第拾話 伊那の風
街の隅々まで朔が見たいというので、反対側の門まで来た。
ここから先はもう店もなく、全くと言っていいほどの別世界が広がっていた。
朔はじっと門の外を見つめていた。
「刹。伊那……いこう」
朔が刹の衣の裾を引っ張り、門の向こう側へと誘う。
だが、刹は視線を落とし、そっぽを向いた。
(今さら、俺の伊那に何しに行くってんだよ……)
「せっかくここまで来たんだからさ。行こうよ」
「しつこいぞ、朔」
せがむ朔を諫め、刹が踵を返し道を戻ろうとするも、朔が袖をひっぱって止めに入る。
「刹。お願いだから。行ってみたいんだ。どうしてもっ!」
あまりのしつこさに見かねた刹は、朔が納得するように聞き返した。
「なんでそんなに伊那に行きたいんだよ。お前はあの村とは何の関係もないだろ? それにな、自分の故郷の近くまで来たけど、あるかないかもわからない村へ行きたいと思うか? しかも、戦で焼け落ちたんだぞ? たぶん、もう……ねぇよ」
刹のあきらかに諦めさせようとする態度に、朔は拗ねたように口を膨らませて見せる。
「――僕、自分の村がどこにあるかわからないんだ。つれてこられたのは覚えているんだけど、記憶がすっぽり抜け落ちているから。だから……代わりに刹の故郷が見たい!」
「俺は、嫌だっ!」
「見たい!」
「いーやーだっ!」
「見たい! 見たい! 見たい! 見たいっ! 見たいーっ!」
朔は急に駄々をこねだし、その場に座り込んでしまった。
「あー、もうっ! わかったよっ! なんだよお前のその頑固さ。でも、こっから伊那までは行って帰って半日かかるから、もう一泊ここに留まることになるからなっ! 庵に帰ったら、一緒に言い訳してくれよっ!」
「うんっ! わかったっ!」
「絶対だからなっ!」
刹は朔に固く約束をさせた。
思わず、梓の怒り狂う様子が目に浮かぶ。
「はぁ~……」と深い溜息をつき、上機嫌になった朔と共に、故郷”伊那”へと向かう事になった。
「楽しみだなぁ♪」
朔は一人、上機嫌で門の外へ飛び出して行った。
――城下町を出て、伊那へ向かって二人は歩き出す。
朔は足取り軽く、刹はその真逆で、足取りが重く、とぼとぼと後をついて歩いた。
門から出てしばらく行くと、急に視界が開け、だだっ広いススキ野原が広がっていた。
風が吹く度にススキが波打ち、まるで海のようになびく。
朔は、「うわぁ」と喜びの声をあげ、はしゃぐようにして駆け出した。よすがも朔の懐から、ひょっこり顔を覗かせる。
「刹! 綺麗だね!」
「しゅーっ!」
「ほんとお前は、ご機嫌でいいな……」
刹は目の前に広がる美しい景色を見ても、朔のようには楽しめなかった。
朔は飛び跳ね、くるりと舞うと、合わせるように風が吹き抜ける。
よすがも朔の肩からふわりと飛び、ススキの波間に着地すると、走って朔に駆け寄って来る。それを楽しむように、何度か繰り返した。
ススキ野原を抜けると、今度は森が現れた。街道は森の中へと続き、道なりに進むと、道が二手に分かれていた。
その丁度境目に、石でできた道標が立っていた。
『左 伊那』
その文字を見た途端、刹の足取りはさらに重くなり、胸の奥がざわつき始めた。
(この先に……伊那の村が……。本当にあるのか?)
刹はぎゅっと拳を握りしめ、一つ深呼吸をし、気持ちを整える。
道なりに歩いていくと、やがて、遠くに小さな集落が見え始めた。
(ここか? ここが伊那か……?)
