第5話 俺の死亡が確認され、仲間たちが曇ってるっぽい
「……朔斗?」
レイナは、地面に倒れている朔斗を見つめた。さっきまで東京を壊していた巨大な魔物は、もう動かなくなっていた。周囲では救助隊が走り回り、遠くからは討伐成功を喜ぶ声が聞こえてくる。
しかし、レイナには何も聞こえていなかった。目の前に、朔斗が倒れている。服は血で赤く染まり、体中には大きな傷がいくつもあった。1年前に失った右腕はなく、残された左腕も地面へ伸びたまま動かない。
その左手を、天城紫苑が握っていた。紫苑は泣いていた。
「……ねえ、朔斗」
レイナが近づいた。
「どうして、そんなところで寝ているの?」
返事はなかった。レイナは朔斗のそばにしゃがみ、頬についた血を拭った。
「もう終わったわよ。魔物は倒されたの。だから、起きなさい」
指が震えていた。
「……朔斗?」
もう1度、名前を呼ぶ。動かない。レイナは朔斗の左手を握った。冷たかった。
「……どうして?」
指を開き、握らせようとする。しかし、朔斗の指は動かなかった。
「……朔斗。ふざけないで」
レイナは顔を近づけた。
「ねえ、起きなさい。もう戦わなくていいのよ」
肩を揺らす。返事はない。声が震え始めた。
「……お願い、起きて。……ねえ、朔斗」
その隣で、桃色のツインテールをしたこはくが、朔斗を見つめていた。
「……朔斗くん」
こはくは朔斗の首元へ指を当てた。次に手首へ触れる。胸へ耳を当てる。顔から血の気が引いていく。
「……なんで?」
もう1度、脈を確かめる。何も感じない。こはくは朔斗の胸へ耳を押し当てた。
「……音がしないよぉ」
彼女は1年間、朔斗が戻ってきたときのために医療の勉強を続けていた。だから、分かってしまった。朔斗の心臓が止まっている。呼吸もしていない。全身の傷は、助かるとは思えないほど深かった。
「……違う」
こはくは首を振った。
「……違うよぉ」
そばにいた救護班へ顔を向ける。
「まだ助かるよねぇ? 病院に運ぶんだよねぇ?」
隊員は黙った。
「……ねえ」
こはくの目に涙がたまった。
「なんで何も言わないのぉ?」
「……できる限りの処置は行いました」
「だったら、もう1回やってぇ……」
「先ほど死亡が確認されています」
レイナの手が止まった。
「……死亡?」
「はい。救命処置を行いましたが、残念ながら……」
「……何を言っているの?」
レイナは男性を見上げた。
「朔斗はここにいるじゃない」
「……はい」
「ここにいるのよ。ちゃんと見てちょうだい」
男性は何も答えなかった。レイナは朔斗へ向き直った。
「……朔斗。起きなさい。お願いだから」
朔斗の頭が力なく傾いた。朔斗の髪を撫でる。涙が頬を伝った。レイナは朔斗の体を抱き締めた。
「朔斗ぉぉぉぉ! 起きてよぉぉぉぉ!」
大きな叫び声が響いた。
「お願いだからぁ……。もう1回、私の名前を呼んでよぉ……」
レイナは何度も朔斗の顔を覗き込んだ。涙が止まらない。
「やっと帰ってきてくれたじゃない……」
彼女は朔斗の左手を自分の頬へ押し当てた。
「まだ10日しか経ってないのよぉ……」
今日の朝、朔斗は楽しそうに笑っていた。復帰試験に合格したいと言っていた。強い人と戦えるのが楽しみだとも言っていた。レイナは危険なことをしないように、何度も注意した。
朔斗は笑って答えた。
『おう。無理はしないよ』
その声を、レイナははっきり覚えていた。
「……嘘つき」
レイナは朔斗の胸へ顔を押しつけた。
「無理しないって言ったじゃない……」
肩が大きく震える。泣き声が大きくなった。涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
こはくも泣き叫んだ。
「朔斗くん! やだよぉ……」
そして、朔斗の胸へ顔を押しつけた。
「朔斗くんを返してよぉぉぉぉ!」
泣き声が響いた。泣きすぎて、息がうまく吸えなくなっていた。
