第玖話 文武の国、白岩 後
——夜が明けた。
空は晴れていたが、雲が多く雨を予感していた。
街に出ると、問屋街は昨日よりも活気づいていた。
戦の匂いなど、微塵も感じられない。
代わりに道行く人の声や、秤の針の音。商売人の客を引く声、店から漂う出汁のいい匂いが鼻につく。
「ねぇ? 刹。なんか、戦が近づいているとは思えないよね?」
朔は街並みを歩きながら、きょろきょろと辺りを見ている。
「朔、あんまりきょろきょろすんな。どこで誰が見てるか、わかんねぇんだからな」
朔は「うん」と頷くと、急に「あっ」と声を上げ、通りの先に走ってゆく。
どうやら、うどん屋の女将さんに教えてもらった、"桐屋"という問屋を見つけたようだった。
「刹ーっ! こっちこっち! 多分ここだよ」
朔が指さしたのは、問屋街の中でも一際大きく目立つ大店だった。
確かに店の看板には、大きく”桐屋”と掲げられている。
刹は棚に並ぶ薬草を眺めていると、店の奥から若い青年が出てきた。
「いらっしゃいまし。今日は何をお探しで?」
青年は、手もみをしながら、刹ににこやかに愛想笑いを振りまく。
「すみません。うどん屋の女将から紹介されまして。手前どもは、薬を売って回っているのですが、こちらで買い取っては貰えませんか?」
刹は青年に丁寧にあいさつをした。
すると、青年は「少しお待ちください」といい、奥へと下がっていった。
「ねぇ、今の店員さん、刹とあまり歳が変わらないように見えるんだけど」
「そうだな」
「みんな、働いてるんだね」
朔がぼそぼそと刹に話しかける。
『みんな働いている』という朔の言葉が、妙に刹の心に突き刺さる。
暫く待っていると、奥から青年と一緒に出てきたのは、これまた刹と同じ年ほどの若い娘だった。
「お待たせいたしました。私がこの店の主人です。薬を売りたいとの事でしたが、どのような薬でしょうか?」
刹は一瞬、主人が女という事に驚き、つい女の顔をぼーっと見つめてしまった。
「あの、私の顔になにか?」
女主人の言葉に我に返り、慌てて背負った風呂敷包みを下して、中から薬の入った袋を取り出す。
「あ、すみません。これです。"金創膏"という傷によく効く薬なのですが」
そう言って、合わせ貝を縛っていた紐をほどき、開いて薬を見せた。
女店主は指に少し取り、匂いを嗅いだり、腕に塗ったりして確かめている。
その様子を見ながら、刹はおずおずと切り出した。
「あ、あの。不躾な事をお尋ねするのですが……」
「何でしょう?」
「常葉の"清瀬"という街にも、ここと同じ"桐屋"という店があるのですが、こちらと何か関係があるのですか?」
刹は、昨晩からずっと気になっていた事を、女店主に聞いてみた。
「え? 清瀬の桐屋? うそっ! うちは桐屋の同列店なの!」
店主は急に声を荒らげ、興奮気味に話し始める。
「やはりそうでしたか。あちらではいつもお世話に……」
「ねぇ、君! あっちの店主の”律”は元気? うちのお兄ちゃんなのっ! あー、久しく帰ってないからなぁ」
女店主の声に圧倒され、刹と朔は少し後ずさった。
「あ、ごめんなさい。急に大きな声を出してしまって。私、桐谷仙と申します。うちのおじいちゃ……いえ、大旦那がこちらに店を構えると言われた際、こちらを任されまして。あー、会いたいなぁ。あ、お名前お伺いしてもよろしいですか?」
「刹です。こっちは朔」
「刹くんに、朔くん。今後ともよろしくお願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
二人はぺこりとお辞儀を交わす。
その拍子に朔の懐からよすがが顔を覗かせた。
「きゃっ」
仙はよすがを見て思わず、一歩飛び退いた。
「す、すみません。よすが、中に入って!」
朔がよすがを懐の中にしまおうとすると、仙が朔の懐に顔を近づけまじまじとよすがを見た。
「かわいぃーっ! 何? この子。名前なんていうの?」
「あ、よすがです」
「よすが。縁の名前だね。ねぇ、触ってもいい?」
「あ、はい。どうぞ」
仙が手を差し出すと、よすがは仙の腕を伝い、肩まで駆け上った。
仙はよすがのふわふわの毛に頬ずりをして、喜んでいる。
よすがも、まんざらでもなさそうだった。
仙はひとしきりよすがと遊び終えると、満足げな顔をし、朔によすがを返した。
「清瀬かぁ……」
先ほどの清瀬の桐屋の店主"律"の話を思い出し、仙は懐かしむように微笑んだ。
だが、ふと我に返り商売人の顔に戻る。
「あ、すみませんっ。つい私ったら。仕事しないとっ! こちらの薬の買取でしたね。こちらなら……そうですね。一つ、十文で如何ですか? 交ということで、少し上乗せいたしましょう」
「ありがとうございます!」
二人はやった! というように顔を見合わせた。
