飼いならされた狗
「離せ! 触るな、彼女にそのチップを埋め込むなッ!!」
泥まみれの軍靴が地を擦り、俺は二人の憲兵に両腕を押さえつけられながら絶叫した。
だが、白衣の男は振り返りもしない。
破れた野戦テントの中、即席の手術台に寝かされたアイリスの胸元が、冷酷なメスによって切り開かれていく。
麻酔もない。だが彼女はすでに多量に出血し、悲鳴を上げる意識すら失っていた。
「騒ぐな、レオン。このままでは彼女はあと数分で死ぬ。我々のシステムがなければな」
血まみれになった軍医の手から、あの赤黒く脈打つ『M.A.G.I.C.』のチップが、アイリスの心臓の横へとねじ込まれた。
ドクン、と。
微弱だった彼女の心音が、機械的な駆動音(カチ、チチチ……)と混ざり合い、異様な力強さを帯びて跳ね上がった。
「……あ、ぁ……」
傷口から溢れていた血が嘘のように止まり、破砕された内臓が異常な速度で結合していく。それは治療などではない。細胞を強制的に「再生」させる、冒涜的なまでの奇跡だった。
「見事なものだろう」
白衣の男が、血のついた手袋を外しながら振り返った。
「君たちのチップは『炎』や『水』という外部への出力にエネルギーを使っている。だが、彼女のチップは違う。出力の百パーセントを『自己再生』に設定した」
「自己、再生……」
「そうだ。これで彼女は、致命傷を負おうが死ぬことはない。常に細胞を再生し続ける、完璧な延命装置だ」
男は冷たく笑い、絶句する俺の頬を軽く叩いた。
「ただし、この再生システムは莫大なエネルギーを消費する。定期的に我々が『メンテナンス』を行わなければ、彼女の肉体は再生不全を起こして崩壊する」
目の前が、真っ暗になった。
それはつまり——。
「賢い君ならわかるはずだ。君たち『魔法使い』が軍の命令に背けば、我々はいつでも彼女のメンテナンスを打ち切る。……彼女の命は、君たちの忠誠心にかかっているというわけだ」
憲兵の手が離れ、俺は崩れ落ちるように泥の地面に膝をついた。
軍は最初から、こうするつもりだったのだ。強大すぎる力を持った俺たちを、決して逆らえない「軍の犬」として繋ぎ止めるための、最も確実な首輪。
そして、その首輪を俺の首にかけたのは、他でもない。調子に乗って魔法を振り回し、彼女を巻き込んだ俺自身なのだ。
「……レオン」
傍らに立ち尽くしていたカインが、震える声で俺の肩に触れた。
「アイリスは……生きてる。息をしてるじゃないか。俺たちがずっと軍の言う通りに勝ち続ければ、彼女はずっと生きていられるんだ」
カインの声には、すがるような響きがあった。彼もまた、自分たちの魔法が彼女を傷つけた現実から目を背け、「勝ち続ければいい」という理屈に逃げ込もうとしていた。
俺は、泥だらけの右手をゆっくりと見つめた。
数時間前まで、神にでもなった気で炎を放っていた手。
三十キロの鉄の盾を「もういらない」と切り捨てた、愚かな手。
魔法は俺たちを英雄にしたんじゃない。
悪魔の力に心を売り渡し、一番大切な少女を『呪いの延命装置』に繋ぎ止めるバケモノに成り下がっただけだ。
「……ああ、わかってるさ、カイン」
自分の右手を握り潰さんばかりに強く握り締め、俺は血の滲むような声で呟いた。
「俺たちはもう一生……この悪魔の力から逃げられない」