いぶきは、朔斗の体を見つめたまま立っていた。レイナが泣き叫んでいる。こはくも、朔斗の胸に顔を押しつけて泣いている。紫苑は静かに涙を流していた。
しかし、いぶきだけは動かなかった。彼女は朔斗の傷を見つめた。8本腕の魔物によって、全身を何度も貫かれている。傷の1つ1つが、いぶきの胸を苦しくさせた。
「……自分の仕事は、仲間を守ることだった」
いぶきは自分の盾を見下ろした。その盾には、今日の救助活動でついた小さな傷があった。しかし、朔斗の体に残る傷とは比べものにならない。
「……なんで」
声が震えた。
「なんで、朔斗が全部受けているんだ……?」
いぶきは盾を地面へ置いた。重い金属の音が響いた。
「自分が受ければよかった……」
拳を握り締める。
「自分が代わりに受ければよかった……」
朔斗のそばへ膝をついた。
「……朔斗」
左手を握る。
「……頼む。起きてくれ」
返事はない。
「お前、前に言っただろ……」
涙が頬を伝った。
「自分がいると安心するって……」
いぶきは朔斗の手を自分の額へ押し当てた。
「……だったら。だったら、なんで自分を呼んでくれなかったんだ……」
唇をかみしめる。涙が止まらなくなった。
「1年前も、守れなかった……。今回も、守れなかった……」
急に顔を上げた。
「なんでだよぉぉぉぉ!」
周囲の探索者たちが振り返る。
「なんで自分じゃないんだぁぁぁ……!」
いぶきは盾をつかみ、地面へ叩きつけた。
ガァン。
「お前が盾役だろ……!」
もう1度。ガァン。
「自分が全部受けるべきだっただろぉぉぉ……!」
盾の表面に傷が増える。周囲の探索者が止めようとしたが、いぶきは首を振った。
「……離してくれ!」
盾を抱え込む。
「自分は、何のために盾を持っていたんだ……」
いぶきはその場へ崩れ落ちた。朔斗の左手を、もう1度握る。
「……頼む」
震える声だった。
「……もう1回、自分に守らせてくれ」
何度も名前を呼ぶ。
「朔斗……朔斗……」
返事はない。涙が彼の手に落ちた。
「帰ってきてくれよぉぉぉぉ……」
いぶきは朔斗の手を握ったまま、声を上げて泣き続けた。
紫苑は、3人の姿を見つめていた。誰も紫苑を責めなかった。それが、彼女には苦しかった。紫苑は小さくつぶやいた。
「アタシが弱かったから……」
紫苑の目から涙が落ちる。
「アタシが負けたから、朔斗くんが戦ったんだよ……」
涙があふれる。
「アタシを責めてよ……」
誰も何も答えなかった。
「お願いだから、アタシが悪いって言ってよぉ……」
紫苑は自分の刀を見た。ついさっき、災厄級の魔物を倒した刀だった。今までなら、強い敵を倒したあとは嬉しかった。もっと強い敵と戦いたいと思っていた。でも、今は違う。
「ごめんなさい……」
東京では災厄級の討伐を喜ぶ声が広がっていた。しかし、朔斗のそばにいた4人は、誰も喜んでいなかった。4人とも泣き叫んでいた。しかし、朔斗は2度と目を開けなかった。
夜になっても、東京の街では、まだ救助活動が続いていた。消防車や救急車が走り回り、壊れた建物の周りには大勢の人が集まっている。朔斗の体は、探索者協会の医療施設へ運ばれていた。
4人は、そのそばから離れようとしなかった。
【速報】東京の災厄級討伐、片腕の探索者が死亡
001:名無しの探索者
あの片腕の人、鳴瀬朔斗だよな?
002:名無しの探索者
嘘だろ
003:名無しの探索者
1年前に死亡配信した月虹クロニカの?
004:名無しの探索者
そう。10日前くらいに帰還して話題になったやつ
005:名無しの探索者
また死んだのか?
006:名無しの探索者
死亡確認が出てる
007:名無しの探索者
信じられん
008:名無しの探索者
右腕ない中戦ったのかよ
009:名無しの探索者
8本腕の攻撃、全部あの人に向かってなかった?
010:名無しの探索者
映像見直した。途中から8本全部、鳴瀬だけ狙ってる
011:名無しの探索者
天城紫苑に攻撃が向かなくなってるな
012:名無しの探索者
もしかして自分で攻撃を集めたのか?
