第陸話 戦の国、赤坂 後
二人はひと仕事終え、宿についた。
やはり、道中出くわした男三人組の言う通り、昨夜の宿場町とは違い、倍以上の値だった。
「ちょっと出てくるわ」
火弦が荷物を置くなり、再び口元に布を巻き、すぐに出かけようとする。
「ちょっとはゆっくりしいや。さっき話聞いたばっかしやん」
「うん。やけど、やっぱ気になるんよ」
「そんな真面目に一所懸命やっとったら、頭剥げてまうで? あ、そのほうがわかりよいか?」
「ぐっ……」
けたけたと笑う火緒に、頭を摩りながら火弦は冷たい視線を浴びせる。
「もう、好きにしぃ。俺は一寝入りさせてもらうわ」
「疲れた」とひっくり返る火緒を置いて、火弦は一人街に出た。
火弦は雑踏に紛れ、小さく息を潜めて歩いた。
屋台の軒先をひとつ、ふたつとすり抜けるたび、布の匂いや干し魚の香りが鼻をかすめる。
火緒のように声を張らず、五感だけで世界を読み取っていく。
人込みから隠れるようにして、細い路地に入った。通りの奥。大きな蔵の前に置かれた荷車に、どこか他とは違う空気が漂っていた。
幾重にも結わえられた麻袋の上に、赤い布の切れ端——黒い刺繍で蛇のような印がふと目に入る。
荷袋に縫い付けられた黒い蛇紋。赤坂兵が身につけている印。間違いない。
――赤坂の印だ。
荷の傍にいる男は、表の商人なら漂うはずの”物売りの匂い”がしない。
代わりに漂ってくるのは、戦場にいる兵と同じ”錆びた鉄のような重い匂い”がする。
鎧の下に布を巻き、刀の鞘に手を添える癖――。
(商人の所作やないな……)
短刀を腰に差した侍風の者が二人。
声が低く、商人とは違う動きを見せている。
火弦は一歩、ゆっくりと近くの荷台の影に沈み込む。見つかったら恐らく命はない。額から汗が伝い、緊張が高まる。
足音は柔らかく、誰の視線も引かなかった。
耳を澄ますと、小さな会話が漏れて聞こえた。
「明日の朝一で峠の砦へ移す。薬の箱は三十、兵糧物資の箱は五十。中身は燃えるから火には注意だ」
「おい。峠の砦って、どこの砦だ?」
「あぁ、一の砦の方だ」
火弦は、雑兵の"一の砦"という言葉を聞き逃さなかった。
(なんや、幾つも砦があるんかい。何のためや?)
「白岩への戦の準備はどうなってる?」
(でた。白岩)
火弦は、さらに一歩踏み込む。
「あぁ、あっちはどうせまた"例のブツ"を使って一網打尽にする気らしいぞ?」
「あー、あの"毒"な」
「あれ作らされてるの、連れてこられた村人らしいぜ? 何でも、毒の製造には、使い捨て出来る奴等じゃないとダメらしい。毒が回ってすぐ逝っちまうんだと」
火弦は目を見開いた。 確かに今、"毒"という言葉を耳にした。
"毒"と"一の砦"、それに"村人"……。
……火弦の頭の中で欠片がはまってゆく。
(間違いない。赤坂は白岩と戦を始めるつもりなんや。そして、戦には毒が使われ、捕まった村人に作らせよる……。くそっ)
火弦は、音も立てず食いしばる。
赤坂の身勝手なやり方に、心底反吐が出た。
火弦がその場から静かに立ち去ろうとした時、蔵の向こうから二、三人の男が姿をあらわした。
男たちは明らかに雑兵の出で立ちではなく、いつも自分たちが見ている、みすぼらしい野盗にしか見えない。
「おつかれさまです」
(あいつらなんや? どう見ても野盗やないか。なんで兵が頭下げとんねん)
火弦はその場に留まり、もう少し様子を伺うことにした。
「あー、白岩へ攻め込む準備は進んでるのかぁ?」
「はっ。滞りなく。鴉様」
(鴉……?)
