第2話 仲間たちが曇っている、1年ぶりの配信
「……あなた、まだダンジョンに行くつもりなの?」
「そりゃそうだろ。俺、探索者だし。それ以外に生きがいもないからな」
「……そうよね。あなたは、昔からダンジョンが大好きだったものね」
「おう。1年間も潜ってたけど、やっぱり配信しながら戦うってのがいいよな。ファンたちも俺らのこと待ってるだろ」
「……ええ」
レイナは小さくうなずいた。しかし、顔を上げようとしない。
「レイナ?」
「私、あなたから探索者としての人生まで奪うところだったのね……」
「……ん?」
どういうことだ?
「なんでもないわ」
そしてステーキが運ばれてきた。
「うっまそう……!」
1年ぶりに食べた地上の料理は、最高だ。俺は今、レイナたちと一緒にレストランに来ている。目の前には、大きなステーキが置かれていた。焼きたての肉から白い湯気が上がり、鉄板の上では茶色いソースが音を立てている。肉の焼けたいい匂いがして、さっきから腹が鳴りっぱなしだ。
ダンジョンに閉じ込められていた1年間は、毎日モンスターの肉ばかり食べていた。肉を焼くのも自分でやらなければならなかったし、塩がなくなってからは味つけにも困った。
それに比べて、このステーキはどうだ。柔らかいし、熱々だし、ソースまでかかっている。
「いやあ、やっぱり地上はいいな。こんなうまいものが食えるんだからさ」
俺は左手でフォークを持ち、ステーキに刺した。そのままナイフを取ろうとして、手が止まる。
「あれ?」
そうだった。俺、右腕がないんだった。以前の癖で右手を動かそうとしたが、肩から先には何もない。右側の袖が小さく揺れた。
「これ、片手だとやりにくいな」
ダンジョンにいたときは、肉を丸焼きにして、そのままかじっていた。ナイフとフォークを使うような食事は久しぶりだ。
もちろん左手でナイフを持つことはできるけど、その間に肉を押さえる手がない。
うーん。
まあ、小さく切らずに食べればいいか。俺がステーキをフォークで持ち上げようとしたときだった。
「朔斗」
向かいの席から声がした。顔を上げると、レイナが俺を見つめていた。白銀の長い髪を背中に流し、青い目をこちらに向ける。1年前と変わらず、背筋を伸ばして座っている。
「どうした?」
「……そのお肉、私が切るわ」
「えっ? いいよ。これくらい自分で……」
「私にやらせてちょうだい」
レイナはそう言うと、俺の隣へ来て、ナイフとフォークを手に取る。きれいな指で肉を押さえ、食べやすい大きさに切り始めた。
「いやあ、悪いな。助かるよ」
レイナの手が止まった。
「レイナ?」
「食事も、着替えも、装備の準備も、片手でやってるのよね……」
「ああ。でも、片手でも結構なんとかなるぞ。最初は苦労したけど、もう慣れたし」
俺が笑うと、レイナは下を向いた。手に持っていたナイフが、皿に小さく当たった。
「……私が、あなたをこんな体にしてしまった」
「えっ?」
「あの日、私が正しい道を選んでいれば……。敵の攻撃を見誤らなければ、あなたは右腕を失わずに済んだ」
レイナは切りかけのステーキを見つめた。
「私は……」
「いやいや、お前のせいじゃねえよ。気にすんな。俺が勝手に――」
「あなたは、またそうやって私をかばうのね」
「かばうっていうか……」
レイナのナイフを持つ手に力が入り、指先が白くなっている。
「私は1年間、何度も考えたわ。あの日、どうして最新の地図を確認しなかったのか。どうして、あの攻撃を見抜けなかったのか……」
「レイナ、もう終わったことだろ?」
「……終わったこと?」
レイナが顔を上げた。青い目が潤んでいる。
「あなたは、そう思っているのね……」
「そりゃ、みんな助かったしな」
「なんで簡単に受け入れられるの……」
おいおい。なんでステーキの話から、こんな重い話になったんだ?