013:名無しの探索者
だとしたら何考えてるんだよ
014:名無しの探索者
S級4人が倒された相手だぞ
015:名無しの探索者
それを片腕の人間が全部引き受けるって……
016:名無しの探索者
最後のところ見たくない
017:名無しの探索者
俺も途中で止めた
018:名無しの探索者
1年前も仲間を守って右腕失ったんだよな
019:名無しの探索者
ようやく帰ってきたと思ったのに
020:名無しの探索者
10日だぞ。帰還して10日しか経ってないんだぞ
021:名無しの探索者
もっと生きててほしかった
022:名無しの探索者
今ごろ月虹クロニカの3人どうしてるんだろ
023:名無しの探索者
考えたくない
024:名無しの探索者
帰還配信、楽しそうだったのにな
025:名無しの探索者
仲間とまた配信するって話してたよな
026:名無しの探索者
俺、次の配信待ってた
027:名無しの探索者
なんでこんなことになるんだよ
028:名無しの探索者
ニュースでは無敗の剣姫が討伐したって言ってる
029:名無しの探索者
それは事実。でも鳴瀬がいなかったら無理だっただろ
030:名無しの探索者
あの人が攻撃を受けてくれたから、天城が核を斬れた
031:名無しの探索者
東京を救った英雄が2人いたんだな
032:名無しの探索者
1人は生き残って、1人は死んだ
033:名無しの探索者
やめてくれ、その言い方
034:名無しの探索者
鳴瀬、最後まで笑ってるんだよな
035:名無しの探索者
もう見てられない
036:名無しの探索者
なんで自分の命をそんなに簡単に投げ出せるんだよ
037:名無しの探索者
でも、あの人がいなかったら東京の被害もっと増えてた
038:名無しの探索者
助けられた人、何千人いるんだろ
039:名無しの探索者
ありがとうって言いたい
040:名無しの探索者
でも死んでほしくなかった
041:名無しの探索者
1年前は帰ってきたんだ。今回だって……
042:名無しの探索者
俺もそう信じたい
043:名無しの探索者
鳴瀬朔斗、東京を守ってくれてありがとう
044:名無しの探索者
頼むから、もう1回帰ってきてくれ
●鳴瀬朔斗視点
「……あれ?」
目を開けた。周りが真っ暗だった。地面も、壁も、天井も見えない。でも、なぜか立っている。
「……ここ、どこだ?」
俺は左手を動かした。ちゃんと動く。足も動く。しかも体が全然痛くない。
「……おお」
最後に覚えているのは、8本腕の魔物に攻撃されたことだ。体中を貫かれて、動けなくなった。それから、何も覚えていない。
「……もしかして、俺、死んだ?」
『そうだ』
「うおっ」
いきなり声が聞こえた。低くて大きな声だった。
『お前は死んだ。鳴瀬朔斗』
「……誰だ?」
振り返った。暗闇の奥に、大きな影が立っていた。黒い甲殻に覆われた体。太い腕。巨大な角。見覚えがある。
「……あれ?」
俺は目を丸くした。
「お前、1年前の……」
『ようやく思い出したか』
「災厄級のやつじゃないか」
『そうだ。我を殺した人間よ』
1年前。ダンジョンでレイナたちを守るために戦った、あの魔物。俺の右腕を奪った相手だ。配信ドローンが壊れたあと、俺はこいつを倒した。
『我は、ずっとお前の中にいた』
「……え?」
魔物は俺を見下ろした。
『お前は、我を倒したとき、大量の血を浴びただろう』
「……ああ。そういや、そうだったな」
あのときは、右腕を失ったばかりだった。体中に傷があったし、出血もひどかった。魔物を倒したあと、血まみれになったまま倒れ込んだのを覚えている。
『我の血が、お前の傷口から入り込んだ』
「……へえ」
『その血が、お前の肉体を変え始めたのだ』
「……肉体を?」
『そうだ』
魔物は低い声で続けた。
『お前は、1年間でずいぶん強くなっただろう』
「おう。前より力も速さも上がったな」
『それは、我の肉体が持っていた力だ』
「……マジで?」
『人間の体に、災厄級の力が一部入り込んだ。我の血がお前の筋肉や骨を変え、傷ついても戦い続けられる体をつくった』
