第伍話 戦の国、赤坂 前
夕方に差し掛かる頃、遠くの方で雷鳴が聞こえた。朝出た時は気持ちがいいほどの晴天だったが、次第に雲行きが怪しくなる。風が吹き始め、雨の匂いが濃ゆくなり、今にも一雨来そうだった。
二人は足を早め、宿場町を目指した。だが、遠くに町が見える頃、ぽつりぽつりと地面に模様が現れだす。
「火緒、走れ!」
「うわっ! びちゃびちゃや!」
二人はびょしょ濡れになりながらも、なんとか町にたどり着いた。
「最近、よう雨降るなぁ」
「秋の長雨って言うやろ? そのうち雨の日も減るわ」
軒先で暗い空を見上げながら雨宿りをしていると、ちょうど店先で提灯を片付け始めていた女の人から声を掛けられた。
「あんた達、びしょ濡れじゃないかっ! うちに入んな! 雨宿りして行きなよ」
二人は慌てて手ぬぐいで口元を隠し、助かったと言わんばかりに店へ駆け込んだ。
「あー! ほんま、酷い目にあったぁ!」
「ほんまやな。すんません。声掛けてもろて、ありがとうございます」
火緒は、荷物を下ろし濡れた服を払う。
火弦は、女の人に丁寧にお礼を言った。
「ちょいと待ってな。手ぬぐい持ってくるから」
そういうと、そそくさと奥へ入っていった。
火緒は、辺りを見回し火弦に聞いてみる。
「火弦。ここなんかの店なんかな? 草鞋がいっぱいある」
「うん、確かに。店なんやろな?」
二人がきょろきょろと店を見ていると、声が飛んできた。
「あんた達、こんな雨の中、城下町まで行く気かい?」
女の人が手ぬぐいを持って、奥から出てきた。
「すみません」と軽くお辞儀しながら、手渡された手ぬぐいで身体を拭く。
「あー、明日の朝入ろうかと思とるんです。今日はこの町で宿を取ろうかと……」
それを聞いた女の人は、「なぁんだ」と手を叩き、にこにこと笑う。
「ここ、旅籠だよ。なんなら、うちに泊まっていきなよ。ちょうど一部屋空いてるからさ」
火緒と火弦は女将さんの鶴の一声で、すぐに決めた。
「あんた達、その顔に巻いてる布ぐらい、取ったらどうだい?」
店に入っても口元を覆っている布を取らないので、部屋に通されながら女将さんにあれこれ言われる。
「あ、これ。実は風邪をこじらせとって……咳が……ゴホゴホ」
火弦が誤魔化すと、女将さんは「そりゃよくないねぇ?」と心配してくれた。
「あんたら、この時期に赤坂に来るなんて、物好きだね! しかし、子供二人で赤坂になんの用だい? 薬売りに来たのかい? あたしも一つ貰おうかねぇ? 最近あかぎれが酷くてさっ! え? 常葉から!? 遠かっただろ? あんた達の言葉、南の方だね? 夕食、しっかり"おまけ"しといたげるからね!」
女将の怒涛のしゃべりは、長旅の体には堪えた。
「早ぅ休ませてや……」と、流石の火緒もうんざりとした顔をしていた。
部屋に入ると、すぐさま口周りを覆っていた布を剥ぎ取った。雨に濡れて重くなった衣を脱ぎ、衝立に掛ける。
火緒は上裸のまま座敷に倒れこみ、「ふぅ」っと一息ついた。
火弦は衣を窓に向けてパンとはたき、雨水を飛ばす。
「あ、それとねぇ?」
女将が言い忘れがあったらしく、襖を開けて顔を覗かせた。
「やばっ!」
「えっ?」
二人は慌てて上裸姿を荷物を抱えて恥じらうように隠したが、咄嗟の事だったので顔を隠すのをすっかり忘れてしまった。
「おやっ! こりゃ驚いたね! あんたら双子だったのかい!」
女将が双子に驚き、興味本位に部屋に入ってきた。
双子は警戒しながら、女将に睨みをきかせる。
「そんな怖い顔しなさんな。あたしゃあんたらを変な目で見たりしないよ。でも、初めて見た。ほんとに、そっくりなんだねぇ?」
物珍しそうに眺める女将に、火緒は嫌悪感を表す。
「おばちゃんも、ほんまは俺らの事嫌なんやろ」
「すんません。すぐ出ていきますさか」
双子が身支度をし始めると、女将は慌てて止めに入る。
「何言ってんだいっ! あんたらはウチの大事なお客様だよ。今なら、湯殿が開いてるよ。貸し切りで入れるからね! あたしが誰もいれさせないから、安心して温まってきな!」
それだけ伝えると、「うふふ、可愛いねぇ」と笑い、部屋を後にした。
二人は女将の優しさに触れ、疲れた身体を湯に浸し、「もう食えない!」と言うほど飯をたらふく食った。
その日は話し合う間もなく、床についた。
雨音が心地よく、いつの間にか二人の重い瞼は疲れと共に落ちていた。
――翌朝。
日が登り、雲はすっかり流れ、空は澄み切っている。
この時期の空は実に変わりやすいなと、二人は「やれやれ……」と空を眺めた。
二人は、朝早くに宿場町を出た。
「帰りにでも、また寄るわー」と女将さんに約束をし、赤坂城下を目指した。
「おわっ! 昨日は雨で分からんかったけど、赤坂の土って、こんなに赤っぽいねんな!」
「ほんまやな。こんなに赤いとは思わへんかったわ」
火緒も火弦も、土を手に取り驚いた。
朝靄の残る街道を抜けると、熱の匂いを孕んだ風が吹き抜け、急に空気が変わる。
さらに歩くと、大きな街が姿を現した。
街の遥か向こうには、大きな城がそびえ立つのが見える。
「あれが……赤坂城」
「今回は、あっちは気にしたらあかん。俺らは薬売って、戦の情報を集める。それだけや」
火弦はじっと赤坂城を見据えた。
赤坂の街に入ると、想像とはまるで違っていた。行き交う人々の服は派手で、屋台の声も賑やか。焼いた魚、干した肉、鉄を打つ音。鉄と油の匂いを含み、商人たちの声に怒号が交じる。
「なんか、聞いとった話と全然ちがうやんっ!」
「口閉じ。目立つわ」
叫ぶ火緒に対し、火弦が小さく返す。
背負った綴ら籠が揺れ、籠の中で合わせ貝がかすかに鳴った。
赤坂の城下街はいたって普通の町だったが、やはりどこか落ち着かない様子が伺えた。
「なぁ、なんかさ、活気はあるんやけど……」
火緒が言いかけて、言葉を切る。
よく見ると、笑っている商人の手は薄汚れ、爪の間に黒い粉がこびりついていた。
(なんや? あと黒い粉。火薬でも触ったんか?)