「ほら、レイナ。肉が冷めちゃうぞ」
「……ええ」
レイナは小さくうなずき、ステーキを切り分けてくれた。
よし。今度こそ食べられるな。俺はフォークを持ち直した。
「朔斗くーん!」
今度は左隣から声がした。桃色のツインテールを揺らしたこはくが、俺の腕に抱きついてきた。小さな体に、黄緑色の大きな目。1年前と変わらない、甘えん坊の支援担当だ。ただ、今日はやけに距離が近い。
「どうした、こはく?」
「あたしが食べさせてあげるぅ!」
「えっ?」
こはくはフォークを肉を刺し、俺の口元へ差し出した。
「はい、あーん!」
「いや、自分で食べられるって」
「いいからぁ。ほら、あーんしてぇ」
「ええ……?」
こはくはニコニコしている。まあ、本人が楽しそうならいいか。俺は口を開けた。
「あーん」
「えへへぇ。おいしい?」
「うまい!」
「よかったぁ……!」
こはくの顔が明るくなった。俺が肉を飲み込むと、すぐに次の1切れを差し出してくる。
「はい、もう1回あーん!」
「こはく、ちょっと待って。まだ飲み込んだばっかりだぞ」
「えへへぇ。いっぱい食べてねぇ」
なんだか、子どもになった気分だ。まあ、うまいものを食べさせてもらえるなら悪くない。
「こはく。私が切ったお肉なのよ」
レイナが横から口を挟んだ。
「食べさせるのなら、私が……」
「えぇ? レイナちゃんは切る係でしょぉ? 食べさせるのはあたしの係だもん」
「誰がそんな役割を決めたのかしら」
「今決めたのぉ」
「勝手に決めないでちょうだい」
おっ。なんだか、1年前みたいだな。レイナが怒って、こはくが言い返している。この2人、昔からこうだった。
「まあまあ、2人とも。俺、自分で食べられるからさ」
俺がそう言うと、こはくの笑顔が止まった。
「……え?」
「ほら、フォークくらい持てるし。俺の世話ばっかりしてるわけにもいかないだろ」
「…………」
こはくがフォークを下ろした。さっきまでニコニコしていたのに、急に下を向いてしまう。
「あたし……、邪魔だったぁ……?」
「ん?」
「朔斗くん、自分でできるから、あたしに手伝ってほしくないのぉ……?」
「いや、そうじゃなくて……」
「そうだよねぇ。あたし、あのときも役に立たなかったもんねぇ……」
こはくの声が小さくなった。手に持っていたフォークが震えている。
「あたしが罠を見落としたから、朔斗くんは右腕をなくしちゃったのに……。怪我の手当ても、ちゃんとできなかったのに……」
「いやいや、あのとき助かったって言っただろ?」
「……っ!」
こはくが顔を上げた。大きな黄緑色の目から、涙がこぼれた。
「そんなこと言わないでよぉ……」
「えっ?」
「あたしが失敗したのに……。あたしが朔斗くんを傷つけたのに……。どうして、そんなに優しくしてくれるのぉ……?」
こはくはフォークを置き、俺の左腕にしがみついた。
「朔斗くんがいない1年間、あたし、ずっと考えてたの……。どうしたら、あの腕を治せたのかなって……」
「こはく……」
「あたし、いっぱい勉強したよぉ。毎日、ずっと……。でも、なくなった腕を元に戻す方法なんて、見つからなかった……」
こはくは俺の右肩を見た。そこには、何もない。さっきまで震えていた声が、さらに小さくなった。
「あたしが、あんな罠を踏まなければ……」
「こはく、俺は本当に気にしてないって」
「……うん」
こはくはうなずいた。けれど、涙は止まらない。
「朔斗くんが気にしてないのは、分かってるよぉ……。でも、あたしは……」
こはくは俺の左腕に顔を押しつけた。
「あたし、自分のこと、まだ許せないよぉ……」
参ったな。こはくがこんなに泣くなんて、どうしたらいいんだ?