朔は、薬草代を差し引いたお金を仙から受け取り、荷物の中にしまった。
「くれぐれも律に宜しくお伝えくださいませ!」
仙から律への挨拶を託され、二人は店を出た。
「やったなっ! 少し上乗せして貰えたぞっ」
「そうだねっ! どうする? なんか美味しいおやつでも食べちゃう?」
「だなっ」
二人は喜び勇んで、問屋街を見に行った。
少し浮いたお金で、朔は香ばしく焼いた餅を買った。刹は、自分で貯めた小遣いを足して、高級な杉原紙を一束買った。
二人は、「庵の連中には内緒な?」と、固く約束を交わした。
問屋街を歩いていくと、徐々に街の喧噪が遠のいていく。
華やかな店が多かったが、その中でも、街の中に堂々と道場があることに驚いた。
とてもしっかりとした門構えで、いつも行く清瀬の街でも、このようなものは見たことがない。
門の外に、道場で稽古をしているであろう声が聞こえてくる。
「さすが『文武の国』と言うだけあって、全然ちがうね」と、朔も目を丸くした。
「破戒僧とかもいるんでしょ?」
朔が刹に聞くと、少し笑って答えた。
「破戒僧はさすがにいねぇんじゃねぇか? 僧兵はうろついているみたいだけどな」
朔と街を見回しながらも、刹の顔は何処か浮かなかった。
しばらく歩くと、昨晩うどん屋で出くわした"あの女"が男と手を取りふらふらと歩いていた。
どうやら、この分かれ道から先は香町のようだ。
「あのお姉さん」
朔が嫌な顔をした。
「確か、影香とか言ったな」
刹は朔の腕を引き、影香に見つからないように道の反対通りを歩く。
影香と男は二人に気づく様子もなく、何やら警戒しながら裏通りへと入っていった。
刹はその様子に、何やらただならぬ雰囲気を読み取った。
そして、影香たちに気付かれぬよう、近くの店で品物を見るふりをしながら、聞き耳を立てた。
朔は、物珍しそうに商品を見ながら、店の中に入っていった。
「ちょっとー、最近弥一郎っ! 急にどうしたのさっ! ちっとも顔をみせてくれなかったじゃない」
「すまねぇな。頭が体を壊して寝込んじまってよ。赤坂との戦もあるってことで、場内はてんやわんやなのよ」
「はぁ……。何それ。弥一郎に関係ないでしょ?」
「一応、これでもあいつらの目を盗んで、逢いに来てやったんだぜ?」
弥一郎が影香を引き寄せ、口づけを交わす。
その様子伺っていた刹は、顔を真っ赤にして固まってしまった。
(なんだよっ。ただの逢引きかよっ。でも、”頭”って言ってたよな? それに弥一郎って……、たしか昨日、女将さんが……)
刹は昨日のうどん屋の女将の話を思い出した。
『最近、"弥一郎"っていう影香のいい人が来ないもんだから、ちょいとご機嫌斜めでね。弥一郎、城仕えしてるらしいからねぇ』
刹は考える。
(ただの城仕えにしちゃ、殿様の事を”頭”なんて呼ぶのはおかしい。そういえば、ばあさんが言ってたな。”城仕えの忍びがおるでの。気をつけい。目をつけられようものなら、面倒じゃ。”って)
刹は店に並ぶ本を手に取りながら、頭の中の欠片を繋ぎ合わせてゆく。
(間違いねぇ。あいつ、城仕えの忍びか。なら、昨日女将が言っていた軍師ってのは忍び組の頭か。ふーん)
刹はさらに耳を傾ける。
「とにかく、俺はこれからしばらく城を離れなきゃなんねぇ。頭の病はこの辺りの薬師じゃ、手に負えねぇんだ。俺が薬師を探して連れてくることになったから。寂しいだろうが、これで勘弁してくれな」
「弥一郎……」
弥一郎と影香のやり取りを聞きながら、刹は何故だかわからないが、段々と腹が立ってきた。
「なんかムカつく……」
「なにがそんなにムカつくんだい?」
刹がぼそりと呟くと、路地からでてきた弥一郎に話しかけられ、驚きで心臓がドクンと跳ねる。
刹は慌てふためいて、咄嗟の言い訳を考える。
「はっ? あ、いや、この本の値段が高すぎて買えねぇなぁ?って……」
(うぅ……。厳しかったか?)
それを聞いた弥一郎は、「ははっ」と笑って、刹に忠告してきた。
「兄さん。そんなことでいちいちムカついてたら、頭に血ぃ上って早死にしちまうぞ?」
弥一郎は笑いながら歩いていき、その後を追う影香は一瞬刹の方を見たが、気にも留めずに行ってしまった。
二人が通り向こうへ消えてゆき、刹はほっと胸を撫で下ろした。
「あっぶねぇ。あの女に気付かれたかと思ったぜ」
「あの、お姉さん、昨日相当酔っぱらってたからね。覚えてないんじゃない?」
いきなり真横に立っていた朔に話しかけられ、刹はまたもや心臓を跳ねさせた。
「朔ー。いつの間に隣に来たんだよ。さっき、店の中に居ただろ?」
「うん。あの二人が出て行ったから、店から出てきたんだ。二人でいたら、余計に思い出されるかもだし」
「お前、あの二人に気付いてたのか?」
「まぁね」
「抜け目ねぇな」
刹はにやりと笑う朔の頭を、わしゃわしゃと撫でた。




