悪魔の心臓を喰らう者
「助け——ぎゃあぁぁぁぁッ!!」
右翼の陣地から、鼓膜を劈くような悲鳴が上がった。
声の主は、先月『M.A.G.I.C.』を埋め込まれたばかりの新米魔法使いだった。無闇に炎を撒き散らして孤立した彼に、ガスマスクを被った数十人のシャトラ決死隊が一斉に群がったのだ。
「クソッ、援護する!」
俺は泥を蹴り上げ、右手に極大の熱を集束させながら駆け出した。
だが、俺が射程距離に入るよりも早く、おぞましい光景が視界に飛び込んできた。
新米の魔法使いは、巨大な体躯をした敵の将校に泥の中へと組み伏せられていた。
将校の軍服はボロボロに引き裂かれ、肌は乾燥でひび割れている。だがその動きには、一切の迷いがなかった。
将校は腰から分厚い軍用ナイフを抜くと、もがく新米の胸元へ——心臓のすぐ横の肉へ、躊躇なく刃を突き立てたのだ。
「があああああッ!!」
鮮血が泥に噴き出す。
「やめろぉッ!」
俺が叫んで炎を放とうとした瞬間、将校は新米の胸腔に血まみれの両手を突っ込み、生きたまま肉をこじ開けた。
そして、奥底で脈打っていた『赤黒い機械のチップ』を、ブチブチと神経の繊維を引きちぎりながら、素手で力任せにえぐり出したのだ。
「……あ、ガ……ッ……」
新米の魔法使いは痙攣し、白目を剥いて絶命した。
周囲を取り囲む敵兵たちは、自国の兵士を焼いた悪魔の死に様を見ても、歓声ひとつ上げない。ただ静かに、将校の次の行動を見守っていた。
将校は、えぐり出したばかりの脈打つチップを、自らの目の高さに掲げた。
ガスマスクの奥の双眸が、ぎらぎらと異常な光を放っている。
次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
将校はナイフを逆手に持ち替えると、ためらいもなく『自分自身の胸』を深く切り裂いたのだ。
「なっ……!?」
血飛沫が上がる。将校の喉の奥から、言葉にならない激痛の呻きが漏れた。だが彼は手を止めず、えぐり出した新米のチップを、自らの胸の傷口へと深々と突き刺した。
適合手術でも、麻酔でもない。
ただ強引に、肉の奥へと悪魔の心臓を押し込んだのだ。
「ゴオォォォォォォッ!!」
将校の口から、獣のような絶叫が轟いた。
泥の上でのたうち回り、自身の胸を掻き毟る。当然だ。厳重な設備の中で麻酔なしの手術を受けた俺たちでさえ、ショック死寸前の激痛だったのだ。野戦場での物理的な後乗せなど、ただの自殺行為に等しい。
(死ぬぞ、あいつ……!)
俺がそう思った矢先だった。
ドクン——!!
戦場全体が震えるような、異常な脈動の音が響き渡った。
「……嘘だろ」
泥だらけの将校が、ゆっくりと立ち上がった。
その胸の傷口からは、血管のように赤黒い液体が這い出し、強引に肉を繋ぎ止めている。
将校は、ガスマスクを無造作にもぎ取って投げ捨てた。
露わになったその顔は、極度の乾燥でひどく爛れ、呼吸をするたびに肺からヒューヒューと痛ましい音が漏れている。だが、彼の手のひらには、新米が使っていたはずの『水』の魔力が、青白い光を放って渦巻いていた。
「……奪い、返す」
将校の——クルーガー大佐の口から、血の混じった低い声が響いた。
「我々の空を。我々の大地を……祖国の海を、返せェェェェェッ!!」
その悲痛な絶叫と共に、クルーガー大佐が右手を振り下ろす。
俺の目の前で、常識外れの巨大な水流が爆発的に巻き起こった。
それはただの水ではない。絶対零度の吹雪を伴った狂瀾怒濤の鉄砲水となって、周囲にいたアーベントの歩兵たちを次々と氷漬けにし、泥の海へと押し流していった。
「うわあああぁぁぁッ!!」
味方の悲鳴が、氷の砕ける音にかき消される。
俺は咄嗟に炎の壁を展開して濁流を相殺したが、その衝撃で数十メートルも吹き飛ばされ、泥の中を無様に転がった。
「ガハッ……!」
全身の骨が軋む。だが、痛みよりも強烈な『戦慄』が俺の心を支配していた。
どういうことだ。
なぜ、敵は『チップの位置』を正確に知っていた?
なぜ、埋め込めば魔法が使えることを知っていた?
そして何より——なぜ彼は、魔法を放つ直前に、「祖国の海を返せ」と叫んだのだ?
燃え盛る炎と、凍りつく大地の狭間で、俺は震える手で身をよじった。
ただの戦争じゃない。俺たちは何か、決定的に恐ろしい過ちを犯している。
その真実が、すぐ目の前まで迫っていることだけが、痛いほどにわかっていた。




