第参話 旅の前夜
外はぽつりぽつりと、葉に雨粒が当たる音が聞こえ始める。
秋雨が、窓の外から冷たい空気を流し込む。
囲炉裏の火がゆらりと立ち、薬を詰めた合わせ貝の列が静かに光った。
皆、囲炉裏を囲み、胡坐をかいて座っている。
連日連夜、薬作りに励んだ。
「ようやくアレが売りさばけますね、師匠」
「そうさの。最近大きな戦がなかったからの。アレの作り置きの分も、一度に捌けて好都合じゃわい」
刹は、紅梅と梓の二人がほくそ笑みながら、薬を作っていたのを思い出す。
紅梅は昔、さる忍びの里の長で、薬師をしていたらしい。
梓はその弟子で、紅梅の知識をふんだんに詰め込まれている。
そんな二人が作り上げた薬を、刹たちは大きな戦の気配が漂う度に、村や街へ売りに行く。
戦の匂いを嗅ぎ取り、情報を得るついでに、薬を売って一儲けするのだ。
——戦が近づけば、薬が売れる。
これが紅梅の口癖だった。
(わざわざアレなんて言わなくても、"薬"って言やぁいいじゃねぇか。なんの隠語だよ)
刹は、梓が合わせ貝を詰める姿をぼーっと見つめた。
紅梅がゆっくりと湯呑を置き、一仕事を終え満足げに煙管を吹かす。
「皆ようやった。少ない資材の中、薬の出来は上々じゃ」
満足そうに合わせ貝を一つ手に取り、紅梅の目が一人ひとりに留まる。
「されど、ここからが本番。お前ら。明日、赤坂・白岩の二領地に赴き、情報を持ち帰りのじゃ。城下には必ず濃ゆい噂が流れておるはずじゃ。重々用心して事に当たれ。よいか。此度の戦の情報だけでよい。それ以上は深入りするな。とかく! 無駄な小競り合いだけは、起こしてくれるな」
紅梅は双子を見る。双子は、「なんで俺らやねん!」と不機嫌になった。
刹は「はは」と軽く笑うと、黙って炭に視線を落とし、梓は合わせ貝を手に取り袋に詰める。
「赤坂へは火緒、火弦、お前ら二人で行け。あの土地なら、戦の匂いなどすぐに嗅ぎわけられるじゃろうが、くれぐれも用心せい。なんせあの赤坂じゃ。油断はするな。ただの子供として振る舞え。白岩へは刹と朔。あそこは比較的穏やかではあるが、城仕えの忍びがおるでの。気をつけい。目をつけられようものなら、面倒じゃ。そして、梓。お主はワシと共に庵に残り、留守番じゃ。次の漁りまでに武器の手入れをする。よいな」
「はい」
皆、静かに頷き、梓は小さく返事をした。
最後に紅梅が小さく付け加える。
「目と耳と足を使え。周りをよく見聞きし、動くのじゃ。あとは、我がの頭で考えよ」
「御意」
皆一堂に返事をし、床に手をついて深々とお辞儀をする。
紅梅は「よっこらしょ」と重い腰を上げると、肩をもみながら奥の部屋へと下がっていった。
夜は深く、庵の周囲を闇が包み込む。
各々自室に帰ると、静けさの中で明日へのそれぞれの思いを抱いた。
刹は雨音を聴きながら本を開き、さらさらと何かを書きこむ。しばらく物思いにふけり、本を閉じた。
「何してたの?」
台所の片づけを済ませた梓が部屋に入ってくるなり、刹に尋ねた。
「うん?……ちょっとな」
「日記? そんなのつけてたの?」
「まぁな」
ほくそえみながら、梓に応える。
「あいつらもう寝たのか?」
「うん。寝たみたい。廊下まで双子のいびきが聞こえてたよ」
梓は苦笑いしながら、布団を敷き始める。
刹も日記を本棚にしまうと、布団を敷き、肩肘をついて横になる。衣をたたんでいる梓を寝転がりながら眺めた。
「梓、俺たちがいない間、ばあさんを頼むな」
「うん、わかった。それより他領地に行く刹たちの方が大変だよ。皆がいない間、少しばかり楽させてもらえそうだし。……なぁ、刹。その……故郷には寄ってみるのか? 刹の故郷、白岩だろ?」
刹は一瞬視線を落とし躊躇ったが、すぐに軽く返す。
「さぁ、どうかな。俺の村、あるかわかんねぇし」
「そっか。無理だけはするなよ。刹はさ、案外変なことに巻き込まれやすいんだから」
「大丈夫だって。薬売って、情報仕入れてくるだけだし。白岩なら二日で帰れるから」
梓は、不安の色を隠せなかった。悪い予感はいつも何かしら当たる。
「刹……あのさ……」
胸の奥がざわざわと騒ぎ、刹にそれを伝えようとしたが、すでに寝息を立てていた。
寝ている刹に、厚掛けをそっと掛けてやる。
夜も更け、ほうほうと遠くで梟が鳴く。
雨粒はしとしと音を重ね、庵を包み込むように降り続けた。
行灯の灯りをふっと吹き消し、二人は静かに床についた。
——その夜。
雨も上がり、まだ月も雲に隠れた深夜のこと。
「うっ……う……ん……」
刹は寝苦しさにうなされていた。
普段ならば熟睡できるはずが、この夜は妙に落ち着かない。
(明日の旅に緊張してるのか?)