俺は自分の左手を見た。
「……なるほどなあ」
そういうことだったのか。確かに、1年前から不思議だった。右腕を失ったのに、前より強くなっていた。傷の治りも、少しずつ早くなっていた気がする。まあ、毎日戦っていたから、鍛えられたんだと思ってたけど。
「……じゃあ、俺の体ってどうなってるんだ?」
『もはや、純粋な人間ではない』
「……えっ?」
『お前の肉体には、我の力が混ざっている。人間の姿をしていても、その中身は普通の人間とは違う』
「……へえ」
俺は少し考えた。
「じゃあ、俺って魔物なのか?」
『人間でもあり、魔物でもある。今のお前を、どちらか1つに分けることはできぬ』
「……そうなのか」
『驚かぬのか?』
「まあ、ちょっと驚いたけど」
俺は笑った。
「強くなったおかげで、みんなを守れたからな」
魔物は黙った。
『……お前という男は、理解できぬ』
「よく言われる」
『褒めておらぬ』
「はは。そうか」
そのとき、ふと思い出した。
「……そういや、今回の魔物もすごく強かったぞ」
魔物が大きく息を吸った。それから、突然笑い始めた。
『ハハハハハハハハハ!』
「……うおっ」
びっくりした。暗闇に大きな笑い声が響く。
『いい気味だ」
「……知り合いなのか?」
『知り合いどころではない。我が兄だ』
「……兄貴?」
『そうだ』
俺は目を丸くした。
「へえ。兄弟だったのか」
『ああ。忌々しい兄だ』
「……忌々しい?」
『我は、あやつが大嫌いだった』
「……え?」
魔物は、まだ笑っていた。
『あやつは、自分の力を増すためなら、仲間でも平気で犠牲にする』
「……へえ」
『我のことも、何度も利用しようとした』
「それは嫌だな」
『ああ。だから、いつか殺してやろうと思っていた』
魔物は俺を見つめた。
『だが、その前にお前が我を殺した』
「わりぃ」
魔物は嬉しそうに笑った。
『人間よ。礼を言うぞ』
「……えっ?」
『我が兄を倒してくれたこと、感謝する』
「……いや、お前を倒したの俺なんだけど」
『それとこれとは別だ』
「……変なやつだな」
『お前に言われたくはない』
俺は笑った。なんだか、思っていたより話しやすいやつだな。1年前は、殺し合いをした相手なんだけど。
「……そういや、俺はどうなるんだ?」
『どうなるとは?』
「死んだんだろ?」
魔物は俺を見下ろした。
『すでに、お前の肉体は再生を始めている』
「……再生?」
『我の力を忘れたか』
魔物は胸を張った。
『我の血は、お前の体を変えた。傷ついた部分を治し、失われた肉体をつくり直す力だ』
「……じゃあ」
俺は自分の右肩を見た。
「右腕も戻るのか?」
『ああ。時間は必要だが、元どおりになるだろう』
「おお」
俺は思わず笑った。
「そりゃ助かるな」
『……そんなに嬉しいか』
「おう。みんな、俺の右腕を見るたびに泣いちゃうんだよ」
レイナも、こはくも、いぶきも。俺が大丈夫だって言っても、なかなか安心してくれなかった。右腕が戻れば喜んでくれるだろう。
「……よかったなあ」
『ただ、戻ればお前は人間でないと疑われるだろ』
「あ……」
そのときだった。俺の体が、急に熱くなった。
「……うおっ?」
左手が光っている。いや、左手だけじゃない。体の周りに、赤い線がいくつも浮かび上がった。
「……なんだ、これ?」
赤い線の先には、見覚えのある光景が映っている。
俺が剣を振る。魔物が攻撃する。誰かが避ける。誰かが攻撃を受ける。そんな場面が、何十個も並んでいた。
『……待て』
魔物の声が変わった。
「……どうした?」
『お前の中に、知らぬ力が生まれている』
「……知らない力?」
『我のものではない』
今度は青い線が浮かび上がった。その数がどんどん増える。赤い線と青い線が交わり、周囲を埋め尽くしていく。俺は左手を伸ばした。すると、目の前の線が動いた。
「……おお?」
少し右へ動かす。線も右へ曲がる。左へ動かす。今度は左へ曲がった。
何が起きているんだ?