俺は左手で頭をなでようとして、手を止めた。今、こはくは俺の左腕を抱き締めている。これじゃ、頭をなでられない。
「こはく、ちょっと腕を離してくれるか?」
「……っ!」
こはくが顔を上げた。
「やっぱり……あたしがくっついてると、嫌なのぉ……?」
「違う! 頭をなでたいだけだって!」
「……え?」
「ほら、泣くなって。せっかく久しぶりに会えたんだからさ」
こはくは何度か目をぱちぱちさせた。それから、ゆっくりと俺の腕を離した。俺は左手を伸ばし、桃色の髪をなでた。
「よしよし。もう大丈夫だぞ」
「……ふぇ」
こはくの頬が赤くなった。さっきまで泣いていたのに、今度は嬉しそうに笑っている。
「朔斗くん……。もっとなでてぇ……」
「おう、いいぞ」
俺が頭をなで続けると、こはくは目を細めて俺に寄りかかってきた。
うん。やっと元気になったみたいだな。
「……朔斗」
今度は向かいの席から声がした。黒い戦闘服を着た長身の少女が、じっと俺を見ていた。
黒鉄いぶき。紺色の短い髪に、赤い目。左の頬には古い傷がある。俺たちのパーティーで盾役を務めていた探索者だ。昔から無口で、強い敵と戦うのが好きだった。今日はずっと黙っている。
「どうした、いぶき?」
「自分にも、何かできることはないか」
「ん?」
「食事の手伝いでも、荷物持ちでも構わない。自分にできることがあれば言ってくれ」
「別に大丈夫だぞ?」
「……そうか」
いぶきが下を向いた。
あれ? なんか元気ないな。
「いぶきも飯食えよ。せっかくうまいんだからさ」
「……承知した」
いぶきはフォークを手に取った。しかし、料理には手をつけない。俺の右肩ばかり見ている。
「なあ、いぶき。さっきからどうしたんだ?」
「……自分は」
いぶきは言葉を止めた。赤い目が揺れている。
「自分は、1年前に誓った」
「何を?」
「二度と、お前を守れなかった自分を許さないと」
いぶきは自分の両手を見た。大きな手には、細かい傷がたくさんついている。
「お前が死んだと思われてから、自分は毎日ダンジョンへ潜った。もっと強くなれば、あのときの失敗を取り戻せると思った」
「へえ。頑張ってたんだな」
「……だが、何も取り戻せなかった」
いぶきは俺の右肩を見た。
「お前の腕は、戻らない……」
「まあ、そうだな」
「……っ」
いぶきは唇を噛んだ。
「自分が、あの斧を止めていれば……。お前の背中も、右腕も……」
「いぶき、もういいって。あのモンスターが強かっただけだろ?」
「……お前は、どうしてそんなに優しいんだ。もっと怒ってくれてもいいのに。私を許さなくてもいいのに」
「許すも何も、怒りなんて最初っからねえよ」
俺が笑うと、いぶきは顔を伏せた。その目から、涙が落ちた。
「……自分には、盾役を名乗る資格がない」
「そんなことないだろ。お前は誰よりも仲間を守るのが得意だったじゃん」
「守れなかった……」
いぶきの声が震えた。
「1番守りたかったお前を、自分は守れなかった……」
俺は返事に困った。いぶきは普段、あまり泣かない。こんな姿を見るのは初めてかもしれない。
「なあ、いぶき」
「……なんだ」
「また一緒にダンジョンへ行こうぜ」
いぶきが顔を上げた。
「……自分と?」
「当たり前だろ。約束してた模擬戦も、まだやってないしな」
「……っ!」
いぶきの目が大きく開いた。
「お前は……、まだ自分を仲間として見てくれているのか」
「そりゃそうだろ?」
俺が笑うと、いぶきは両手を握り締めた。
「……ありがとう」
低い声が聞こえた。いぶきは顔を伏せたまま、何度も小さくうなずいていた。
よし。これで少しは元気になったかな。
