第捌話 文武の国、白岩 前
――懐かしい白岩の風。
常葉のような、緑生い茂る木々の薫る風はない。
(来ちまったな……。いつかは……とは、思ってたけど)
刹は思い切り空気を吸い込むと、全身で懐かしい風を感じた。
子供の頃と何ら変わらない。だが、それが少し悲しくもあり、寂しくもあった。
城下街の門につくと、街並みが一気に広がった。
「うわぁー!でっかい街だねぇ!」
「しゅーっ!」
朔とよすがは、街の大きさに目を輝かせている。
問屋、呉服屋、飲み屋、屋台。
所狭しと並び、活気に満ちていた。
「ほら、朔。街巡りは後だ。とりあえず、宿を探さねぇとな」
「はぁいっ!」
幸いにも、大門から入ってすぐの所にいい宿が見つかり、そこに決めた。
「はぁー! 疲れたー!」
「しゅー、しゅー」
朔は、部屋に上がると荷物を置き、足を畳に投げ出した。
よすがは部屋の中とふわりと飛んで、窓辺に着地する。
草履の紐でこすれた足が赤くなり、長旅の辛さを物語っていた。
刹も荷物を置くと、畳に足を投げ出した。
「……さぁて。夕飯、どうすっかなぁ……」
窓の外に暗くなり始めた空を眺めながら、腹をさする。
庵とは違い、見える景色は山ではなく屋根瓦。
瓦が太陽の日差しでキラキラと反射して眩しい。
「なんか、軽いものがいいな。なんか疲れちゃった。あ、うどんが食べたい! 最近、うどん食べてないし」
「しゅー、しゅー」
「よすがはこっち。ちゃんと持ってきてるからね?」
朔は荷物から木の実を取り出し、よすがに与えた。
よすがは、朔から木の実を受け取ると、一心不乱にかじりつく。
その後、朔の希望通り、うどんを食べに行く事にした。
「よすが、うどん屋にいるときはここにいてね。出てきちゃだめだよっ!」
「しゅー」
朔はよすがを懐の中へ入れると、お腹がいっぱいになって眠くなったのか、丸まってすやすやと寝息を立てた。
日が落ちても街は明るく、提灯が灯り、道がよく見える。
――宿から近場にあるうどん屋に入った。
二人は"かけうどん"を注文し、うどんを運んできた女将さんに刹が尋ねる。
「すみません。俺たち、常葉から旅をして薬を売りに来たんですが、何処かいい買取り処があれば教えて貰えませんか?」
女将はしばし考えた後、「なら、この先を行った"桐屋"さんがいいわよ」と教えてくれた。
「桐屋?」
「刹、桐屋ってあの清瀬の街にある桐屋と、なんか関係あるのかなぁ?」
「そうだな。行ってみりゃわかるだろ?」
刹は、普段漁ったものを売りに行っている桐屋を思い出した。
あそこは紅梅の昔なじみの店で、どんなガラクタでも買い取りをしてくれる良心的な店だ。
(こっちの店、買い取りしてくれりゃいいけどなぁ)
そんなことを考えていると、女将がうどんを持ってやっていた。
「はいよっ!」とにこやかに渡してくれたうどんには、頼んでいない揚げ玉が入っていた。
「え? 頼んでませんけど?」
刹が困惑し、女将に尋ねる。
「常葉から、こんな若い子が長旅してきたんだ。おまけ。しといてやるよっ」
女将はそう言うと、豪快に笑いながら下がっていった。
「よかったね! 刹!」
「おう」
機嫌よく二人でうどんを啜っていると、女の管を巻く声が聞こえてきた。
店の端で、徳利を抱えてブツブツと文句を言っている。
(なんだあいつ。女版玄瑞だな)
刹は女の酔っぱらう姿に、つい玄瑞を重ねてしまった。
「弥一郎が来ないとつまんないのよ。退屈で死んじゃいそうっ」
女の張り上げる声に刹がちらりと机向こうに視線をやると、不運にも目が合ってしまった。
女は徳利を片手に、ふらふらと千鳥足で刹たちに近寄ってくる。
「ねぇ、あのお姉さん、こっち来るよ!」
「う……やべぇ」
朔の慌て様に、刹は「しまった」と、思わず顔を背ける。
刹の肩に手を回し、顔を近づけ徳利を机に置く。
「今さ、あたしの弥一郎、戦の準備とかで来てくんないの。ねぇ、あんた。代わりに遊んでって言ったら……怒る?」
酒臭い匂いを漂わせながら、指先で刹の顎の線を軽くなぞり、耳元に軽く息を吹きかける。
刹の体が石のように固まり、微動だにできない。
「それとも、一杯付き合う?」
「あ、いえ……」
刹は女に酒を進められるも、小声で静かに断った。
「ふふっ。あんた、いい面構えしてるじゃない。……良かったら、香街までおいでな。……まけといてやるから……さ」
女が刹に顔を寄せ、耳元で甘い言葉を囁く。
指の香が移り、吐息で空気もわずかに甘くなる。
普段玄瑞も十分酒臭いが、それとは違い香の匂いも混じるせいか、上品さが伺え、どんどん体が硬直してゆく。