『……まさか』
魔物が後ずさった。
『お前、因果に触れているのか……?』
「……因果?」
『物事が起きる原因と、その結果だ』
「……よく分からん」
俺はもう1度、線に触れた。目の前の映像が変わった。魔物の爪が俺に当たるはずだった場面。しかし、線を動かすと、爪が俺の横を通り過ぎた。
「……おお」
今度は、自分の攻撃が外れるはずだった場面。線を動かす。剣が魔物の体へ命中した。
「……すげえな」
俺は笑った。
「これなら、怪我しなくても仲間を守れるじゃないか」
魔物は何も言わなかった。そのとき、頭の中に声が響いた。
『固有スキルの獲得を確認』
「……ん?」
『死亡経験を確認。既存能力との統合を開始』
赤い線と青い線が、一斉に光った。
『【ロックオン】を解析』
『【逆ロックオン】を解析』
『命中、回避、攻撃対象の指定能力を統合』
『新たな固有スキルを獲得』
目の前に、金色の文字が浮かび上がった。
【因果掌握】
「……因果掌握?」
魔物が低い声で答えた。
『お前は、死を経験したことで新たな力を得たのだ』
「……死んだらスキルが増えるのか? ……それって、やばくないか?」
『……やばいどころではない』
魔物は、俺の手を見つめていた。
『お前は、攻撃の結果を自由に変えている』
「……つまり?」
『攻撃を当てることも、外れることも、誰に届くかを決めることもできる』
「……すげえな」
俺は笑った。
「じゃあ、みんなを守るのが楽になる」
『……お前、本当にそれしか考えておらぬのか』
「いや、ダンジョン探索もしたいぞ」
『……そういう意味ではない』
魔物は大きく息を吐いた。
『お前は、もはやS級探索者などとは比べものにならぬ力を持っている』
「……マジで?」
『ああ。我ですら、今のお前に勝てる気がせぬ』
「……すげえ」
俺は目を輝かせた。
「じゃあ、復帰試験も合格できそうだな」
『……まだ試験のことを考えておるのか』
「だって、ダンジョンに戻りたいし」
魔物はしばらく黙っていた。
『……まったく。理解できぬ男だ』
俺は笑った。
「そういや、お前はどうするんだ?」
『我か?』
「おう。ここにずっといるのか?」
『我の意識は、お前の中に残っている』
「……えっ?」
『お前が生き返っても、我は消えぬ』
「……つまり?」
『これからも、お前の中で生き続けるということだ』
「……おお」
俺は少し考えた。
「じゃあ、これからも話せるのか?」
『ああ。声は届くだろう』
「じゃあ、仲良くしようぜ」
俺は左手を差し出した。
「よろしくな」
魔物は俺の手を見つめた。
『……勝手な人間だ』
そう言いながら、大きな爪を少し動かした。
「はは。そうかもな」
そのとき、足元に白い光が広がり始めた。
『……そろそろだな』
「ん?」
『お前の肉体が再生を始めている』
「……おお」
俺は自分の右肩を見た。そこに、白い光が集まっていた。少しずつ、人間の腕の形になっていく。
「……あれ?」
指がある。手のひらがある。肘もある。失われた右腕が、戻ってきていた。
「……うおお」
俺は右手を開いた。握ってみる。ちゃんと動いた。
「……すげえ。本当に戻ったぞ」
『当然だ。我の再生能力が完全に目覚めたのだからな』
「……へえ」
俺は右手を何度も動かした。いやあ、懐かしいな。1年ぶりの右腕だ。これなら、両手で剣を持てる。荷物を運ぶのも楽になる。こはくだって、俺の左腕に抱きつくだけじゃなくて、右腕にも抱きつけるな。
「……みんな、喜ぶだろうな」
『……どうだかな』
「ん?」
『何でもない』
魔物は俺を見下ろした。
『鳴瀬朔斗』
「おう」
『お前を待つ者たちは、今ごろひどく悲しんでいるだろう』
「……そうだよな」
俺は頭をかいた。
「また心配かけちゃったな」
『……心配という言葉で済むかどうか』
「……え?」
『早く戻ってやれ』
「おう」
俺は笑った。
「じゃあ、帰るか」
白い光へ向かって歩き出す。
右手も左手も動く。体は痛くない。しかも、新しいスキルまで手に入った。いやあ、なんだかすごいことになったな。でも、まずはみんなに会わないと。
探索者協会の医療施設には、死亡した探索者を運び込むための地下区画があった。