それにしても、3人とも変わったなあ。昔はもっと普通に話せていた気がするんだけど。まあ、1年も会ってなかったんだ。色々あったんだろうな。
俺は再びステーキを食べ始めた。
レイナが切ってくれたおかげで、左手のフォークだけでも食べやすい。
うん、うまい。
「いやあ、やっぱり地上の飯は最高だな」
俺が笑うと、こはくが嬉しそうにうなずいた。
「えへへぇ。朔斗くん、いっぱい食べてねぇ」
「おう。ありがとう」
レイナも小さく笑った。
「……あなたが元気そうで、本当によかったわ」
いぶきも、ようやく料理に手をつけた。
よしよし。これでやっと、いつもの4人に戻れそうだ。
俺はステーキを食べながら、何気なく言った。
「俺が住んでたとこ解約されてるよな。家賃払ってなかったわけだし。1人で暮らすためにまた借りないとな」
3人の手が止まった。
「……1人?」
レイナが顔を上げた。
「あなた、これから1人で暮らすつもりなの?」
「ん? まあ、そうなるだろ」
「……私たちと暮らすつもりはないのね」
「えっ?」
レイナは下を向いた。
「そうよね……。私がそばにいたら、またあなたを危険な目に遭わせてしまうかもしれないもの……」
「いや、そんな話してないって!」
こはくも俺の左腕を握った。
「朔斗くん……。あたしが一緒にいると、迷惑なのぉ……?」
「違う違う! 1人で暮らす他ないだろ!?」
「あたし、朔斗くんのお世話したいのに……」
こはくの目から、また涙がこぼれそうになっている。いぶきも真剣な顔で口を開いた。
「自分は、お前の護衛をするつもりだ」
「護衛?」
「お前が眠っている間も、誰かが守る必要がある。自分がその役目を引き受ける」
「いや、お前の睡眠時間はどうなる?」
「……自分では、もう信用してもらえないのか」
「だから、そうじゃなくて!」
おいおい。どうなってるんだ、これ。俺はただ、1人暮らしの話をしただけなんだけど。どうして全員、こんなに落ち込むんだよ。
「分かった、分かった。じゃあ、みんなで相談しようぜ。別に1人にこだわってるわけじゃないし」
そう言うと、3人の顔が少し明るくなった。
「……私たちと暮らすこと、考えてくれるのね」
「朔斗くん……!」
「承知した」
月虹クロニカの1年ぶりの配信は、4人で新しく借りた部屋から行うことになった。
場所は東京都内にあるマンションだ。しかも、かなり広い。玄関を入ると長い廊下があり、その先には大きなリビングがある。窓も大きく、外には高いビルが何本も見えた。部屋は4人分あり、風呂も広い。キッチンには大きな冷蔵庫まで置いてある。
俺は1年間、ダンジョンの中で暮らしていた。寝る場所は硬い床だったし、食べ物も自分で探さなければならなかった。それが今では、こんな立派なマンションだ。
いやあ、地上ってすごいな。
ちなみに、この部屋を借りることになったのは、レイナたち3人が強く勧めてきたからだ。俺としては、前に住んでいたアパートでもよかったんだけどな。
「あなたが1人で不自由する必要はないわ。これからは私たちが一緒にいるから」
こはくも俺の左腕に抱きついてきた。
「あたし、朔斗くんのお世話をしたいのぉ。毎日ちゃんとご飯を作って、怪我も見てあげるからねぇ」
いぶきまで、真剣な顔でうなずいた。
「自分も同居する。今度こそ、お前を守る」
そこまで言われたら、断る理由もない。
何より、また4人で暮らせるのは楽しそうだ。昔は探索が終わるたびに集まっていたし、夜遅くまでゲームをしたこともあった。それが毎日できるなら、俺としても嬉しい。
そんなわけで、今日からここが月虹クロニカの新しい拠点だ。
