検分の罠
リディエンヌが十五になった年、私は、実母エルヴィーネの遺品――日記――を、初めて開いた。
殺害の直後に奪ってはいたものの、それまでは、開く気になれなかった。開けば、何かが変わってしまう気がしていた。だが、リュシオラが年頃になり、婚約者を巡る駆け引きが本格化する中で、私は、使えるものは何でも使う必要に迫られていた。
日記には、薬草のインクの配合が記されていた。肌に描き、時間が経てば自然と消える、特殊な調合だった。エルヴィーネが、どこかで調べ上げ、書き留めていたものらしい。
この配合を知る者は、この世に、私と、あの日記だけだった。
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「――お義姉様の紋様、近頃、少し薄いように見えますわね」
リュシオラが、社交の場で、それとなく漏らした言葉だった。何気ない一言のように装いながら、周到に計算された一言だった。
噂は、瞬く間に広がった。リディエンヌの紋様が薄い――それはつまり、初魔力を、結婚前に捧げたのではないか、という疑惑に直結する。この国では、それは、社会的な死を意味した。
私は、この噂を、さらに後押しした。日記の配合を知って、確信した。リディエンヌの紋様は、もう本物ではない。とうに消えたものを、あの子は、この配合のインクで、何年も描き足して隠し続けていたのだ。
衆目の中で、そのまやかしを暴いてやれば――それで、あの子は終わる。取り繕う術も、言い逃れる術もない。もう二度と、立ち直れるはずがない。
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「――検分にかけましょう」
リュシオラが、衆目の前で、そう言い放った日のことを、私はよく覚えている。
検分の段取りは、私自身が整えていた。聖水の量、立会人の選定、噂を決定的にするための偽の恋文――全て、私の指示によるものだった。
リュシオラは、捏造の恋文まで用意していた。相手の名を仕立て、証拠として添えるための。娘の悪辣さに、私は、我が子ながら、少し寒気を覚えた。同時に、誇らしさに似た感情も、確かにあった。
私が生き延びるために身につけた術を、娘は、生まれながらの才として、軽々と使いこなしていた。
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式典の前夜、私は、リュシオラの部屋を訪ねた。鏡台の蝋燭が二本、燃え尽きかけていた。
「検分で分かるのは、消失の有無だけです。相手までは、特定できません」
娘は、鏡越しに、私を見た。手にした恋文の偽物を、指先でひらひらと弄びながら。
「だからこそ、捏造の恋文が要るのです。相手の名がなければ、噂は形にならない」
「――お母様も、隅に置けませんこと」
リュシオラは、恋文を、蝋燭の炎にかざした。燃やすのではなく、ただ光にかざして、紙の透け具合を確かめるように。その仕草に、罪悪感の色は、欠片も見当たらなかった。
この娘は、既に、ヴィンセルから初魔力を捧げられている。リディエンヌではなく、この子に。婚約者の心を、正式な婚約者から奪い取って、平然としている顔を見るたび、私の胸の奥が、満たされていくのが分かった。
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検分の日、衆目の中、聖水がリディエンヌの肩を流れ、インクの紋様が溶けて落ちた瞬間を、私は、遠くから見ていた。
どよめきが、会場中に広がった。リディエンヌの顔から、血の気が引いていく。婚約者が、父が、居並ぶ貴族たちが、一斉に、あの子を蔑む目に変わっていく。
最高だった。
これほど胸のすく光景を、私は、生まれて初めて見た。
この瞬間そのものが、たまらなく愉快だった。




