愚か者の盾
圧倒的な水圧が、三十キロの鋼鉄の盾をへし折らんばかりに襲いかかる。
「がああああッ!!」
地下通路のコンクリート床を、俺の軍靴が削りながら後退していく。腕の筋肉が悲鳴を上げ、皮膚の下で毛細血管が次々と弾けるのがわかった。
「なんで魔法を使わないんだ、レオン!!」
濁流の向こうで、カインが血を吐くような声で叫んだ。
「お前の『炎』なら、俺の水ごと蒸発させられるだろ! なんであの時みたいに、俺を灰にしようとしない!」
「……そんなこと、できるわけねぇだろッ!」
盾を構えたまま、俺は一歩、無理やり泥水を踏み締めて前へ出た。
「俺たちは一緒に泥水をすすって、同じ釜の飯を食ってきた『家族』だ! お前を焼いてまで進むくらいなら、俺はこのクソ重たい盾と一緒に押し潰されてやる!」
「綺麗事言ってんじゃねぇ!!」
カインの瞳から涙が溢れ、水流の勢いがさらに増す。
水温が急激に下がり、俺の盾の表面から凄まじい速度で氷結し始めた。刃のように鋭い氷の破片が俺の頬を切り裂き、野戦服を血に染める。
「俺だって……俺だって、あの狂った魔法なんかに頼りたくなかった! でも、これ以外に俺たちが人間らしく生きる方法はなかったんだ! 世界の誰かが死ななきゃ、俺たちが死ぬんだよ!!」
「だからって、アイリスにそんな『血塗られた命』を押し付けて、あいつが笑ってくれると本気で思ってんのか!!」
俺の怒声に、カインの顔が痛ましげに歪んだ。
その一瞬の動揺。水圧がわずかに緩んだ隙を、俺は逃さなかった。
胸の奥でドクンと脈打つチップの「魔力」を、炎への変換ではなく、すべて自身の『脚力』の強化へと強引に回す。
「おおおおぉぉぉぉぉッ!!」
バキィッ! と床のコンクリートを蹴り砕き、俺は盾を構えたまま砲弾のような速度で距離を詰めた。
「しまっ……!」
カインが慌てて分厚い氷の障壁を展開する。魔法使い同士の戦いなら、絶対に通らない防御壁。だが。
「俺は、第8重歩兵小隊のレオンだ!!」
三十キロの鋼鉄の質量と、俺の全速力の突進。
重歩兵の誇りを乗せた『盾の突撃』が、カインの氷壁に激突した。
ガシャアアアアアンッ!!
神の奇跡であるはずの氷の魔法が、泥犬の持つ無骨な鉄の塊によって粉々に打ち砕かれる。
「がはっ……!」
盾の平面がカインの胴体にクリーンヒットし、彼は息を詰まらせて数メートル吹き飛び、壁に激突して崩れ落ちた。
激しい水流が嘘のように止む。
静まり返った地下通路には、ひび割れた氷の破片と、俺の荒い息遣いだけが響いていた。
「……あ、あぁ……」
壁際でうずくまるカインは、肋骨を何本か折ったのか、血混じりの咳をしながら俺を見上げた。
「なんで……盾なんかで……」
「……痛ぇだろ。俺たちの痛みは、これで十分だ」
俺は血だらけの右手を伸ばし、彼の首筋に手刀を振り下ろした。
カインは小さく痙攣し、そのまま意識を手放した。殺してはいない。ただ、彼にはもう戦う理由はなかった。
気絶した親友の横顔を見下ろし、俺は静かに呟く。
「ごめんな、カイン。雨が止んで……もし孤児院のパンがなくなったら、俺がお前らのために、何度でも泥水をすすって稼いでやるよ。だから……許してくれ」
俺は再び三十キロの盾を左腕に固定し、通路の奥へと歩き出した。
そこにあるのは、厳重なロックで封鎖された分厚い防爆扉。
『第零研究施設・中枢』。
他国から水と空気を奪い、俺たちに奇跡と呪いをもたらしている『メインコア』があり、そしてアイリスが眠る場所だ。
俺は右手にありったけの魔力を集中させ、極大の炎で防爆扉を焼き切った。
ドロドロに溶けた鉄の向こう側。眩しいほどの白い光に包まれた部屋の奥に、俺がぶっ壊すべき「世界を殺す心臓」が鎮座していた。