火弦が注意深く観察する。
通りを掃く子どもの服は擦り切れて汚れており、昼間から酒をあおる輩もいる。
路地や橋の下では、物乞いをする者もいた。
「……やっぱ、戦の国やな。なんや、物騒や」
火弦がぽつりと呟いた。
風が大通りを吹き抜け、遠くから金槌の音が響いてくる。
「火弦、ちょっとあのおっちゃんに買取出来るか聞いてくるわ」
そう言うと、火緒は店先に立っていたオヤジに話を聞きに走っていった。
火弦は火緒を待つ間、露店の影から一杯飲んでいる男たちに、さりげなく耳を傾けた。
「……あちこちの馬借が駆り出されているらしい。大量の荷物をどこかへ運んでいるんだとよ」
「ほう、また戦か……」
「いや、まだわからん――」
「例の場所に行くのかもしれん」
「あぁ、俺も雇ってくんねぇかなぁ……賃金いいらしいじゃねぇか」
「馬鹿っ! お前死にてぇのかっ! 給金良くても、死んだら終いだぞっ!」
そんな声があちこちで聞こえる。
(例の場所……?)
火弦は視線を落とし、注意深く聞いていると、火弦に肩を叩かれた。
火弦が驚き、びくんと身体を震わせた。
「なにビクついとんねん。あの店で買取やっとるみたいや」
「お、おう。わかった」
二人は、目と鼻の先の問屋へと足を運んだ。
「へぇ、兄ちゃんたち。薬売りかい?」
声をかけたのは、腹の出た商人だった。
指や腕には数珠のような銅銭の輪が巻き付けられ、一目で金勘定の人間だとわかる。
火緒が笑顔で頭を下げた。
「はい、山の庵で薬をこしらえてまして」
「ほう?山の薬か、珍しいな」
「よく効く金創膏です」
「おぉ、“金創膏”ねぇ。そいつは売れる……」
商人の目が金の匂いを掴み、声を潜める。
「しかし……。どうした? そんな口元に布なんか覆って。風邪か?」
商人に顔の布を指摘されるも、火弦が冷静に応えた。
「あ、はい。最近の長雨で喉をやられてまいまして。どうにも咳が止まらんのです。ごほっ」
「そいつぁいけねぇな。薬売りなのに、自分たちが風邪なんてよ」
商人は二人を見て笑い、双子はそれに合わせて苦笑いをした。
「今じゃ赤坂も仕入れが難しくなってきていてな。また、戦が始まる見てぇだからな。この薬があればこちらも助かる」
火弦の眉がわずかに動く。
「戦が……?」
「うむ。大きい戦がらしいぞ?」
火緒が笑顔を保ったまま、軽く調子を合わせる。
「それって、どこと戦うんです?」
「あぁ、白岩だよ。あの両国は領地を切ったり切られたりの繰り返しだからな。だが……」
「だが……?」
商人の意味深な言葉に、火弦は聞き返す。
「今回は赤坂が圧勝だろうな?」
「え? なんでなんですか?」
商人は火弦にちょいちょいと手招きをし、耳打ちをする。
「ここだけの話な。最近、赤坂は新兵器を作り出したらしい。それが何ともおっかない代物ときたもんだ」
「へー」
火弦は興味深そうに短く返事をし、あたりを見回した。
「それって、どんなやつなんです?」
「いや、それは……。俺も詳しくは知らん! だが、それで戦に勝ちゃ、ここいらも暫くは安泰よ」
もう一歩の所で、詳しい情報を聴き逃し、火緒は思わず火弦の影で舌打ちをする。
「……で、買ってくれるんです?」
「もちろん買うさ。ただし、半分は物資との交換でどうだ?」
「物資?」
「塩、大豆、油。米なんかも全部値が跳ねてきている。今ならそっちの方が、お前さんたちにとっても悪くない話なんじゃないか?」
商人は、どこか意味ありげにほくそ笑む。
「確かに。やけど、そちらも物資が必要なんやないんですか?」
「いやいや。こっちは物資より薬よ」
火弦は無言で店先に並ぶ大豆を手に取り、指先で物を確かめた。
(あんまし、いい品っちゅーわけでもなさそうやな。足元見る気ぃや)
(粗悪品と交換して、自分は金儲けする気ぃやな)
火弦は店先にある品を眺め、火緒は商人を勘ぐる。
「悪くないだろ? お互い、いい仕入れができそうだな」
商人がにやりと笑うと、火弦は「ははっ」と無理やり愛想笑いをした。