野盗風情の男は鴉と呼ばれていた。
背が異様に高く、骨ばっていて、手足が異常に長かった。しかも、どう見ても野盗のくせに"様"呼ばわりされている。
(やっぱ、なんかおかしいで。赤坂。やけど、これ以上深入りせん方がええな……)
火弦がその場から離れようとした時、背後に人の気配を感じた。
「おい、お前。そんな所で何をしているッ!」
火弦がすぐさま振り向くと、そこには先程の野盗の手下らしき者が立っていた。
(しまったっ! 見つかった!)
いつもならすぐに気配に気づく火弦も、話を聞きとるのに夢中になり、警戒を怠ってしまった。
「あ、あの……っ」
火弦はしどろもどろに応える。
「頭ぁ! 変なガキが、ここで聞き耳立ててやしたぜっ!」
「はぁ? ガキぃ?」
火弦は手下に捕まり、鴉の前に突き出された。
腕は手下に拘束され、逃げられない。
鴉はじっと火弦を見下ろし、問いかける。
「お前、あそこで何やってた? ん?」
火弦は何も応えず、じっと鴉の顔を見る。
「なぜ応えねぇ。あそこで"何をしていたのか?"と聞いてるだろ? それに、その布。顔を見せろ」
鴉はその長い手を伸ばし、火弦の口周りの布を剥ぎ取ろうとする。
火弦が顔を背け、「もう無理だっ」と目を固く瞑る。
(火緒っ……!)
……と、その時。遠くから大きな声を上げながら走ってくる者がいた。
「すみませーんっ! そいつ、オラの弟なんでさぁ!」
鴉は男の方を向き、「なんだ? お前」と、問いただす。
「実は、人手が足りないとかで、オラが弟を連れてきたんでさ。だけんど、途中ではぐれちまって……」
火弦は、その男を見た。
知らない。
見たこともない。
(誰や……?)
火弦は、声を出すこともなく、男に目を見張る。
「そうかー。弟ならちゃんと見てやれよ?」
「へえ。すんません」
鴉は何故かあっさりと引き下がり、男に火弦は無理やり頭を下げさせられ、手を引かれ、街の路地へと連れていかれた。
火弦がふいに振り返ると、鴉はじっといつまでもこちらを見ている。
——あれ、ほしいな。
鴉がぽつりと呟いたのが聞こえた。
その鴉の態度に、火弦は妙な気持ち悪さを覚えた。
大通りに出る手前の路地で、男はピタリと歩を止め、火弦に向き直る。
火弦はたじろぎながら、男にとりあえずの礼を言った。
「あ、あの。どこのどなたかは存じませんが……。危ないところを、ありがとうございました」
火弦が丁寧にお辞儀をすると、男は先程の声とは打って変わって、聞きなれた声で話しかけてきた。
「ほんっと、お前気をつけろよな。あのまま連れて行かれでもしたら、何されてたか分かんねぇぞ」
「え……?」
男が懐から取り出した手ぬぐいで顔を拭き、汚れを落とす。驚いた火弦の目に飛び込んできたのは、いつも見慣れたあの顔だった。だが、何やら違和感がある。
「よっ!」
男は片手をひょいと挙げ、にこやかに笑う。
「玄瑞ッ!」
火弦は安堵と驚きで足から力が抜け、思わずしりもちをついた。
玄瑞は、あわてて火弦の口を押さえ、「しぃー」っと黙るように促す。
「あれ? 玄瑞……」
玄瑞の顔をよく見ると、いつもの無精髭がない。
「髭、どないしたん?」
火弦が不思議に思い尋ねると、玄瑞は「変装のためだ」といって、自分の顎を撫でた。
髭がない自分に満更でも無さそうな様子で、ニヤニヤする。
だが、それを見た火弦は、わけのわからない安堵感と今頃襲ってきた恐怖感に駆られ、間髪入れず玄瑞に食ってかかった。
「玄瑞ッ! なんでこんなとこおるんっ! それに何なん! その恰好! ほんま、俺死んだかと思うたわっ!」
火弦は小声で玄瑞をまくし立てる。
玄瑞は、赤坂の兵の服をまとい、すっかり成りすましている。
「いやいや。むしろ俺がいたから助かったんじゃねーか。お前こそ。こんなとこで何やってんだ?」
