特別編 お嬢様たちのお茶会
そのお茶会は、ロザリー・クロフォード子爵令嬢の屋敷で開かれた。
招かれたのは、リディア・フォン・クラウゼル令嬢と、セシリア・ローレン令嬢。三人には、まだ直接の面識がない。
茶会を勧めたのはマリアだった。彼女が差し出した二通の紹介状には、それぞれの令嬢について、同じ一文が添えられていた。
――婚約者との間に少々の問題が起き、その際、侍女が転倒した令嬢。
ロザリーは、その一文を三度読んだ。
「ずいぶん限定的な集まりですこと」
「たいへん有意義かと存じます」
「あなたが言うと不安になるわね」
当日の朝になっても、その不安は消えていなかった。
卓の中央には季節の花を生けた花瓶がある。マリアはすでに、卓の脚、椅子の間隔、絨毯の端を確認していた。今は花瓶の重心を調べているらしい。
今日は屋内で、芝生の窪みはない。それでもロザリーは、花瓶から目を離しきれなかった。
「リディア・フォン・クラウゼルです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
最初に到着したのは、落ち着いた物腰の令嬢だった。その後ろに、侍女の姿は見当たらない。
「侍女の方は?」
「馬車を降りたあと、廊下の絨毯を確認すると言って」
リディアが少し困ったように笑う。ロザリーは黙って自分の背後を見た。
マリアは、まだ花瓶を見ていた。
「うちも似たようなものですわ」
次に到着したセシリアは、薄い革表紙の書類入れを抱えていた。
「お茶会に書類を?」
リディアが尋ねると、セシリアは手元へ目を落とした。
「内政府から届いたものです。移動中に目を通そうと思いまして。仕事を受けるか、まだ検討しているところなのです」
それから顔を上げ、ロザリーの背後を見た。少しだけ目を細める。
「マリア」
「はい、お嬢様」
「どうして、あなたがこちらに?」
「給仕をしております」
「それは見れば分かるわ」
リディアもマリアを見た。
「あなた、先ほど絨毯を確認しに行ったのではなかった?」
「確認は、すでに完了しております」
「ずいぶん早いわね」
ロザリーは二人を交互に見た。マリアの手元では、いつもの手つきで茶器が並べられている。
「お二人とも、マリアをご存じなの?」
「私の侍女です」
リディアとセシリアが、ほぼ同時に答えた。
三人の視線が集まっても、マリアは平然と紅茶を注いだ。
「どうぞ」
「待ちなさい。あなたは、私の侍女でしょう」
「はい、お嬢様」
「今、リディア様にもセシリア様にも返事をしたわね」
「お呼びでしたので」
ロザリーは、まだカップを受け取る気になれなかった。
リディアが扇を閉じ、マリアの顔を確かめるように見た。
「こちらのマリアは、もう少し無表情だった気がします」
「私のマリアも無表情です。ただ、書類を見る時だけ、少し目が細くなります」
「うちのマリアは、花瓶を見る時に目が細くなりますわ」
三人が再び見ると、マリアは花瓶から一歩離れた。
「偶然でございます」
「何が?」
「すべてが」
説明になっていなかった。
リディアが口元へ手を当て、少し声を落とす。
「でも、こちらのマリアは、ケーキを飛ばしたことがありますか?」
「ケーキ?」
「婚約破棄を宣言したフェリクス様の顔へ、大きな苺のケーキが」
セシリアが、差し出されていたカップをようやく受け取った。
「書類より柔らかそうですね」
「書類?」
「私の時は、王太子殿下の顔へ証拠書類とインク壺が届きました」
「インク壺まで?」
「事故です」
マリアの返事だけが、たいへん早かった。
「あなたに聞いたのではないのよ」
ロザリーはそう言って、花瓶を自分の側へ少し引いた。
「私の時は花束でしたわ。頭へ」
「刺さりました」
「補足しなくていいのよ」
「事実関係の確認でございます」
ケーキ、インク壺、花束。どれも侍女が転んだ結果、相手のもとへ届いている。
リディアは自分のカップを見下ろし、それからマリアを呼んだ。
「あなたは、私の侍女よね?」
「はい、お嬢様」
卓のそばのマリアが答えた。セシリアは書類入れを膝から卓へ移し、ロザリーは花瓶から手を離した。
「私にも、そう答えたでしょう」
「少なくとも、この屋敷で花瓶から離れるよう命じるのは私ですわ」
「私は、インク壺を持たせないことにしています」
「絨毯の端を確認するのも、できればやめてほしいのだけれど」
誰の侍女かを確かめるはずが、止めたい行動の相談になっていた。
マリアが静かに割って入る。
「お嬢様方のお役に立てましたら、何よりでございます」
「今は、その『お嬢様方』を確認しているのよ」
セシリアが言い終えた時、廊下から足音がした。続いて、もう一人分。
扉が開き、二人の侍女が入ってきた。
「お待たせいたしました、お嬢様」
「絨毯の確認が完了いたしました」
黒髪、無表情、同じ姿勢。同じ歩幅で進んでくる。
卓のそばにいたマリアを含め、三人のマリアが並んだ。
三人の令嬢は、誰も言葉を発しなかった。
新しく入ってきた一人は、リディアの半歩後ろへ立った。もう一人はセシリアの卓上の書類入れを取り、両手で抱えた。