暑い? いや、苦しい。しかも妙に重い。
(なんだ……。これ……)
寝返りを打とうとするも、金縛りにあったかのように体が動かなかった。
「うぅ……」
ゆっくりと目を開けると、首元に風が当たっているのに気が付いた。
風?……いや、違う。寝息だ。
「ふっ」っと温かい吐息が首筋をかすめる。
息が近い。
視界は闇に沈んでいたが、だんだんと意識がはっきりとしてくる。確かに自分の上に誰かが覆いかぶさっている気配があった。
「……ッ!」
思わず身体が跳ね、胸がドクンと脈打つ。鼻腔をかすめるのは薬草の匂い。
「ん……」
反動で梓の身体が転がった。……だが、一向に起きる気配は無い。
動揺を隠せなかった。
梓が自分の布団に転がり込み、しかも上半身を重ねて自分に抱きついていたのだ。
梓の寝相が悪いのは、子供の頃から百も承知だ。
今まで蹴られたり、掛け布く団を取られたことは多々ある。冬場は寒さで死にかけた。
だが……これはまずい。実にまずい。
冷や汗が首筋を伝う。
(と、とにかく、このまま梓を自分の布団まで転がせば……。よし! なんとかなるっ!)
刹は梓をゆっくりと転がし始めた。
だが、その反動で予期せぬ自体が起きてしまった。
梓の着物が豪快にはだけ、その華奢な胸元が露になる。
「…………やべえッ!!」
この時ばかりは、暗闇に目が慣れる事に長けている自分を呪った。
今の状況。非常にまずい。
こんな時にかぎって、刹の脳裏にある言葉が浮かぶ。
——衆道。
そう。かつて、刹は玄瑞より正しい性教育を受けていた。
玄瑞曰く。
(かの有名な武将たちは、こぞって嗜んでいるらしいぞ。嗜み。そう、衆道とは文化。文化なのだ。まぁ、俺は女がいいけどなっ)
にやりとした、あの忌々しい助平な髭面が頭を過ぎる。
(くっそ! 玄瑞のやつ! あいつが全部悪いんだっ! 俺は違う! 違うぞっ!)
思わず、自分を正当化しようと、自分自身に必死で言い聞かせた。
刹は息を潜めて、再びゆっくりと梓の身体をずらし始める。
だが次の瞬間、梓の足がぬるりと蛇のように刹の腰に絡みつき、腕は刹の首へ。がっちりと体を梓に包まれてしまった。
「むにゃ……刹……」
(おいっ! やめろっ!)
刹は凍りついた。身動きが取れない。心臓は暴れ馬のように跳ね回る。
(どうする? どうすればいい!?)
必死に足を外そうとすると、上半身がわずかにずれる。
「……ッッ!?!」
暗闇に慣れた目と、何とも都合よく月明りが雲間から現れた事によって、梓の姿が露になる。
先程暗闇で見たものとは違い、華奢な肩の線が、その肌が、月明かりに照らされ妙に艶めかしく色っぽい。
規則正しく胸が上下する度に、何故か無駄に興奮してしまう。
一瞬、頭が真っ白になる。
(違うっ! 違うっ! 違うんだ! 梓が悪い! 俺じゃねぇ! 確かにこいつは女にしか見えねぇが……とかそんなんじゃない! 俺にそんな趣味はないっ!)
完全に危険領域。刹は頭の中で鐘を鳴らしながらパニックに陥った。
刹の必死な願いが神に届いたのか、梓は不意に刹から離れ寝返りを打つ。
(よしっ! いいぞっ! これでなんとかっ!)
梓から逃れようとした次の瞬間、再び梓が刹の方に寝返りを打った。
「ぐはっ……!」
梓のかかとが刹の頭に直撃し、刹の意識は……闇に沈んだ。
庵の外で、夜明けの鳥が一声鳴いた。
「刹ー、おはよー。起きてる? そろそろ旅の支度……」
朔が刹を起こすため障子を開けると、朔は信じられない物を見たように固まり、絶句した。
その朔の姿を見て双子が駆けつけるも、同じく視線は釘付けとなり、動けなくなってしまった。一同が見たもの。
……それは、一枚の布団に二人で厚掛けを仲良く掛け、寄り添う刹と梓の姿だった。
まるで仲睦まじい兄弟のように、いや、それ以上に密やかに。
誰もが言葉を失った。
――ぱたん。
何事もなかったかのように、静かに部屋の障子は閉じられた。
兆し之段、了。