「俺らはばあちゃんの仕事で、薬売りながら戦の情報集めてんねん」
「俺らってことは、火緒も一緒か?」
火弦は頷いた。そして、玄瑞に聞いてみた。
「玄瑞。ばあちゃんに言われて、俺らの事追っかけてきたん?」
「うんにゃ。俺は別件。別の仕事でこの城に潜入中~」
玄瑞は上機嫌で火弦に答える。真面目に仕事をしているのか、ふざけているのか全くわからない。
「どうりで。いつの間にかおらんと思うたわ。ほんま、ようわからんやっちゃな」
呆れた火弦は尻についた砂を払うと、体を起こし膝をつく。
玄瑞は再び「にっ」と笑うと、男たちの目を盗み、火弦を連れて大通りへと続く道へ誘導した。
「これはお前らの仕事だから、俺は口出ししねぇ。しっかりやれよ」
「うん。助かったわ。おおきに」
「まだまだ、修業が足りんぞ」
「あいてっ!」
そう言うと、玄瑞は火弦の額にデコピンを一発繰り出し、再び元来た道を戻っていった。
(ほんま。玄瑞ってなんの仕事してんねんろ)
市場の喧騒に混ざり、火弦はいつもの無口な顔つきに戻った。
だが胸の奥では小さな針が確かに深く刺さっている。
(動きは始まっとる──ただ、煙はまだ立ってへんだけやな)
火弦は影のように雑踏にまぎれ、宿への道を急いだ。
足取りは軽く見えるが、顔つきは険しかった。
宿の灯がゆらめき、木格子の隙間から外の提灯の赤が滲む。
――火緒は畳に寝転びながら足を放り出していた。
「……にしても、赤坂はなんや息が詰まるなぁ……」
短い沈黙のあと、火緒が寝返りを打つ。
しばらくして、火弦が部屋に戻ってきた。
「どこいっとったん?」
「ちょっと街並み見てきただけや。あ、そういえば、玄瑞に会うたわ」
「玄瑞に? なんでこんなとこにおるんよ」
「なんか、仕事らしいで? 知らんけど」
「玄瑞、いつもふらっとおらんくなったりするからなぁ。普段は酒飲んで寝とるだけやのに。ようわからんオッサンやわ」
「いつものことや」
火緒は「せやな」と短く返事をすると、再び寝返りを打った。
火弦がふとちゃぶ台を見ると、食べたあとの団子の串が三本転がっていた。
火弦はその串を呆然と見つめる。
火緒が「どしたん?」と火弦に尋ねると、火弦が串を見詰めたまま低い声を出した。
「お前……先に団子食ったな? しかも俺の分、一本食ったやろ……」
火緒が「うん!」と満足気に言う。
「でもちょっと硬かったなぁ? 昨日のうちに食べとけばよかったわ」
舌なめずりをしながら満足げな顔つきで言う。
それを横目に、火弦は残された団子に勢いよくかぶりついた。
「火緒……団子の恨みは怖いからな。覚えときや」
「はー、今忘れたったわ」
食べ終わると火弦は荷物を整理し、明日の帰路への準備をした。
外では再び雨の音がぽつりと始まり、灯がゆれる。
「なんや、ほんま天気悪いなぁ」
「せやな」
(天気がころころ変わりよる。まるで、戦模様みたいや……)
火弦はそっと、格子戸を下ろした。
――翌朝。
空はどんよりと曇っていた。
雨上がりの赤坂は、土の匂いが濃かった。
市井は昨日と変わらず賑わっていた。
帰る前に、二人はもう一度店を覗いて回る。
火緒は、露店の食べ物に涎を垂らし、火弦は小間物屋や道具屋を見て回った。
そして、街を見尽くした後、調査終了といわんばかりに、顔を見合わせ「帰る」の合図を送り合う。
宿に帰ると早速荷をまとめ、赤坂城下を離れるときにはすでに日はもう真上を過ぎ、大分傾いていた。
城下街を背に、道を歩きながら火弦がつぶやく。
「戦の煙は、まだもう少し先やな。けど……火種はもうついとる」
火緒は荷を背負い直す。
「赤坂……なんか好きになれんわ。あそこ、みんななんか"生きとるのに、目ぇが死んどる"感じや」
火緒はしばらく黙って歩いたあと、振り返ることなくぽつりと零した。
二人は重い荷を背負い、帰路についた。




