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まほろば  作者: amagaeru617
兆し之段

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【閑話・泡沫記】影の悪夢

 ——これは、赤坂へ売る薬作りのために、薬草摘みに出かけた一行が、庵に戻った後に起きた悲劇の話である。


 

 草に滴る朝露が光り、その新鮮さを物語る。

 

「この朝露に濡れた葉がいいんじゃ。これもよい薬になりそうじゃわい」

  

 紅梅は先日皆が摘んできた薬草を選別していた。薬草を手に取り、満足そうに微笑んだ。……が、必要な薬草が少し足りないことに気が付いた。

 

「梓や、薬草が少し足りなさそうでの。ちょっくら摘んでくる。すぐに帰るで。後はまかせたぞ」

「はい、わかりました」

 

 梓は庵の縁側で、相変わらずゴリゴリと薬研を動かし、ひたすら薬を作っていた。

 庵には梓一人。

 床には色々な種類の薬草が散らばっている。

 

 カサッ。

 

「ん?」

 床に置いてあった薬草が、少しだけ動いた気がした。

 音のする方に目をやった……次の瞬間!

 梓は固まった。

  

「……っ!」

  

 今まで気づかなかったが、『そいつ』は暫し梓の近くで様子を伺っていたのだ。

 梓は、『そいつ』と目が合ったような気がした。

  

( ヒッ!)


 瞬時に脳が察知する。

  

(やばい……やばいやばいやばいやばいッ)

 

 体が言うことをきかない。

  

(早く逃げなければ! 奴が……ッ!)

 

 そう頭ではわかっているのに、体は金縛りにあったように動かない。

 ほんの少しの時が、永遠のように感じられた。

『そいつ』は間違いなくこちらを見ている。

 まるで梓のことを、観察でもしているかのようだ。

 そして、少しずつ梓との距離が、じわ……じわ……と詰まってくる。

 ……と、次の瞬間!

『そいつ』は、梓めがけて飛びかかってきた。黒い影が視界いっぱいに跳ねる。

 

 「いゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」 

 

 ――その頃。

 刹は離れの自室にて、紅梅から頼まれた薬草本の書き写しに励んでいた。紅梅からは、本の書き写しや、修理をよく頼まれる。意外にも、刹は本や書物が好きなのだ。

  

 窓から吹き込む風がほどよく、心地いい。

 大きな欠伸をしながら、つい居眠りをしそうになる。

 うとうとしたその時、梓の金切り声の叫びがはっきりと聞こえた。

  

「……! 梓っ!?」

  

 ガタンッと大きな音を立て、思わず足を机に思い切りぶつける。

 

「……ッッッ!!!!」

 

 今まで聞いた事のない梓の声。

 ただ事ではない。行かねばっ!

 痛みに悶絶しながらも、刹は裸足のまま、ものすごい速さで部屋を飛び出していた。

 ちょうど帰ってきた紅梅の目の前を、刹が突風のように駆け抜けていく。

 

「今の悲鳴は何じゃ!? おい、刹! せーつッ!」

 

 刹は紅梅の言葉に、振り向きもせずに走り去っていった。

  

 ――梓の声は山々にも響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立つ。

  

 刹が庵に入るやいなや……。

  

 ドガァッ!

  

「いぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!」

  

 刹の目の前が暗くなり、悲痛な叫び声が響き渡る……と共に、

 

 ぱちぃぃぃん!

 

 思い切り引っぱたかれた。

 紅梅が「はぁはぁ」と息を切らしながら庵に入ると、そこには床に突っ伏した刹がおり、その傍らで梓が半泣き状態で息を切らし震えていた。

 部屋は荒れ、薬棚の引き出しと薬草は部屋中に散乱している。

  

「梓……、なにがあったんじゃ!?」

  

 紅梅が真っ青な顔の梓に近づこうとした、その矢先。

  

「……ひっ!」

 

 梓が短い悲鳴をあげ、何が恐ろしいものでも見たかのように顔が歪む。

 梓の見ている方向に、紅梅も視線を向けると、刹の背中を、『そいつ』が這っていた。

 梓は石のように固まり、身動きが取れない。

 紅梅は見るやいなや、「ふんっ!」と刹の背中にいた『そいつ』を素手で叩いた。

  

「いってぇぇぇぇぇっ!」

  

 刹が紅梅の会心の一撃に目を覚ます。

 紅梅は『そいつ』を手に取ると、ぽいっと山の方へ投げ捨てた。

  

「まったく……、情けないのぉ! こんな虫一匹に何を大騒ぎしておるのか! あと片付け、ちゃんとしておけよ!」

  

 そういうと、紅梅は井戸へ手を洗いにいった。

  

「はい……。すみませんでした……」

  

 梓は一人、申し訳なさそうに片づけを始める。

 そこへ、使いに出ていた火緒と火弦と朔が、荷物をいっぱい抱えて帰ってきた。

 庵の惨状を見て、目を丸くする。

  

「えっ? どうしたの!? なんか獣が入ってきた!? 狸っ!?」

「きゅっ!?」

  

 朔が庵の惨状を見て、慌てふためく。それにつられてよすがも驚いて、朔の髪の中に隠れようとする。

  

「猪かっ! 猪がでたんかっ!?」

「まだ近くにおるかもしれへんな」

  

 火緒と火弦も辺りを警戒する。

 刹はむくりと起き上がり、三人に告げる。

  

「いや、猪より凶暴だった……」

  

 その顔は真っ赤な手形が腫れ上がり、背中を手で擦りながらとぼとぼと井戸へと歩いて行った。

  

「ほんま……、何があったん?」

  

 三人は顔を見合わせ、刹の背中を見送った。

 

 ――しばらくして。

  

 三人は、紅梅から事情を聞いた。

 庵の縁側で、不貞腐れながら頬を濡れ手ぬぐいで冷やす刹がいた。

 上着を脱ぎ、背中の紅梅が付けた手形を梓が冷やす。さらに、刹は袴を手繰りあげ、膝小僧の上にできた青タンを規則正しくさすっている。

 その脇でひたすら謝る梓がいた。

  

「ほんっとにごめん! 俺、『あいつ』だけはほんとに無理でさ。あのカサカサ動くアレが……」

  

 思い出しただけでも鳥肌が立ち、両腕を掴み竦み上る。

  

「俺が子供の頃にね、後から食べようと思って、団子をつづらの中に隠してたんだよ。それをすっかり忘れて、ある日つづらを開けたら……。その中にわさわさ『アイツ』がいてさ。それ以来無理になった……。ほんとごめんっ!」

 

 梓が必死に手を合わせ謝る。

 話を聞いた刹は、ふっと引き攣らせ気味に口元を緩ませた。

  

「いや、いいんだ。引き出しを投げつけられ、思い切り引っぱたかれた挙句、ばあさんには背中を思い切り叩かれ……俺の背中で"アレ"が潰れたことぐらい……なんてことない」

  

 刹はどこか遠くを見ながら、無心で打ち付けた膝を摩り、皮肉る様に事の顛末を呟いた。

  

「ごめんってば! でも、あの着物は二度と着ないで……ね」

  

 刹は遠くを見ながら、黙って小さく頷いた。

  

 ――そのやり取りを庵の影から見ていた三人。

  

『刹兄……』

  

 『そいつ』に遭遇した時の梓には、決して近づくまいと固く三人と一匹は心に誓った。

  

 その頃。

 玄瑞は梓のあの悲鳴にも動じず、まだ高いびきで寝ていた。

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