客人から愛人へ
リュシオラが六つになる頃には、私は王城に、ほぼ毎日出入りするようになっていた。
表向きの立場は「行儀見習いの客人」。没落した貴族の娘が、行儀作法を学びながら、王太子の温情で世話になっている――そういう体裁だった。誰も、深くは詮索しなかった。詮索させないだけの振る舞いを、私は完璧に演じ続けていた。
私は、定期的に、戦略室へ情報を流した。王宮内の力関係、エルヴィーネ王妃との距離感――文の形すら取らない、暗号化された言伝てに、細かく書き記した。
向こうからの返答は、年に数度、思い出したように届いた。
『前進しているか』
『王妃の座に、いつ届く』
届くたびに、独房にいるイレブンの顔が浮かんだ。生きているのか、死んでいるのか、確かめる術はなかった。ただ、指示が届き続ける限り、まだ利用価値があると判断されている証だった。それだけが、イレブンの生存を示す、唯一の手がかりだった。
*
王妃エルヴィーネに、初めて会ったのは、庭園でのことだった。
銀の髪に、菫色の瞳をした、穏やかな人だった。私を見ると、警戒するでもなく、親しげに声をかけてきた。
「あなたが、殿下の仰っていた客人ね。娘さんも、一緒だとか」
「――恐れ入ります、王妃様」
「堅苦しい挨拶は結構よ。ここでは、皆、気楽に過ごしていて構わないの」
エルヴィーネは、屈託なく笑った。その笑顔に、悪意はどこにも見当たらなかった。ただの、幸福な人間の顔だった。
私は、その顔を、まっすぐに見返すことができなかった。
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庭園の一角で、エルヴィーネが幼い娘――リディエンヌ――と遊んでいるのを、遠くから見かけたことがある。
母娘は、花を摘みながら笑い合っていた。何気ない、ありふれた光景だった。それが、私の中の何かを、静かに逆撫でした。
子供の頃、街角で見た光景と、同じ構図だった。仕立てのいい外套を着た子供たち。笑う父。あの日と同じ熱が、指先から込み上げてきた。
違うのは、今度は自分が、その光景の中に入り込む力を持っている、その一点だけだった。
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ヴァルテールの寵愛は、日を追うごとに深まっていった。
既に王妃を娶っている身でありながら、私の一挙一動に目を輝かせ、機嫌を取ろうと必死になる姿は、正直、滑稽だった。国の頂点に立つ男が、たかが一人の女に、こうも容易く飼い慣らされる。その様を見るたび、私は、内心で薄く嗤った。魅了の力を使うたび、罪悪感のようなものが、胸の奥をよぎった。それでも、手は止まらなかった。彼の目に映る自分が、本物の想いによるものか、魅了によるものか――その境界線は、使う私自身にすら、次第に見分けがつかなくなっていった。
「――エルヴィーネのことは、どう思われますか」
ある夜、それとなく尋ねてみた。ヴァルテールは、少し困ったように笑った。
「良き妻だ。政略の結びつきとはいえ、悪くはない。だが」
「だが?」
「お前といる時の方が、息がしやすい。王妃には、悪いと思うが」
ヴァルテールは、窓の外へ目をやり、独り言のように続けた。
「――王妃より先に、お前と出会えていたら。そう思うことが、近頃、増えた」
私は、微笑んでみせた。喉の奥に、笑いとも嗚咽ともつかない塊がせり上がってくるのを、その笑顔の下に押し込めながら。
*
エルヴィーネが、幸福そうであればあるほど、私の中の何かが、軋んだ音を立てた。
生まれてこの方、辛い想いなど、したことがないのだろう。娘の将来を、当たり前のように思い描いているのだろう。エルヴィーネが当たり前に持っているものの全てを、私は持っていなかった。それが、妬ましかった。許せなかった。
その差を分けたのは、何だったのか。
答えは、分かりきっていた。生まれた場所が違っただけだ。あの日、街角で自分に言い聞かせたのと、同じ答えだった。
*
その夜、鏡に映る自分の顔を見て、私は少し笑った。
裏通りで、飴をねだる子供たちを、物陰から見ていた頃の自分と、今の自分は、地続きだった。あの時と同じ怒りと憎しみを、私はまだ、消せずにいた。
ただ、あの頃と違うのは――今度は、私が、あちら側の家族を、壊す力を持っている、その一点だった。
鏡の中の女は、まだ笑っていた。私は、その顔から、目を逸らさなかった。




