第28話 二つの降誕祭
降誕祭の宴で、オットーは入口を3度見た。
3度目に、私は杯を置いた。
「誰を待っているのです」
「誰も」
「では、戸がお好きなのですね」
オットーは4度目に入口を見てしまった。見てから、見たことを悔やむ顔になった。
私が笑うと、彼も諦めて笑った。婚礼から数週。卓の下で触れた膝に、もう互いが驚かない。
「北から返事が来るかもしれないと思った」
「リウドルフ殿の?」
オットーは杯を回した。婚姻と春の帰還を知らせる使いは、まだ戻らない。
「祭日までには届くと思っていた」
「返事が?」
「使いがだ」
期待を小さく言い直した。それ以上は、からかわなかった。待つ父がそう言い換える気持ちは、待つ母の私にも分かる。
広間の隅に、婚礼の時に段から下ろした二脚が寄せてある。誰も座らなかった方の一脚には、今夜は焼いた肉の皿が乗っていた。
運んだ者を呼ぶと、若い男は皿より先に自分の手を後ろへ隠した。
「あの椅子は、誰が動かしたの」
「私です。いえ、私と、厨の者と。その、二脚とも同じ高さでございましたので、どちらが王妃さまの分か、札もございませんし。伺おうにも祭日で、伺えば伺ったで祭日に細かいことを申し上げるのかと、ですから、まとめて壁へ」
「皿は」
「皿は、置き場がなくて。すぐ下ろします」
「そのままで」
男は下がりかけ、戻ってきて、皿の向きを少し直してから下がった。空けたまま飾られるより、皿を乗せてもらう方がいい。
広間は蜜蝋と焼いた肉の匂いで満ちている。北から来た者とパヴィアに残った者が同じ卓につき、どちらの歌から始めるかで揉め、結局ふたつとも歌った。
北の歌をオットーの口まねで歌うと、違う箇所で声を上げてしまった。
「いま何と歌った」
「聖なる夜、と」
「馬の腹帯が切れた、と歌った」
近くに笑いが広がった。頬は熱くなったが、次の節も歌った。北で言葉を間違える未来が、少し楽しみになった。
幼い給仕たちが笑いながら走る。高い声が届いた時、喉が急に狭くなった。エンマも、笑う前に息を大きく吸っていた。似てもいない声なのに、杯の中の赤が揺れる。
娘の居場所を知らない母が、明るい広間で夫と笑っている。
杯は置かなかった。幸福を拒んでも、エンマに近づけるわけではない。今夜の灯まで、娘を奪った者に渡す気はない。
「また入口を見ています」
「今度は、お前が黙ったからだ」
卓の下で、オットーの手が指に触れた。握り返す。寂しさは消えず、握り返した力も嘘にならなかった。
*
北からの使いが戻ったのは、祭日の片づけが終わった後だった。
「リウドルフは、何と言った」
オットーは挨拶を待たずに尋ねた。使いはまだ、外套の雪を落としていない。
「父王のお席は、空けてあると」
使いはザールフェルトの話をした。王子が祝宴を開いたこと。マインツ大司教フリードリヒと、名を呼ばれた有力者たちが集まったこと。王の健康を祝して杯が上がったこと。宴を始めたのが王子自身だったこと。
「祝意は」
「頂いておりません」
「王子は、伝言をどう聞きました」と私が尋ねた。
「『生きて戻ったことを喜ぶ』とお伝えした時、杯を持つお手が止まりました。しばらくして、そうか、と」
あの言葉は、届いた。届いて、手を止めた。その先の意味を、ここで足すわけにはいかない。
「父の席を空けたまま、父のように振る舞った」オットーの声が低くなる。
「あなたの健康を祝ったのでしょう」
「王者のように人を集めた」
「弱い息子なら、安心したのですか」
オットーが振り向く。
「強く育てたかった。私の留守に国を守れるほどに」
「でも、自分で人を集めれば怖い」
「父が生きている間だけ、王にならない強さなど、どう教える」
苛立ちより先に、疲れが聞こえた。この話を、一人で何度もしてきた声だ。
「あなたが、そう振る舞えるよう育てたのではありませんか」
言った瞬間、夫の肩が固くなった。
「婚礼からいくらも経たない妻に、息子の育て方まで教わるとはな」