朔斗の体も、そこへ運ばれていた。
災厄級の魔物と戦った探索者は、死後も体内に魔力が残ることがある。そのため、死亡が確認された探索者は、協会の決まりに従って遺体を処理することになっていた。
レイナ、こはく、いぶき、紫苑の4人は、朔斗のそばから離れようとしなかった。
「……そろそろお時間です」
白衣を着た職員が、レイナへ声をかけた。
「……時間?」
「鳴瀬朔斗さんの遺体を、処理室へ移送します」
レイナは朔斗の左手を握ったまま、職員を見上げた。
「……処理?」
「はい。災厄級との戦闘で死亡されたため、通常の遺体とは異なる処置が必要になります」
「……何をするつもりなの?」
「専用の設備で、遺体を焼却します」
レイナの顔から血の気が引いた。
「……焼却?」
「はい。魔力による異常を防ぐための決まりです」
「……嫌よ」
レイナは朔斗の体を抱き締めた。
「そんなこと、絶対にさせないわ」
「お気持ちは分かりますが……」
「分かっていないでしょう!」
レイナが叫んだ。
「1年前も、この子は死んだと言われたのよ。でも、生きて帰ってきたの。だから今回だって……」
涙があふれた。
「また帰ってくるかもしれないじゃない……」
こはくも、朔斗の左手を両手で抱き締めた。
「やだよぉ……。朔斗くんを燃やさないでぇ……」
いぶきは朔斗のベッドの前へ立った。
「……自分は、ここを通さない」
紫苑も職員へ頭を下げた。
「お願い。もう少し、時間をちょうだい……」
しかし、職員は首を横に振った。
「申し訳ありません。すでに処理の予定時刻を過ぎています」
後ろから、警備員が2人入ってきた。レイナは朔斗の体を抱き締める力を強めた。
「……お願いだから」
肩が震えている。
「これ以上、朔斗から何も奪わないで……」
しばらくして、朔斗の体は地下の処理室へ運ばれることになった。4人は最後まで抵抗した。レイナはベッドを放さず、こはくは泣きながら朔斗の名前を呼び続けた。いぶきは職員の前に立ち、紫苑も何度も処理の延期を頼んだ。
しかし、死亡確認を覆せる証拠はなかった。朔斗の心臓は止まっている。呼吸もない。体温も下がっていた。医療班が再確認しても、結果は同じだった。
4人は警備員に支えられながら、処理室の外へ出された。
「……朔斗!」
レイナが叫んだ。
「お願い、起きて! 今起きないと、本当に帰れなくなっちゃうのよ!」
こはくも扉へ手を伸ばした。
「朔斗くん、やだよぉ! まだお別れなんてしたくないよぉ!」
いぶきは警備員の腕を振りほどこうとした。
「……放せ。自分が守るんだ。もう誰にも触らせない……!」
紫苑は、その場に膝をついた。
「……ごめんね、朔斗くん」
両手で顔を覆う。
「アタシが守れなかったせいで……」
4人の目の前で、重い扉が閉まった。
ガシャン。
鍵がかかる音が響いた。
「……いや」
レイナが扉へ駆け寄った。
「開けて……!」
何度も叩く。
「お願い、開けてよ……」
涙が落ちる。こはくも泣きながら扉を叩いた。
「朔斗くんを返してぇぇぇ!」
いぶきは盾を構えた。扉を壊してでも、朔斗を連れ戻したかった。しかし、いぶきは盾を振り下ろせなかった。
「……くそ」
唇を強くかむ。
「自分は、また何もできないのか……」
紫苑は閉ざされた扉を見つめていた。災厄級を倒した刀が、腰にある。しかし、その刀では朔斗を助けられない。彼女は泣きながら、何度も謝り続けた。
処理室の中では、職員たちが準備を進めていた。
朔斗の体は、金属製の台に寝かされている。周囲には魔力を測定する装置が置かれ、奥には大きな焼却設備があった。
「対象、鳴瀬朔斗。死亡確認済み」
「魔力反応の最終確認を行います」
「了解」
職員が測定装置を操作した。画面には反応が出ていない。
「……異常なし」
「では、処理を開始します」
金属製の台が、ゆっくりと動き始めた。朔斗の体が、焼却設備へ近づいていく。大きな扉が開いた。内部では赤い炎が燃えている。
「搬入開始」
台がさらに進む。そのときだった。
ピッ。
「……ん?」
職員が測定装置を見た。小さな反応が出ていた。
「待て。……魔力反応が?」
もう1度、確認する。
ピッ。
今度は少し大きな反応だった。
バキッ。
