第18話 誰も膝をつかないで
ポー川の手前で、オットー王の槍が道を塞いだ。
平野の端から穂先が現れ、一列、また一列と増える。カノッサを出て幾日、泥の鞍には白い埃が積もっていた。私の一行は疲れ切り、逃げるにも戦うにも遅い。
荷馬が鼻を鳴らし、後ろで誰かが寝具を捨てようとした。
「そのまま。誰も膝をつかないで」
私は馬を半身だけ前へ出した。熟した穂を分けたベレンガーの槍が、喉の奥に戻ってくる。開いた掌を下に向け、自分の列を止めた。
向こうで一騎が腕を上げる。槍の波が止まり、最後尾まで蹄の音が順に消えた。腕一本で、これだけの数が黙る。手綱を持つ指が、先に冷えた。
一人の男が二つの列の間へ進み出た。
「イタリア王妃アーデルハイトと、その一行に申し上げる。オットー王の命により、王弟ハインリヒが迎えに参りました」
捕虜とも花嫁とも呼ばなかった。私一人を呼んだのでもない。後ろのアッタとマルティンを見てから、私は王妃という名を受け取った。
中央の騎馬から男が降り、兜を従者に渡す。まだ若い。立つだけで、周りの兵が次の命令を待った。
「王弟ハインリヒです。兄王の前まで、最高の礼をもってお守りします」
「私たちが牢を出たことは、ご存じですか」
「ええ。私が迎えるより先に」ハインリヒの口元がわずかに動いた。「兄の客人を迎えるのに、救ったふりまで必要ありません」
好ましい言葉だった。この一言で信じはしない。
ハインリヒが手を上げると、盾列の中央が開いた。
「王妃は中央に。随員は後ろを、我が兵が守ります」
私は馬を進め、開いた場所へ入った。前を向き、それから後ろを見る。アッタもマルティンも、もうそこにいない。私と二人の間に、兵の肩が三つ入っていた。
「私の一行も中央に」
「全員では守りが薄くなる」
「では、薄いところに私を置いてください」
「王妃をか」
「牢を出たのは三人です。三人が揃っている間しか、それを言える者はいません」
ハインリヒは後方に目をやった。継ぎのある外套、寝具、飼葉、足を引く侍女。華やかな花嫁行列とは程遠い。
「盾を外へ広げろ」彼は指揮官に命じた。「王妃の一行を、並びを変えず中央に」
槍先が内から外へ向き直る。守られている。同じ槍は、逃げれば囲いにもなる。その両方を抱えたまま、一行はポー川を越えた。
途中、アッタの足が遅れた。外側の兵が急がせようとすると、ハインリヒは列を止めた。
「牢で傷めたのか」
「泥の中を歩きました」アッタは頭を下げずに答えた。「止めていただくほどでは」
「もう止めた。次は止める前に言え」
アッタは少し困り、「はい」と言った。私はそれを聞き、王弟が少し好きになった。好きになった自分を、すぐ警戒した。
列は、侍女の歩みに合わせて遅くなった。王側の若い兵が水筒を差し出すと、アッタは一度断った。次に振り返った時、水筒は侍女の手の中にあった。王弟は気づいても顔を向けない。アッタは礼を言わずに飲めた。
渡し舟の上で、ハインリヒが私の隣に立った。
「明日の昼までに都へ入ります。道は3本、市の立つ道は使いません」
「なぜ」
「人の多い所で足が止まると、隊が伸びます。伸びた隊は、守るのに人が要る」
「市の道を通ります」
「見られない王妃は、いないのと同じです」
ハインリヒは水面を見た。
「兄も、そういう言い方をします」
*
パヴィアの門は、私のためには開かなかった。
着く前から開いていた。荷車を調べ、歩く者を通し、オットーの名で兵と書記が1日の仕事をしている。主要門の石に大きな破壊痕は見えない。腕を吊った男が壁際で水を飲んでいた。
王側の兵が荷車を脇へ寄せようとした。
「待って。先に並んでいた人から通してください」
私は馬を降りた。長旅で膝が曲がらず、泥と埃の積もった鞍にしがみつく。アッタが腰を支え、どうにか両足を地面に置いた。
野菜を積んだ車が先に軋み、子の手を引く女が続く。都は私の帰還を待たずに動き、私が通った後も動き続ける。
門の脇では、書記が入る者を書き留めていた。台に手を置いて、上から順に読む。男の名。荷。馬の数。女の名は少なく、子どもは荷と一緒に数えてある。
「子どもの名は書かないのですか」
「数で足ります」書記は顔を上げずに答えた。「連れがおりますので」
「連れの名は」
