第24話 喧嘩の後に戻ってくること
翌朝、オットーは本当に求婚に来た。
私はまだ髪を結っていなかった。鏡代わりの磨いた金属板の前で、アッタが櫛を持ったまま、戸口の王を見ている。
「早すぎます」
「昨日から待った」
「私は眠っていました」
「その間も1日だ」
オットーは一人で、手には何もない。金の贈物も、花もない。持てるものを全部持って来られる男が、今日は手ぶらを選んだ。
「もう少し王らしく来られないのですか」
「広間でやって失敗した」
アッタが櫛を卓に置き、私の返事を待った。
「お許しくだされば、戸の外に控えます。お呼びがあれば、すぐに参ります」
私はうなずいた。
「聞かないで」
「承知いたしました。ただ、この戸は厚くございません」
一礼して戸を閉め、アッタは向こう側に立った。足音が去らない。本当にそこにいる。
オットーは、昨夜私が眠った寝台を見た。彼の色の新しい覆いは半分だけ折られ、残りは掛かったままだ。
「眠れたか」
「少し。ロターリオに覆いを取られないぶん、寒くありませんでした」
「死んだ夫の方が、私より先に寝台に入っているらしい」
「あなたにも、エドギタ様がいるでしょう」
「いる」
二人とも、死者を追い出そうとはしなかった。それで部屋は少し広くなった。戸の向こうで、アッタの足音が一度だけ動いた。
オットーが正面に立つ。昨日、衆人の前で笑われた王と違い、逃げ場のない顔をしていた。
「アーデルハイト。私と婚姻してほしい」
名だけで呼ばれた。王妃とも、救われた女とも呼ばずに。呼び名を全部剥がすと、私が残る。それを最初に差し出してきた。
「なぜ私です」
「また最初からか」
「今日は、最後まで聞きます」
オットーは息を吐いた。肩が一度、下がる。
「あなたと婚姻すれば、私がイタリアに留まる理由を作れる。あなたを支持する者と、私に従う者を同じ広間に入れられる。ベレンガーが、あなたを別の男に嫁がせて王妃の名を使うこともできなくなる」
「昨日の紙のことですか」
「あれは、私が都に入る前から書かれていた。だが、迎えに来ると書く相手がいなくなれば、あの一行は使えない」
「私の名ですね」
「そうだ」
今度は胸に硬く当たらなかった。名を欲しがる欲を隠さない男だ。それなら、こちらも欲しいものを言える。
「ほかには」
「牢を自分で出る女なら、私が北にいる時も南で立っていられると思った。私に皆の前で恥をかかせても、逃げない」
「褒めていますか」
「半分は」
「残り半分は」
「あなたが美しい」
返す言葉が消えた。オットーは、軍の話をした時より言いにくそうに横を向く。窓の枠を見て、それから床を見た。
「それを、なぜ今まで言わなかったのです」
「皆が言うと思った」
「王とは手を抜くものですね」
「言えば金と同じように怒るだろう」
「怒るかどうかは、言われてから決めます」
頬が熱い。からかわれたのでもないのに、笑いそうになる。こんな時に喜ぶ自分を、エンマに見られたくなかった。
「あなたは、何を失うのです」
「私が?」
「名も都も私の支持者も得る。それでは、あなたばかり得をします」
釣り合わない取引は長持ちしない。片方が払い続ける婚姻なら、私は一度、隣で見ている。
オットーは少し考えた。
「リウドルフは、父が自分の失敗した土地で新しい家族を作ったと思う。北の者には、私がイタリアの女に引かれて帰らなくなったと疑う者が出る。あなたの敵は私の敵になり、あなたを守れなければ、王の弱さとして見られる」
「それでも足りません」
「あとは、朝から難しい女に問い詰められる時間だ」
冗談で逃げた。けれどこの男は、王国より先に息子の名を出した。失うものを、一度は並べたことがあるのだ。
娘の名が浮かぶと、笑いは止まった。
「私があなたの妻になったと知れば、エンマはどう思うでしょう」
「分からない」
「また、それですか」
「3歳の娘の心まで知っていると言う王よりましだろう」
慰めてほしかった。新しい父を喜ぶ、母が助かったと安心する。そう言われれば、一瞬は信じられたかもしれない。だが、見知らぬ男の前で髪を下ろし、容姿を褒められて喜ぶ母を見たら、エンマは泣くかもしれない。想像の娘は、母が何を選んでも責める顔になった。
「嫌われるかもしれません」
「私も、リウドルフに嫌われるかもしれない」
「あなたは父親です」
「だから、余計にだ」