最初からいたマリアは、ロザリーの背後へ戻った。
「給仕を続けます」
何事もなかったかのように言われても、すぐに茶を飲む気にはなれない。
リディアが恐る恐る尋ねた。
「あなたたちは……姉妹?」
「「「いいえ」」」
「親戚でもないの?」
「「「いいえ」」」
声まで揃っていた。ロザリーは自分のマリアを見た。先ほどから他の二人の主人へ返事をしていたのは、間違いなくこの侍女である。
「では、同じ名前の、よく似た侍女なのね?」
「「「マリアでございます」」」
そこだけは、初めから分かっていた。
セシリアがこめかみを押さえ、それでも確認を続けた。
「ケーキのマリアは?」
「はい」
リディアの後ろで一礼する。
「インク壺のマリア」
「はい」
セシリアの後ろで、書類入れを抱えたまま一礼する。
「花束のマリア」
「はい」
ロザリーの後ろでも、同じ深さの一礼があった。
「判別方法が事故なのね」
「分かりやすくて何よりでございます」
「よくありません」
最後は、令嬢たちの声も揃った。
そのあとは、意外なほど穏やかなお茶会になった。
リディアは荘園の製粉所について話し、セシリアは内政府から届いた報告書の誤記について話した。ロザリーは、孤児たちの冬服の数が合わず、一緒に倉庫を探した話をした。
互いの仕事は違っても、確かめたいことを確かめただけで嫌な顔をされる苦労は、説明せずとも伝わった。
「婚約者がいなくなってからの方が、忙しくなりましたわ」
「私もです。まだ仕事を引き受ける前ですのに、読むものばかり増えて」
セシリアは自分の侍女が抱える書類入れを見てから、小さく笑った。
「でも、前よりよく眠れます」
「分かります。人にどう見えるかより、今日やることの方が多くて」
ロザリーが答えると、リディアも頷いた。
セシリアのマリアが書類入れを脇の小卓へ置いた。三人のマリアが、それぞれの主人の茶を注ぎ足す。その動きまで同じなのを見て、リディアがふと笑った。
「マリアが三人いるなら、一人くらい貸していただけないかしら」
「だめです。私も、もう一人いれば書類の確認が早くなります」
「神殿にも一人ほしいですわ」
三人のマリアは、一斉に主人を見た。
「「「私は一人で十分でございます」」」
令嬢たちは顔を見合わせた。
「ええ。一人で十分すぎるのよね」
「主に事故の規模が」
セシリアの言葉に、ロザリーは花瓶をさらに遠ざけた。
三人のマリアは、誰も否定しなかった。
◆
その頃、王都近郊にある領地経営の実務講習所では、三人の男が同じ卓を囲んでいた。
侯爵家の領地で礼儀と会計を学び直しているフェリクス。王太子の地位を停止され、国王の監督下で法務と王宮事務を学んでいる王子。そして、伯爵領の花畑を毎朝巡回しているルーファス・エルデン。
それぞれの家や監督役から、短期講習を受けるよう命じられていた。
最初は、誰も口を利かなかった。
フェリクスが茶菓子を見て顔をしかめる。苺のショートケーキだった。
「別のものはないのか」
「菓子くらいで騒ぐな」
「君には分からない。顔面へ届いたことがある」
王子が眉を寄せ、ルーファスが顔を上げた。
「何が?」
「ケーキだ」
しばらくして、王子がゆっくりとカップを置いた。
「私はインク壺だった」
「顔面へ?」
「顔面へ」
二人の視線がルーファスへ向く。
答えたくなかったが、卓の中央に小さな花瓶があった。黄色い小花が一輪、咲いている。
「私は花束だ。頭へ」
「刺さったのか」
「なぜ分かる」
王子は答えなかった。フェリクスが茶菓子を遠ざけ、小声で尋ねた。
「その時、侍女はいたか?」
「黒髪か」
「無表情で?」
三人は互いの顔を見た。
「転ぶ前に、頭突きを提案した」
最後だけ、声が重なった。
フェリクスが、さらに声を落とす。
「マリアという名ではなかったか」
王子が頷き、ルーファスも頷いた。
名前も顔も同じで、事故の内容だけが違う。同一人物だと言われれば納得しそうになる。だが、それぞれ別の家の侍女だったはずだ。
「頭突きはされたか?」
「いや」
「私もされていない」
なぜか少しだけ安心した。
王子は備え付けのインク壺へ蓋をし、ルーファスは花瓶を自分の側へ引き寄せた。
「なら、全部事故だったのではないか」
王子の言葉に、誰も答えなかった。
休憩室の扉が開き、黒髪の侍女が銀盆を持って入ってきた。盆には茶器と、新しい苺のショートケーキが載っている。
三人が同時に椅子を引いても、侍女は驚かずに一礼した。
「お茶のお代わりをお持ちいたしました」
無表情だった。
ルーファスが花瓶を抱えたまま尋ねる。
「名前は?」
「マリアでございます」
フェリクスが立ち上がり、王子も続いた。ルーファスは花瓶を扉から離れた棚へ置き、二人を追った。
「講義室へ戻るぞ」
誰にともなく言い、三人は揃って休憩室を出ていった。
残されたマリアは、閉じた扉を見つめた。それから、盆の上のケーキ、卓上で蓋をされたインク壺、棚へ移された花瓶を順に見た。
「まだ何もしておりませんのに」
少しだけ、不満そうだった。
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