――伊那。
村の遥か手前で、刹の足が止まる。
「あそこが……刹の故郷、伊那?」
朔が、村の方を指さして、刹の顔を見て尋ねる。
刹は半信半疑に小さく頷き、しばらく立ち尽くす。
村の周辺を見ると、記憶に残る者が目に入る。村の子供たちと魚を取った小川。あの大きな木には、よく登って遊んだ。
(間違いない。伊那だ)
刹は確信した。村は再び立ち上がっていた。村人たちは田畑を耕し、子供達が走り遊ぶ。村の規模は、子供の頃自分が暮らしていた頃よりも、幾分か大きくなっているように見える。
あの幼い頃の炎に巻かれた村など、どこにもなかった。
「七年も経ちゃ……、そりゃ、こうなるか」
刹は安堵したように、そっと目を閉じる。
あるはずもないと思っていた村が立ち上がっていたからなのか、それとも、自分の全く知らない村へと変わり果てていたからなのか、わからなかった。
風が頬を撫で、昔のなつかしい声を運ぶ。
母の優しい笑い声、父の力強い教え、家の屋根を叩く雨音、温かい焚火の灯。
すべて過ぎ去った幻のように。
「刹、村へは行かないの?」
朔の問いに返事もせず、ただ静かに頷いた。
二人は村へは入らず、しばらく遠くの小高い丘の上から、座って村を眺めていた。
「刹もこの村が焼かれた時、玄瑞に拾われたの?」
「……あぁ」
それ以降、二人は会話を交わすことなく、ただ黙って村を見ていた。
どれほどの時が流れただろう。
空は段々赤く染まり始め、刹と朔は村を離れた。
村から立ち去る時、朔が刹に聞いた。
「村、立ち直ってたね。刹は、伊那には帰らないの?」
刹は息を大きく吸い込んだ。
そして、ふっと空に向けて吐き出すと、自分に確認するかのように朔に告げた。
「俺の居場所は、庵にしかねぇよ。あそこが俺の家。俺の故郷。俺の家族がいる場所だからな。伊那には、帰らねぇ」
刹の言葉に朔は、少し照れくさそうに笑い、「そうだね」と言った。
刹は立ち止まると、一度だけ振り返り、村を見た。
「……あの日。俺は、ここで死んだんだ」
誰に言うでもなく、独りごちる。
故郷の風は、刹の言葉をここに留めた。
少し冷たく、そして懐かしさを残し、刹は伊那を後にした。
――城下町に帰ると、真っ先に昨日立ち寄ったうどん屋へ顔を出した。
すると、女将さんにえらく喜ばれ、色々と品をつけてくれた。どうやら二人とも気に入られたようで、その日は昨日の油揚げに続き、煮込んだ野菜を入れてくれた。その優しさが染みたうどんは、伊那への疲れも吹き飛ばし、元気をくれた。
帰り際、「明日、常葉に帰るんです」と刹が女将にお礼と共に告げると、寂しそうに「また、いつでもおいでね。でも、戦が終わってからだよ」と笑って送り出してくれた。
宿も、昨日と同じ所にした。昨日とまったく同じ部屋に通され、昨日と同じように畳に寝転ぶ。
よすがは疲れて丸くなって寝ていた。その背を朔が優しく撫でる。
朔は伊那の事を思い出したのか、刹に昔の事を訪ねた。
「刹ってさ、どんな子供だったの?」
刹は寝転がりながら天井を見上げ、自分がどんな子供だったか、記憶を辿ってみる。
「そうだなぁ。お前みたいに、よくびーびー泣いてたよ」
朔を見て冗談めいて、「ははっ」と笑う。
「僕は、そんなにびーびー泣いたりしないよっ!」
ぷいっとむくれてそっぽを向く朔の方へ、刹はごろりと転がり、朔の傍まで行くと、ぷにぷにと膨れた頬をつついた。
「ほれほれ、その顔。俺もこんなだったなぁ」
笑いながら茶化し、つつくのをやめない。
「もうっ!」っと刹の手を払い退けた。
「じゃぁ、いつからそんなに強くなったの?」
「そうだなぁー」
刹はしばし考えこむ。すると、脳裏にあの酒臭い髭面が真っ先に浮かぶ。
「あの”ばあさん”と"玄瑞"に出会って、鍛えられてからだな」
朔は手をぽんと叩き、相槌を打った。
「そうなんだね。僕も刹みたいに強くなれるかなぁ」
「なれるさ。毎日ちゃんと鍛錬すればな」
刹は朔の頭をわしゃわしゃと撫でると、「厠!」といって部屋を出て行った。
静かに閉めた襖の向こう。廊下で刹は立ち尽くし影を落とす。
胸の奥がズキリと痛み、思わず手で押さえる。
(朔。俺が強くなったのは、それだけじゃねぇんだ……。あの村で玄瑞に拾われた訳じゃねぇ。すまねぇな。知らなくていいことだって、ある……よな)
刹はうしろめたさを抱えたまま、静かに厠へと足を運んだ。




