表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載番】私の侍女が顔面ケーキをお届けします。  作者: 堀吉 蔵人
第一章 婚約破棄された私を「可愛げがない」と笑った婚約者に、侍女が顔面ケーキをお届けしました

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/9

第3話 苺の記憶、その先へ


あの夜会から三か月後、私とフェリクス様の婚約は正式に解消された。


両家の話し合いは、思っていたより静かに終わった。フェリクス様が大広間で口にした言葉は、多くの招待客が聞いている。侯爵閣下も事実を否定せず、父へ丁重に詫びてくださった。


違約金についても、こちらが争うまでもなく提示された。


父は書類へ目を通したあと、私へ尋ねた。


「足りないか?」


「十分です」


「本当に?」


「ええ。これ以上いただくと、あのケーキの代金まで慰謝料に含まれているようで落ち着きません」


父はしばらく黙り、それから珍しく声を立てて笑った。


婚約解消後、私にはいくつか縁談が届いた。


以前より条件のよいものまであったのは、少し皮肉である。可愛げがなく、誰の妻にも向かないはずの令嬢を、世間は案外よく見ていたらしい。


けれど、すぐに次の婚約を決めるつもりはなかった。


まずは父の仕事を手伝うことにした。婚姻後の財産について口を出したことが罪になるのなら、いっそ最初から領地経営へ口を出す側になればよい。


帳簿を読むのは好きだった。


数字は、機嫌によって意味を変えない。


収穫量も、輸送費も、使用人の給与も、正しく記せば正しく答える。少なくとも、真実の愛を見つけたからといって、突然こちらへ謝罪を要求してくることはない。


父は私へ一つの荘園を任せるつもりらしい。


まだ補佐という形だが、数年後には正式に管理を任せたいと言われた。


未来の見通しは悪くない。


少なくとも、知らないふりを求める人の隣に立つよりは、ずっと明るい。


フェリクス様は、侯爵家の領地へ送られた。


表向きは経営実務を学ぶための修業だが、実際には社交界から遠ざけられたに近い。


あの夜以降、彼の名前が出るたび、誰かが咳払いをした。


苺を見るだけで笑い出す令嬢までいたという。


侯爵閣下はそれを大変重く受け止め、息子へ礼儀、会計、領地経営、女性への接し方を一から学ばせることにした。


ケーキを見かけると目を背けるようになった、と聞いた。


お可哀そうなことではあるが、もちろんケーキに罪はない。


マリアンヌ嬢は、フェリクス様との交際を終えた。


後日、私のもとへ短い手紙が届いた。


自分は愛されているのではなく、都合よく頷く相手として選ばれていただけだった。あの場で気づけたことに感謝している、と書かれていた。


最後の一行には、こうあった。


『あの時、笑ってしまって申し訳ございません。ただ、苺があまりにも見事な位置にございました』


私は返事を書いた。


『お気になさらず。私も同じ場所を見ておりました』


それ以来、彼女とは季節の挨拶を交わす程度の関係になった。


友人と呼ぶほどではない。


でも、敵と呼ぶ理由はなかった。


そして、マリアである。


婚約が解消されても、彼女は何も変わらなかった。


朝は決まった時刻にカーテンを開け、私の予定を確認し、机へ届いた書類を種類ごとに分ける。父から預かった帳簿に不自然な数字があると、私が気づく前に該当箇所へ紙片を挟んでおく。


相変わらず、優秀な侍女だった。


ただし、時折、廊下の絨毯の端を足先で確認する癖がついた。


「マリア」


「はい、お嬢様」


「何をしているの?」


「安全確認でございます」


「転ぶ場所を探しているのではなく?」


「両者は必ずしも矛盾いたしません」


「矛盾してちょうだい」


彼女は承知した顔で頷いた。


もちろん、承知していない。


やがて私は、父から任された荘園へ移ることになった。


王都から馬車で半日の距離にある、小さな土地である。古い屋敷と、葡萄畑と、帳簿上だけは黒字になっている製粉所がある。


マリアは当然のように荷造りを始めた。


「あなたも来るの?」


「ご不要でしょうか」


「そうではないけれど、王都に残る道もあるでしょう」


「ございません」


即答だった。


「私がお仕えするのは、クラウゼル家ではなく、お嬢様です」


「そう」


「はい」


それ以上、尋ねる必要はなかった。


出発の日、父と母へ挨拶を済ませ、私は馬車へ乗り込んだ。


マリアは最後まで荷物の数を確認していた。


「全部ある?」


「はい。衣類、書類、帳簿、筆記具、救急箱」


「救急箱?」


「転倒に備えて」


「あなたが転ばなければ必要ないのでは?」


「万一に備えるのが侍女の務めです」


彼女は真顔だった。


私は諦めて、窓の外へ目を向けた。


王都の門がゆっくりと遠ざかっていく。


婚約はなくなった。


けれど、仕事があり、行く先があり、隣ではなく半歩後ろに、信頼できる人がいる。


それなら、悪くない。


「マリア」


「はい、お嬢様」


「これからもよろしくね」


「承知いたしました」


少し間を置いて、彼女は続けた。


「転倒の際は、お任せください」


「そこは任せません」


馬車の中で、私たちは同時に前を向いた。


この先も、マリアは私の半歩後ろを歩くだろう。


帳簿の誤りへ紙片を挟み、絨毯の端を確認し、必要もないのに転倒へ備える。私はそれを止めながら、時々は彼女に助けられる。


私たちの生活は、まだ始まったばかりだ。


ただ、顔面ケーキから始まったこの話は、ここでおしまい。


次にマリアが何を届けるのか。


それはまた、別のお嬢様の物語である。


面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