、飛んだ花束が人の頭へ刺さるなど通常はあり得ないと証言した。
それを聞いたマリアは、真剣な顔で頷いた。
「では、やはりお届けするべき場所へ届いたのでしょう」
ロザリーは何も答えず、彼女の額を指先で軽く押した。