「よーし。じゃあ、そろそろ始めるか」
俺はリビングのテーブルに置いたスマートフォンを手に取った。今日は1年ぶりのライブ配信だ。内容は、新しい部屋のルームツアー。
久しぶりに4人が揃ったところを見せたいし、視聴者のみんなにも新しい拠点を紹介したい。
「朔斗。待ちなさい」
配信を始めようとすると、白銀の長い髪をしたレイナが俺の前に立った。月虹クロニカのリーダーで、今はダンジョン事故対策会社の社長もしている。今日も白いブラウスに黒いスカートという、きっちりした服装だ。
「どうした?」
「まず、配信中に見せてはいけないものを確認するわ。窓の外から建物の場所が分かるような映像は避けなさい。郵便物や部屋番号も映しては駄目よ」
「おお、なるほど」
「それから、個人の部屋に入るときは、必ず本人に確認してちょうだい」
「了解」
レイナは手元のメモを見ながら、次々に注意を伝えてくる。昔から準備が丁寧なやつだったけど、会社の社長になってから、さらにしっかりした気がする。
「さすがレイナ。やっぱりリーダーがいると助かるな」
「……っ」
レイナが手を止めた。
「……あなたは、まだ私をリーダーと呼んでくれるのね」
「ん? そりゃそうだろ」
レイナはメモを握り締めた。何か言いたそうだったが、最後には小さくうなずいた。
「……分かったわ。配信を始めましょう」
「朔斗くーん!」
後ろから、桃色のツインテールを揺らしたこはくが走ってきた。大きな黄緑色の目をした、小柄な少女だ。以前は罠の発見や応急処置を担当していたが、この1年間は医療の研究をしていたらしい。今日は白い大きめの上着を着ていて、手には小さな救急ポーチを持っていた。
「ねえねえ、あたしのお部屋も紹介してねぇ」
「おう。いいぞ」
「えへへぇ。じゃあ、朔斗くんと一緒に案内するぅ」
こはくが俺の左腕に抱きついた。そのまま頬を寄せて、嬉しそうに笑っている。
「こはく。配信中は朔斗から離れなさい」
レイナが注意すると、こはくは頬を膨らませた。
「えぇ? なんでぇ?」
「カメラを持つ邪魔になるでしょう」
「じゃあ、あたしがカメラを持つもん」
「朔斗が自分で持つと言っているのよ」
「……朔斗くん、あたしに持たせたくないのぉ?」
「えっ?」
こはくの目が潤んだ。
「いやいや、そんなこと言ってないって!」
俺は慌てて左手のスマートフォンを差し出した。
「ほら、こはくが持ってくれると助かるよ」
「……ほんとぉ?」
「おう。俺より撮るの上手そうだし」
こはくは両手でスマートフォンを受け取った。それから、嬉しそうに頬を赤くした。
「えへへぇ。じゃあ、あたしが朔斗くんをいっぱい映してあげるねぇ」
「朔斗」
今度は、低い声が聞こえた。振り返ると、黒い戦闘服を着たいぶきが立っていた。なぜ部屋で戦闘服なのかは分からない。短い紺色の髪に赤い目。左頬には古い傷がある。月虹クロニカの盾役だった少女で、この1年間も1人でダンジョンへ潜り続けていたらしい。
以前よりも肩や腕の筋肉が大きくなっている。
「どうした、いぶき?」
「自分も何か手伝いたい」
「じゃあ、部屋の案内を頼むよ」
「承知した」
いぶきは真剣な顔でうなずいた。そのままリビングの入口へ移動し、背筋を伸ばして立った。
「……いぶき?」
「異常はない。ここは安全だ」
「いや、警備を頼んだわけじゃないぞ?」
「……そうか」
さて、そろそろ配信を始めよう。
「みんな、久しぶり!」
こはくが持つスマートフォンに向かって、俺は左手を振った。
「月虹クロニカの鳴瀬朔斗です。いやあ、1年ぶりだな!」
