舞踏会の夜
十八の年、初めての大掛かりな任務が下りた。
「侯爵家の夜会に、給仕として潜り込め。客の会話を拾うだけでいい」
簡単な任務のはずだった。だが、会場の招待客名簿を検めた時、指先が止まった。
招待客の中に、私の異母兄弟にあたる二人の名があった。同じ父を持ちながら、あちらは正規に認知され、王族の血筋として大切に育てられた子供たちだった。私のように、裏通りで隠されて育った子とは、何もかもが違った。
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夜会の夜、私は控えの間で、借り物のドレスに袖を通していた。手が震えて、うまく紐が結べなかった。
「――貸せ」
イレブンが、背後から、無言で紐を締め上げた。骨が軋むほど強く。それでいて、指先の動きだけは、いつになく丁寧だった。
「今日は、俺が付き添う。護衛という体裁で潜り込める」
「イレブンが」
「文句があるのか」
文句などあるはずがなかった。ただ、嬉しさより先に、喉の奥が詰まった。
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会場の入り口で、初めて、二人の姿を見た。
仕立てのいい夜会服を着た、若い男女だった。街角で見た幼い頃の面影が、まだ、うっすらと残っていた。
兄の方――私の異母兄――は、酒杯を片手に、給仕の女たちを、値踏みするような目で眺めていた。父と、同じ目だった。血は争えないのだと、その一点だけで分かった。
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給仕として動き回りながら、私は、目当ての情報を集めていた。
酔った貴族の一人が、空の杯を差し出してきた時、私は、彼の目を、少しだけ長く見つめ返した。それだけで、十分だった。
「――近頃、東の国境で、何か動きがあるとか」
それとなく水を向けると、男は、問われるまま、聞かれてもいない機密を、上機嫌で喋り始めた。目の焦点が、僅かに緩んでいた。杯を受け取る、その一瞬の指の触れ合いだけで、たいていの警戒心は解けた。
人を従わせるのは、拍子抜けするほど簡単だった。目を合わせる。手を触れる。それだけで、大抵の者は、自分の意志で喋っていると信じたまま、私の望む言葉を差し出した。裏通りで覚えた術は、宮廷の夜会でも、寸分違わず通用した。
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配膳の合間、その異母兄に呼び止められたのは、宴もたけなわの頃だった。
「――お前、見ない顔だな」
酒臭い息が、間近に迫った。壁際に追い詰められて、逃げ場はなかった。
「新入りの給仕で――」
「愛想がないな。もっと、笑え」
手首を摑まれた。強く、痛いほどに。廊下の奥、人気のない方へ、引きずられそうになった。
「離してください」
「減るもんじゃないだろう」
同じ血が流れている。父にそっくりの、身勝手な理屈だった。恐怖よりも先に、腹の底が、怒りで熱くなった。とっさに、男の目を見た。心の中で、強く念じた。だが、何も起きなかった。同じ血のせいなのか、この力は、父方の血縁には、ろくに効かないらしい。
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次の瞬間、男の手首が、後ろから鋭く捻り上げられていた。
「――何を」
「その手を離せ。今すぐに」
イレブンだった。護衛の格好のまま、気配もなく現れていた。声は低く、静かだったが、有無を言わせない響きがあった。
男は、痛みに顔を歪めながら、ようやく私の手首を放した。
「貴様、何様のつもりだ。俺を誰だと」
「知ったことか」
イレブンは、男の胸倉を摑み、壁に押し付けた。周囲に人目がないことを、一瞬で確かめた上での動きだった。
「――うせろ」
男は、青ざめた顔で、逃げるように立ち去った。
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イレブンは、何も言わず、私の手を引いて、庭へ連れ出した。夜風が、火照った頬を冷やした。
「――大丈夫か」
「平気」
そう言った声が、自分でも驚くほど震えていた。膝から、力が抜けた。庭の隅、植え込みの陰に、崩れるように座り込んだ。
「――怖かった」
初めて、口にした弱音だった。裏通りで殴られた夜も、独房の話を聞かされた夜も、一度も漏らさなかった言葉だった。
「――あいつら、大っ嫌い。同じ血が流れてるなんて、最悪」
吐き捨てるように、そう続けた。
イレブンは、何も言わず、隣に腰を下ろした。
*
「――イレブン」
「なんだ」
「私を、拾ったことを、後悔してる? 妹の代わりみたいに、面倒を見るのが、嫌になったりしない?」
自分でも、なぜそんなことを聞いたのか分からなかった。ただ、聞かずにはいられなかった。
イレブンは、片眉を上げた。
「妹だと思ったことは、一度もない」
「――じゃあ、何」
「お前を殺しに行って、俺はお前に魅了されたんだよ」
「――嘘つき。私の魅了は、あなたには効かないじゃない」
その言い方に、なぜか、頬が熱くなった。
イレブンは、私の顔を、しばらく見ていた。月明かりの下、いつもより柔らかい目をしていた。
「――綺麗だ」
唐突な一言だった。文脈も、脈絡もなかった。
「なに、それ」
「今日のお前は、綺麗だ。それだけだ」
答えになっていない答えだった。それでも、それ以上の答えを、私はその夜、望まなかった。
ただ、その横顔に、一瞬だけ、迷うような色が過ぎった。お前を、俺と同じ側に引き込んだのは、正解だったのか――そう問うているような、静かな目だった。
*
任務は、無事に終わった。拾った会話は、後日、戦略室への報告書にまとめられた。誰の記憶にも残らない、小さな成果の一つとして。
だが、私にとっては、違った。
あの夜、庭の暗がりで聞いた「綺麗だ」の一言だけが、その後の人生の、どんな栄華よりも、鮮やかに残り続けた。私にとっては、生涯で一番、幸福な記憶だった。




