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裏通りの娘は、二度と跪かない ~継妃グリゼルダside~  作者: 鷹居鈴野


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12/17

疎みの呪い、九歳の夜

 図書室の窓辺、埃っぽい陽の中で、王太子――リディエンヌの兄――は、私を待ち構えていた。


「――継母上。妹に、妙な真似はなさらないでいただきたい」


 まだ声変わりも済んでいない少年が、私を真正面から睨みつけた。生意気な口振りだったが、その目の奥には、確かな聡さがあった。


「妙な真似とは、心外ですこと」


「継母上が、妹の目を見て、何か念じているのを、私は見ました」


 喉の奥が、急に狭くなった。子供の観察眼を、侮っていた。


「気のせいでしょう。可愛い娘を、案じているだけですのに」


 私は、笑顔でそう受け流した。だが、この少年が、今後、私にとって危険な芽になることを、その日、確信した。


 *


 王太子への呪詛じゅそを決めたのは、それから間もなくのことだった。


 リディエンヌを直接どうこうすることはできない。ならば、周囲から崩す。父の愛情を切り離し、味方を減らし、孤立させる――それが、私にできる、唯一の攻め筋だった。


 まずは、王太子から始めることにした。彼が、実の父からうとまれるように仕向ければ、いずれリディエンヌの後ろ盾も、一つ減る。


 疎みの呪いは、私の血に流れる、認識を侵す系統の呪詛だった。対象への理由なき嫌悪を、周囲――とりわけ血縁――に植えつける。私自身にも制御しきれない副作用があったが、構わなかった。


 眠る王太子の枕元で、私は、術式を編んだ。彼が悪いわけではないことは、分かっていた。それでも、手を止めることはできなかった。


 *


 その術は、日を追うごとに、深く染み込んでいった。


 ヴァルテールは、少しずつ、息子を見る目を変えていった。理由のない苛立ち、理由のない不信。素行の汚名を着せ、国境の任地へと遠ざける口実にも、私の細工が一枚噛んでいた。


 リディエンヌは、それでも兄を庇い続けた。その健気さが、私の中の何かを、また逆撫さかなででした。


 *


 もっとも、王太子への呪詛より前――エルヴィーネがまだ存命だった頃に、私はもう一つ、事件を起こしていた。リディエンヌが九歳の年のことだ。


 リディエンヌの婚約者――ヴィンセルという少年が、狩りに出ると知っていた。リディエンヌも、それに同行する。ならば、と私は、魔獣を一頭、密かに用意し、リディエンヌの匂いを覚えさせた上で、魅了で仕込んだ。その匂いに近づいた者を、迷わず襲うように。


 狙いは、リディエンヌだった。だが、狙いは外れた。魔獣が最初に牙を立てたのは、ヴィンセルだった。リディエンヌの匂いを、誰よりも濃く纏っていたのが、婚約者である彼だったからだ。


 地味な守りの魔法しか使えないはずのリディエンヌは、単身、彼を庇って魔獣の前に立った。それでも、ヴィンセルは深手を負い、意識を失った。


 計算違いだった。それでも、この機会を、私は見逃さなかった。


「――地味な魔法しか使えない娘に、そんなことができるはずがありませんわ。ヴィンセル様をお助けしたのは、きっと、リュシオラ様のほうですわ」


 城の女官にょかんたちに、それとなく囁いた。噂は、私が望んだ形に、都合よく育っていった。「ヴィンセル様を助けたのは、リュシオラ様だったらしい」「王女様は、妹の手柄を横取りなさったのだ」――そういう声が、少しずつ、少しずつ、城の中に広がっていった。


 リュシオラは、姉の持つものを、何でも欲しがる子だった。姉の婚約者も、例外ではなかった。私と同じ、魅了の力を持って生まれた娘だ。片棒かたぼうを担がせるのは、造作ぞうさもなかった。まだ幼い娘に、詳しい事情は伝えなかった。ただ、「ヴィンセル様をお助けしたのは、あなたが自分だと言いなさい」とだけ、繰り返し言い聞かせた。母の言葉を、娘は疑わなかった。


 リディエンヌとリュシオラを見ていると、時折、かつての自分と、あの異母兄弟の姿が重なった。正規に認知され、大切に育てられる側と、日陰で育つ側。あの頃の私は、常に後者だった。


 だからこそ、と思う。リュシオラだけは、負ける側に置きたくなかった。この子を、あの日、私が立てなかった場所に立たせることで、裏通りで震えていた昔の自分を、少しでも慰められる気がした。リディエンヌに負けない娘に、育て上げなければならない。


 *


 意識を失ったまま目覚めないヴィンセルの見舞いに、人が入れ替わり立ち替わり訪れているという話を耳にしたのは、それから数日後だった。


 好機だと、すぐに分かった。


「――お見舞いに、行ってらっしゃい」


 私は、リュシオラの髪を結いながら、そう言い含めた。


「優しく、たくさん心配して差し上げるのよ。誰よりも先に、誰よりも心を込めて」


「あなたが、この先、あの方の一番になるためよ」


 娘は、意味を半分も分かっていない様子だった。それでも、素直に頷いた。


 リュシオラの魅了は、私ほどの精度も強さも持たない。だが、同じ年頃の男の子相手なら、それで十分すぎるほどだった。花を摘み、菓子を包み、見舞いに向かう娘の後ろ姿を見送りながら、私は、確かな手応えを感じていた。


 この一手が、後にどれほど深く、あの少年の記憶に食い込むことになるか――その時の私には、まだ、見えていなかった。


 *


 リディエンヌは、最初、必死に訴えた。自分が救ったのだ、と。


 誰も、信じなかった。私が張り巡らせた噂の網が、真実の入り込む隙間を、すでに塗り潰していた。


 父であるヴァルテールにさえ、疎まれるように仕向けていた。リディエンヌの言葉より先に、私や、可憐に振る舞うリュシオラの言葉に、彼の耳は傾くようになっていた。


 魔獣の一件を境に、リディエンヌの城内での立場は、目に見えて弱くなった。何という好機だろう。これで、しばらくは安心していい。あの子に、リュシオラと私の未来を、邪魔される心配はなくなったはずだった。


 夜、一人になった部屋の窓から、遠くの塔の明かりを見た。リディエンヌの部屋の明かりだった。あの子は今頃、誰にも信じてもらえない孤独の中で、まだ起きているに違いなかった。


 その光景を想像しても、私の胸は、もう何も痛まなかった。あるいは、痛みを感じないよう、既に自分を作り替えてしまっていたのかもしれない。

今回は挿絵です。


挿絵(By みてみん)

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