配信を開始した途端、画面にコメントが流れ始めた。
【え?】
【月虹クロニカ!?】
【生配信始まってるんだけど!?】
【本当に朔斗がいる……】
【うそだろ】
【4人揃ってる!?】
【おかえり!】
【待ってたぞ!】
すごい勢いだ。まだ配信を始めたばかりなのに、視聴者数がどんどん増えていく。
「いやあ、心配かけたな。ダンジョンで道に迷っちゃってさ。帰ってくるのに1年もかかったんだよ。アハハハハハ」
【道に迷ったってレベルじゃねえ】
【死亡認定されてたんだぞ!?】
【伝説の死亡配信の本人が普通に喋ってる……】
【生きててよかった】
【右腕が……】
コメント欄に、俺の右腕についての言葉が増え始めた。画面には俺の右肩も映っている。袖の中には何もない。
「ああ、右腕な。あのときなくなっちゃったんだよ。でも左腕は元気だし、今は普通に暮らせてるぞ」
【左腕は元気って何だよ……】
【笑って言うな】
【本当に右腕ないんだ……】
【あの配信、今でも忘れられない】
【3人は大丈夫なのか?】
俺は隣の3人を見た。レイナは口元を押さえ、こはくはスマートフォンを持つ手を震わせている。いぶきも俺の右肩を見つめたまま動かなくなっていた。
あれ?
「おーい、みんな。配信始まってるぞ?」
「……分かっているわ」
レイナは小さくうなずいた。それからカメラに向かって頭を下げた。
「月虹クロニカのリーダー、御影院レイナです。長い間、活動を休止してしまい、申し訳ありませんでした」
【レイナ様!】
【久しぶりに声聞いた】
【4人揃ったの本当に嬉しい】
【レイナ、泣いてる?】
レイナは俺の右肩を見ないようにしているのか、ずっとカメラを見つめていた。
「今日は、再スタートの記念に、私たち4人が新しく借りた部屋を紹介するわ」
「そうそう。今日からここが月虹クロニカの新しい拠点なんだよ」
【新拠点!?】
【4人で住むの!?】
【同居!?】
【朔斗、ハーレムじゃん】
【詳しく説明してくれ】
「おうよ。4人で暮らす部屋、見たいだろ?」
俺がそう答えると、コメント欄がさらに速くなった。
【マジかよ】
【男1人と女3人!?】
【うらやましすぎる】
【いや、1年前のこと考えたら離れたくないだろ……】
【3人とも絶対に朔斗から目を離さないつもりか】
へえ。みんな、こんなに驚くのか。でも、昔から仲のいい4人だし、別に変なことじゃないだろ。
「じゃあ、まずはリビングから紹介するぞ!」
こはくがスマートフォンを動かした。
広いリビングが画面に映る。大きなソファに、木のテーブル。壁には大きなテレビがあり、その横にはゲーム機も置いてある。
「どうだ? すごいだろ。俺、こんな広い部屋に住むの初めてなんだよ」
【広っ】
【めちゃくちゃいいマンションじゃん】
【月虹クロニカってこんな金持ちだったのか】
【社長になったレイナの力か?】
「そうそう。レイナが色々手配してくれたんだよ。俺が前のアパートに戻ろうとしたら、こっちのほうがいいってさ」
「……あなたが安全に暮らせるようにしたかったのよ」
「ありがとな。助かったよ」
「……ええ」
レイナは俺の右肩へ目を向けた。
「あなたが右腕を失ったのは、私の判断が間違っていたから……。せめて、今度は私が生活を支えたいの」
「いや、俺も家賃くらい払うぞ?」
「……私では、あなたを支える資格がないということかしら」
「そういう意味じゃないって!」
【あっ】
【レイナ様、重い……】
【朔斗、相変わらず鈍感】
【これが1年間の空白か】
【右腕を見るたびに思い出すんだろうな……】
おいおい。配信開始からまだ数分だぞ。どうしてもうこんな話になってるんだ?