刹はどくりと心臓を波打たせながらも、必死に平静を装った。
朔も顔を真っ赤にしながら、女の仕草から目を離せないでいたが、勢いよく朔は椅子から立ち上がった。
「や、やめろよっ! 刹には梓がいるんだからなっ!」
「おいっ! 朔っ!」
何を思ったのか、朔の口から梓の名前が飛び出した。
「き、昨日だって、一緒に寝てたんだからなっ!」
「朔ーっ! それ以上言うんじゃねぇっ!」
それを聞いた女は、「ぷっ」っと吹き出し、大笑いした。
「なぁんだ。あんた、もうすでにいい人がいるのかい。ざんねぇ~ん」
女は「梓」という名前に”刹の女”と勘違いをしたらしく、くすっと笑うと、変わりに朔へと興味の矛先を変えた。
机に身を乗り出し、朔の柔らかそうな頬をぷにぷにとつつきながら、おちょくり始める。
「じゃぁ、坊やに……と言いたいところだけど……。坊やはね、もうちょっと大きくなったら相手して、あ・げ・る」
「ば、ばかにすんな!」
「ふふ、かわいいねぇ」
「あははっ」と笑いながら、持ってきた徳利を手に取り、自分のいた場所へとふらふら戻って行った。
「ふぅ」と刹はひと息つく。
顔色ひとつ変えないように努めたが、耳だけがやけに熱い。
「刹ぅ……」
朔はどうしてよいのかわからず、オロオロとしている。
「朔。お前、昼間『忘れる努力する』っつったよなぁ」
「ごめん。つい。でも、撃退できてよかったよねっ!」
「そうだな……」
刹は不貞腐れて、頬杖を突く。
女将が「ごめんね」という仕草をしながら、小走りで近づいてきた。
「あの子、影香って言ってね。香街の娘だからさ。悪気はないんだけどね。最近、"弥一郎"っていう影香のいい人が来ないもんだから、ちょいとご機嫌斜めでね。弥一郎、城仕えしてるらしいからねぇ。何やら、”赤坂と戦”が始まるらしいじゃないか。その準備なのか、久しく顔を見てないねぇ? 影香もいい加減止めときゃいいのに。いつ、戦で命を落とすかもわからない男なんてさ。あ、香街ってのは”色街”のことね」
「ふふふ」と笑うと、女将は刹の肩を軽く叩いた。
刹は女将の言葉を聞き逃さなかった。確かに「戦」と言った。刹はこの機を逃すまいと、すかさず女将に問いただす。
「女将さん、近々赤坂と戦が始まるんですか?」
「あぁ、そうらしいよ? だけどね。白岩は、度重なる戦で勢力が落ちているらしくてね。どうなるんだか。あ、これは内緒だよ?」
女将が急に声を落とし、刹に顔を寄せた。
「前に弥一郎から聞いた話なんだけどね? 白岩の軍師が病に臥せってるって話だ。そんな状態で、戦を受けるとは思えないけどねぇ? 何やら、いい”薬師”を探しているらしいよ?」
「へー、そうなんですね」
刹は軽く返事を返し、女将は話終わると、何事もなかったように顔を離した。
「まぁ、お上のすることはあたしらにはわからないけどさ。戦なんてやめてほしいものだね。悪いことは言わない。用事が済んだら、巻き込まれる前に、さっさと国へお帰り」
「あ、はい。ありがとうございます」
刹が丁寧に礼を言うと、女将は「ごゆっくり」と一礼し、奥へ下がっていった。
「朔、聞いたか?」
「うん。なんか、凄い情報手に入れた気がする」
二人は残りのうどんを腹へ流し込むと、宿へと足を向けた。
――その夜。
うどん屋から帰ると、部屋で二人は明日の事を話し合った。
「明日はまず問屋に行って薬を売る」
「うん。他に情報探す?」
「そうだな。店の人と話せばなんかわかるだろ。うどん屋の女将ですら知ってたんだ。商売人は何かしら情報を掴んでいると思う。でも、逆に聞き回ったら怪しまれるだけだからな。用心しろよ」
「うん」
刹は言い終えると、板の間に敷かれた御座に寝転がった。
朔が荷物を整えながら、刹に話しかけてきた。
「刹。せっかく白岩に来たのに、故郷に行かなくてもいいの?」
朔の何気ない問いに、刹はしばし目を伏せて、やるせない気持ちで息を吐いた。
「あのな、朔。俺は戦孤児だ。村も親も、もうねぇ。行っても仕方ねぇだろ」
そう言って朔を見ると、あからさまに不服そうに口を膨らませている。
「なんだよ……」
「僕……刹が生まれ育ったとこ、見たい」
「だから、なんでだよっ」
「だって、せっかく白岩まできたんだからさっ。もう来ることないかもしれないし……」
ごにょごにょと口ごもる朔に、刹はやれやれと天井を見上げた。
外では、城下の灯が煌びやかに瞬いている。
刹は窓から入り込む灯りへ目を向けた。
軒に吊るした火が、やけに落ち着かなかった。




