虚ろな英雄と、狂気の亡霊たち
灰色の空から、柔らかな雨が降っていた。
枯れ果てていた工業帝国アーベントの荒野に、鮮やかな緑の絨毯が広がっていく。
乾ききっていた川には清流が戻り、農地には作物が実り始めた。長年、泥と鉄の錆にまみれていた国民たちは、突如としてもたらされた「神の奇跡」に涙を流して歓喜した。
奇跡をもたらしたのは、俺たちだ。
心臓に『M.A.G.I.C.』を埋め込まれた十数名の魔法使い。かつて使い捨ての肉壁として最前線を這いずっていた「泥犬」たちは、今や国を救った英雄として、豪奢な軍服を纏って王都の大通りを凱旋していた。
「おい見ろよ、レオン! みんな俺たちに手を振ってるぞ!」
隣を歩くカインが、沿道の歓声に応えながら無邪気に笑う。彼の瞳は、かつての絶望を完全に忘れ、自分たちの行いが「絶対的な正義」であると信じ切っていた。
だが、俺の心はひどく冷めきっていた。
パレードの喧騒の中、俺の脳裏に浮かぶのは、地下の無機質な研究室に横たわるアイリスの姿だけだった。
彼女は安全な王都のベッドで、穏やかな寝息を立てている。だが、目は覚まさない。彼女の胸に埋め込まれたチップが強制的な「細胞再生」を繰り返す限り、彼女の意識が浮上することはないのだ。
『彼女の命は、君たちの忠誠心にかかっている』
白衣の男の言葉が、呪いのように耳の奥にこびりついている。
英雄なんかじゃない。俺は、愛する少女を人質に取られ、軍の言いなりに敵を殺し続けるだけの「首輪のついた犬」だ。
* * *
それから数ヶ月が経った。
俺たちは最前線に立ち、ひたすらに魔法を放ち続けていた。
右手を振るえば、敵兵が燃え上がる。
三十キロの鉄の盾を構えていた頃の「重さ」も「痛み」もない。ただ作業のように炎を放ち、人を炭に変えていく。指先一つで命を奪う感覚は、あまりにも軽すぎて、俺から急速に「人間らしさ」を奪っていった。
だが、戦いを続ける中で、俺の中に一つの「不気味な違和感」が膨れ上がり始めていた。
「……第4部隊、左翼から敵襲! シャトラの歩兵です!!」
通信機の悲鳴とともに、土煙の向こうから敵軍が姿を現した。
おかしいのだ。
俺たちが魔法を使い始めてから、敵国シャトラの戦力は完全に崩壊したはずだった。どんなに銃を撃とうが、魔法使いの圧倒的な火力と障壁の前には無意味だ。普通なら、とっくに降伏するか撤退していてもおかしくない。
だが、彼らは退かなかった。
「……なんだ、あいつら」
炎の照り返しの中、突撃してくるシャトラの兵士たちを見て、俺は息を呑んだ。
彼らの姿は、もはや正規軍のそれですらなかった。
ボロボロの衣服。ひび割れた皮膚。そして何より異様なのは、兵士の「全員」が、顔を覆う不気味なガスマスクと、背中に重々しい鋼鉄の『酸素ボンベ』を背負っていることだ。
「死ねェェェェェェッ!!」
ガスマスク越しのくぐもった絶叫。
彼らは銃を撃つことすら放棄していた。俺の放った爆炎で腕が焼け焦げ、足が吹き飛んでも、痛みを無視するように泥の中を這いずり、ただひたすらに俺たち「魔法使い」を目指して肉薄してくる。
「ヒィッ……! く、来るな!」
味方の新米魔法使いが怯え、無差別に炎を撒き散らす。
炎に包まれても、敵兵は止まらない。彼らのガスマスクの奥にある双眸には、戦争の恐怖など微塵もなかった。あるのはただ、純粋で、底なしの「憎悪」だけだ。
それは、国境を争う兵士の目ではない。
自分のすべてを奪った、絶対的な「悪魔」を見る目だった。
「どうなってる……? 何がお前らを、そこまで駆り立てるんだ……!」
俺は迫り来る敵兵に炎を放ちながら、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
彼らが背負っている、あの重たい酸素ボンベ。
干からびた皮膚。
まるで「息ができない地獄」から這い出してきたような、狂気の姿。
ただの戦争じゃない。
俺たちが使っているこの『魔法』の裏側で、俺の知らない「何か」が起きている。
その確信めいた悪寒が俺の胸を貫いた直後——戦場の右翼で、信じられない光景が起きた。