オットーは窓へ目を向けた。窓の下では、厩の者が馬を曳いていく音がする。再婚で傷つく子を持つ親が二人、子のいない部屋で自分たちの望みを話している。
「それでも求めるのですね」
「求める」
私は、いつのまにか握っていた櫛を卓に置いた。欲しいものは、恥ずかしいほど多い。今日は全部、声にする。
「では、私の方も聞いてください。私は軍が欲しい。王妃の名を取り戻したい。私を牢に入れた男に、私が戻った姿を見せたい」
「知っている」
「エンマを捜す力も。私の土地も。それから――」
言葉が止まった。そこまでは王と王妃の取引だ。その先は、私の弱い場所になる。
「それから?」
オットーは急かさなかった。
「あなたが、喧嘩の後に戻ってくること」
彼の目元に線が寄った。笑うとそうなると、昨日覚えたばかりだった。
「肉を盗むことは」
「直してください」
「考えておく」
私も笑った。笑うそばから、喉の奥にエンマの名が戻ってくる。今度は、笑いを引っ込めなかった。
「一つ、先に言う」オットーの声が変わった。
身構える。
「婚姻しても、ベレンガーの死は約束しない」
部屋の空気が冷えた。金属板に映った自分の髪が、ほどけたままなのが見えた。
「彼は私を幽閉した」
「知っている」
「私の土地を奪い、娘をどこかへやった」
「それも聞いた」
「なら、なぜ」
オットーは視線を逸らさなかった。
「降り方によっては、生かして使う方が戦を減らせる。土地をすべて奪えば、その下の者まで敵に回る。私はあなたの復讐だけで王国を決めない」
立ち上がっていた。椅子が後ろへ擦れる。膝が卓の縁に当たり、痛みは後から来た。
「昨日、私を妻に望むと皆に言った口で、あの男を守る話をするのですか」
「守るとは言っていない」
「生かし、名を残し、また人の上に置けば同じです」
「同じではない」
「牢に入れられたことのない人には」
言葉が切れた。オットーの顔に怒りが走る。
「なら、ここで断れ」
低い声だった。
「ベレンガーの首が婚姻の値なら、私はまだ払えない。払えると言ってあなたを妻にした後で違えるより、今断られた方がよい」
戸を見た。開ければアッタがいる。その先にはマルティンも、荷も、まだ戻れない道もある。断れば、カノッサへ戻れるとは限らない。受ければ、憎い男を夫が王として残す日が来るかもしれない。どちらにも、傷のない道はない。
「もし、あなたがベレンガーを許せば」
「ああ」
「私は、あなたを許さないかもしれません」
「それでも、言いに来い」
「妻なら従え、と言わないのですか」
「妻だからとは言わない。王として命じる時なら、そう言う」
あまりに堂々としていて、怒ったまま笑ってしまった。
「ひどい求婚です」
「三度目はしたくない」
オットーが右手を差し出した。古い傷のある手だ。掌の付け根に、手綱の擦れた跡が2本ある。すぐには触れない。
遠くで決められるくらいなら、隣で怒りたい。隣にいれば、この男に牢の臭いを忘れさせずに済む。
右手を上げた。途中で指が震え、いったん握る。オットーは取らずに待った。
もう一度、掌を開く。
「あなたと婚姻します」
オットーの手が、今度は私の掌を受けた。強く引かず、逃がしもしない。指の節が、私の指の間に一度だけ触れた。
「婚礼は、まだです」
「分かっている」
「エンマの捜索も続けて」
「続ける」
「金の贈物は」
「好きにしろ」
懸賞も、褒賞も、言い直せとは言われなかった。
「では、しばらく嫌っておきます」
オットーが笑った。私も、握られた手をほどかなかった。
戸の向こうで、アッタが一度だけ咳をした。
「聞いていたでしょう」
オットーの手を引いたまま戸を開けた。アッタは一礼しただけだった。その後ろに、息を切らした側門役が立っている。肩で息をして、帽子を握り潰していた。
「王妃さまに、お会いしたい者が」
男はオットーを見て、声を落とした。
「マルティン様の男が当たっていた、旧宮の女たちの筋から来たそうで。――エンマ様を、この目で見たと申しております」
史実メモ:近い王朝詩は、王前へ導かれたアーデルハイトがただちに王の意にかない、「王権の共同者」に最もふさわしい者として選ばれたと描きます。この句は語り手の評価で、直接発言や完全同権契約ではありません。二人が死別後で前婚の子を持つことは確認できます。本話の私的な再求婚、全台詞、ベレンガーの処遇をめぐる約束は本作の再構成です。