「連れが名乗れば」
指が、その行の上で止まった。この都を出た日、エンマも誰かの数の中にいたのだろうか。
「通すぞ。王弟ハインリヒの一団!」
門の呼び上げに、ハインリヒがすぐ声を返した。
「イタリア王妃アーデルハイトと、その一行だ。王弟が護送する」
訂正された名が、私より先に敷居を越えていく。
敷石の継ぎ目で、一歩だけ止まった。ここを最後に越えた時、私はロターリオの妻だった。戻る約束もせずに出た都へ、亡夫の名と泥の外套を持って帰ってきた。
頭を下げる者がいた。ハインリヒを見てから遅れて下げる者、顔を見たままの者、路地へ退く者もいる。一斉の歓声はなかった。その不揃いな顔の方を信じられた。揃った顔には、揃えた者がいる。
道の角で、年老いた女が口元を押さえた。
「生きていたのですね」
「ええ。あなたも」
女は笑わず、泣きもしない。ただ胸に手を置く。私は足を止めず、その顔を覚えた。
石の匂いに、焼いたパンの香りが混じる。ロターリオはこの道で焼きたてを買い、宮へ持ち帰った。まだ歩けないエンマが柔らかい中身を握り潰し、父の袖に塗りつけた。ロターリオは笑い、汚れたまま人に会った。
同じ角を曲がる。夫も娘もおらず、宮には別の王がいる。
喜びより先に、帰ってきてしまった、と思う。
宮の外には、オットーに名を告げる順を待つ者たちがいた。かつてロターリオに頭を下げた顔もある。私を見ると半身を向け、また王のいる奥へ戻す。責める気は起きなかった。覚えはしたけれど。
王側の案内役が、人目を避ける別廊へ導こうとした。
「お召し替えのお支度が、その、湯も、女の者も控えておりますので」
「この姿を隠すのですか」私は泥の外套をつかんだ。
「隠すなどと、決して。ただ、廊には人が多うございまして、いえ、多いのが悪いという話では」
「牢からここまで来た姿です。先に王に会います」
案内役はハインリヒを見た。王弟は肩をすくめる。
「私に聞くな。ここまで止まらなかった方だ」
公の廊を進んだ。アッタは荷を別の者に渡し、傷む足で続く。マルティンも曲がったままの左手を胸へ入れ、離れない。最後の扉の前で、三人はまた横に並んだ。
「中へ入れるのは王妃だけです」と案内役が言う。
「最初の挨拶までは三人で」
「王がお許しになるかは――」
「訊いてください」
アッタが、私の外套の端を一度つまんだ。
「扉を閉められたら、叩きます」
まだ赦していない声だった。その声が、いまは何より頼もしい。
「ええ。私も内側から叩く」
内側へ言葉が運ばれた。返事はすぐ来た。三人とも入れてよい、と。
*
扉の向こうで、オットーは立っていた。
玉座も冠もない。椅子の背に手を置くことさえせず、二本の足で待っている。私より20年ほど長く生きた顔に、笑えば深くなりそうな線があった。右手の指に古い傷。爪の脇に墨。
ハインリヒが脇に退いた。
「イタリア王妃アーデルハイトを、兄王の前へお連れしました」
私は自分で敷居を越えた。背後にはアッタとマルティンがいる。扉は閉じなかった。
オットーの視線が、泥の外套から二人に移り、また私に戻る。
「私の弟が迎えるより先に、あなたは牢を出ていたそうだ」
祝福も、容姿を褒める言葉もなかった。誰の手柄でもない事実を先に置いた。
「三人で出ました」
「なら、私は救った王の顔で礼を求められない」
胸で固くしていたものが、ほんの少し緩んだ。
「代わりに、何を求めますか」
「それを話す前に、あなたが何を求めてここまで来たか聞こう」
問いの順を、先に取られた。望みを言わせるのは、私のやり方だったのに。
オットーは、返答を知っている顔をしなかった。無事だとも、取り戻せるとも言わない。
道中、最初に述べる言葉を幾つも並べた。亡き王の妃としての権利。都の平和。婚姻に答える条件。男の顔を見た瞬間、全部、娘の名の後ろへ退いた。
私は借り衣の胸元に指を置いた。青い硝子のない場所を、今度は探さない。
「娘のエンマは、どこにいますか」
オットーは目を逸らさなかった。
「知らない」
史実メモ:ベレンガーはパヴィアで決戦せず退き、オットーが9月下旬までに都を掌握したとみられます。9月23日は同地発給文書の日付で、入城の絶対日ではありません。戴冠、鍵の献上、旗の儀礼は創作していません。