何かが割れる音がした。
「……え?」
朔斗の右肩から、白い光があふれていた。1年前に失った右腕の付け根が動いている。光の中から骨が伸び、筋肉がつくられ、皮膚がその上を覆い始めた。
「……な、何だこれは?」
職員たちが後ずさった。右腕が、少しずつ元の形を取り戻していく。さらに、全身の傷も閉じ始めた。災厄級の8本腕によって貫かれた傷が、次々に消えていく。
「……そんな馬鹿な」
測定装置が大きな音を立てた。
ピピピピピピピピッ。
「魔力反応が急上昇しています!」
職員が叫んだ。しかし、金属製の台はすでに設備の入口まで進んでいた。そのとき、朔斗の右手が動いた。指が開く。ゆっくりと握られる。
「……あれ?」
朔斗が目を開けた。
「……ここ、どこだ?」
職員たちは動けなかった。朔斗は体を起こした。目の前には、燃え盛る炎。周囲には、驚いた顔の職員たち。
「……ん?」
朔斗は首をかしげた。
「……もしかして、俺、燃やされるところだった?」
誰も答えなかった。朔斗は自分の右腕を見た。ちゃんと戻っている。左腕も動く。体の傷も、ほとんどなくなっていた。
「……おお」
嬉しそうに笑った。
「本当に生き返ったんだな」
職員の1人が、震える声を出した。
「あ、あなた、死亡したはずでは……」
「おう。俺も死んだと思ってたんだけどさ」
裸の朔斗は金属製の台から降りた。
「なんか、生き返っちゃったみたいで」
そのとき、頭の中に声が響いた。
『……危なかったな』
1年前の災厄級だった。
『あと少し遅ければ、焼かれていたぞ』
「……そうだな」
朔斗は笑った。
「いやあ、間に合ってよかった」
魔物は大きなため息をついた。
『……まったく。お前は本当に呑気な男だ』
「そういえば、お前の名前は?」
『グランゼル』
「そっか、グランでいいか?」
『好きにしろ』
朔斗は目の前の職員へ声をかけた。
「すみません。出口ってどっちですか?」
「……え?」
「仲間たちが待ってると思うんで、帰りたいんですけど」
職員が震える指で扉を示した。
「あ、あちらです……」
「ありがとうございます」
朔斗は頭を下げた。そして、右手で扉を開けた。1年ぶりに使う右腕だった。
「……おお。やっぱり両手あると便利だな」
笑いながら、廊下へ出る。
処理室の外では、4人がまだ泣いていた。レイナは扉に両手をつき、何度も朔斗の名前を呼んでいる。こはくは床へ座り込み、涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。いぶきは盾を握り締め、紫苑はその横でうつむいていた。
そのとき。
ガチャッ。
処理室の扉が開いた。4人が顔を上げた。
「……え?」
そこに立っていたのは、朔斗だった。しかも、右腕があった。
「いやあ、みんな。心配かけちゃったな」
4人は動けなかった。朔斗は戻った右手を大きく振った。
「ただいま」
誰も返事をしなかった。レイナの唇が震えた。こはくの目から、また涙があふれた。いぶきは盾を取り落とした。紫苑は、口元を両手で押さえた。
朔斗は4人の顔を見て、少し困ったように笑った。
「……あれ? みんな、どうした?」
その声を聞いた途端、レイナが走り出した。
「……朔斗ぉぉぉぉ!」
こはくも立ち上がる。
「朔斗くぅぅぅん!」
いぶきも、紫苑も駆け寄った。4人は朔斗へ飛びついた。朔斗は慌てて両腕を広げ、4人を受け止めた。
「……うおっ」
レイナは朔斗の胸へ顔を押しつけ、泣き叫んだ。
「もう、どこにも行かないでぇぇぇ……!」
こはくは戻った右腕を両手で抱き締めた。
「温かいよぉ……。朔斗くん、温かいよぉ……!」
いぶきは朔斗の背中へ腕を回し、震える声で何度も名前を呼んだ。
「朔斗。朔斗……。本当に、生きてるんだな……」
紫苑も涙を流しながら、朔斗の胸へ顔を寄せた。
「よかったぁ……。本当に、よかったよぉ……」
朔斗は4人に抱き締められたまま、笑っていた。
「いやあ、そんなに心配してくれてたのか」
その言葉に、4人はさらに泣き出した。朔斗は困った顔をした。
「……おいおい。もう大丈夫だって」
しかし、誰も腕を緩めなかった。4人とも、朔斗を放そうとしなかった。