「教えるつもりでは」
「つもりの話は、聞く者には届かないのだろう」
婚礼の前に私が投げた言葉が、そのまま返ってきた。口を閉じる。
使いが立ったままでいる。父子の間を二度往復し、今度は夫婦の争いに挟まれている。
「休んでください。続きは明日にします」
オットーは止めなかった。使いが去ると、二人になる。
「今のは、あなたを責める言い方でした」
「そう聞こえた」
「責めたかったのかもしれません」
謝ればすぐ整う言葉ではなかった。窓辺の夫に近づく。
「エンマが私なしで眠ったと聞いて、誇らしかった。同じだけ、私が要らなくなったようで怖かった。あなたが息子を見て腹を立てるのも、少し似ているのではないかと思いました」
「息子は3歳ではない」
「ええ。だから、もっと上手に傷つけてきます」
オットーは窓の外を見たまま、口元だけを動かした。笑ったと言い張れないほど、小さい。
「返事を、書いてください」
「叱れと?」
「賞めてください。父の席を空けたまま宴を開いたことを。それだけを」
オットーが窓から顔を戻した。眉の間に、指で押した跡がついている。
「本気か」
「あの宴には、まだ名前がありません。父が、王の席を空けたことだけでも賞めれば、あの夜を反乱と呼ぶ者たちだけに渡さずに済みます」
オットーは長く黙った。杯を上げた息子と、席を守った息子。同じ夜のふたつの読み方を、天秤に載せている顔だった。
「短く書く」と、やがて言った。「賞めるのは一行だ」
「それで十分です」
「一行で足りるか」
「足りません。でも二行にすれば、二行目に条件を書きたくなるでしょう」
オットーは否定しなかった。杯の縁を、親指でなぞっている。
「それから、使いは同じ者を出してください」
「馬を替えた方が速い」
「あの人の顔を、王子はもう二度見ています。三度目の顔は、紙より先に着きます」
*
幕間――ザールフェルト
客が帰った広間に、父王の席だけが残された。
リウドルフは片づけの手を止めさせ、自分で杯と皿を父の席の前へ戻した。宴の初めと同じ位置に置き直す。指で向きまで直した。
マインツ大司教フリードリヒが、灯をひとつ持って立っていた。
「殿下は、新しい王妃をご覧になったことがない」
「父もです。去年までは」
「南から来た方は、北の席を数え直すことがあります」
「数えられて困る席が、私にありますか」
フリードリヒは答えず、灯を卓の端へ置き換えた。父王の席が、影に入る。
「春に、父上はお戻りになります」
「道は知っている」
「お迎えになりますか」
「席は空けてある、と伝えました」
大司教は祝福も忠告もせず、灯を残して出た。戸の閉まる音が、広間の端まで届いた。
一人になったリウドルフは、父の椅子の背に手を掛けた。座らない。手も離さない。芯が短くなるまで、そのまま立っていた。
*
返書は、三日後の朝にパヴィアを発った。一行の称賛と、春に戻る時期。それだけだった。
門まで見送りに出た。使いは鞍に上がり、それから馬を下りて膝をついた。
「申し上げ忘れました。王子が、王妃さまのことを一度お尋ねになりました」
息が止まった。
「何と」
「王妃は、いくつだ、と」
オットーが鼻から息を吐いた。笑いではなかった。
「何と答えたのです」
「存じません、と」
「20です」と私は言った。「次に訊かれたら、そう答えて」
男は口の中で二度繰り返し、馬に乗った。覚えの悪い男ではない。
「息子は、お前と幾つ違う」
「春に、ご本人へ訊いてください」
使いの背が霜の道で小さくなる。20という数を、私も口の中で繰り返した。あの人も、同じ数を持っている。
史実メモ:近い年代記は、オットーが忠臣らとパヴィアで降誕祭を祝い、リウドルフがザールフェルトでマインツ大司教フリードリヒらと王者風の祝宴を開いたと記します。宴の「破壊的相談」は疑いと伝聞で、反乱誓約ではありません。二つの卓、父の空席、会話、報告は創作です。