「よし。次はキッチンだ!」
俺は話題を変えることにした。こはくがカメラを向けると、大きな冷蔵庫と広い調理台が映った。
「ここで4人分の飯を作るんだよな。いやあ、楽しみだな」
「えへへぇ。あたしが作るよぉ!」
こはくがカメラを自分へ向けた。
「朔斗くんには、毎日おいしいものを食べてもらいたいのぉ。朝も昼も夜も、あたしが作ってあげるねぇ」
「おお、頼りになるな。こはくの料理、昔からうまかったし」
「……えへへぇ」
こはくが嬉しそうに笑った。その顔を見て、俺も嬉しくなる。
「でも、毎日作るのは大変だろ? 俺も料理できるから、たまには交代しようぜ」
「……え?」
こはくの笑顔が止まった。
「朔斗くん……あたしのお料理、いらないのぉ……?」
「いや、そうじゃなくて」
「あたしが作るより、自分で作ったほうがいいのかなぁ……」
こはくは俺の右肩を見た。
「あたし……あのとき朔斗くんの腕を守れなかったのに、また何もしてあげられないなんて……」
こはくの目から涙がこぼれた。
「せめてご飯くらい、作らせてよぉ……」
「わ、分かった! じゃあ、こはくにお願いするよ!」
「……ほんとぉ?」
「おう。楽しみにしてるぞ」
こはくは涙を拭い、嬉しそうに笑った。
「えへへぇ。じゃあ、いっぱい作るねぇ」
よし。なんとか落ち着いたな。
【朔斗、料理の話してただけなのに】
【こはくちゃん……】
【心の傷が深すぎる】
【甘やかされる朔斗うらやましい】
【いや、これ朔斗も大変そうだぞ】
うん。俺も、ちょっとそう思い始めた。
次は廊下を通って、それぞれの部屋を紹介することにした。
「まずはレイナの部屋だな」
レイナが扉を開けた。中には大きな机と本棚があり、仕事用のパソコンが置いてある。書類もきれいに並んでいて、床には余計なものが落ちていない。
さすがレイナ。
昔から整理整頓が得意だったもんな。
「ここで会社の仕事もするのか?」
「ええ。家にいる間も、必要な仕事は進められるようにしてあるわ」
「へえ。すごいな」
俺は本棚を見た。ダンジョンの地図や攻略資料が、何冊も並んでいる。
「おっ、まだ探索の勉強もしてるのか?」
「……ええ」
レイナは小さくうなずいた。
「もう二度と、間違えた情報であなたを危険な場所へ連れていかないためにね」
「頼りにしてるぞ」
「……っ」
レイナは胸元を押さえた。
「……その言葉に、今度こそ応えたいわ」
なんだか、また泣きそうだ。俺は慌てて次の部屋へ向かった。
「次はこはくの部屋だ!」
「はぁい!」
こはくが嬉しそうに扉を開けた。部屋の中には、大きなベッドとぬいぐるみが置いてある。棚には料理の本と医療関係の本が並び、机の上には救急用品がきれいにまとめられていた。
「おお、こはくらしい部屋だな」
「えへへぇ。かわいいでしょぉ?」
「うん。いい感じじゃん」
こはくは頬を赤くした。
「朔斗くん、いつでも遊びに来ていいからねぇ」
「おう。じゃあ、今度ゲームでも持ってくるか」
「……ゲーム?」
「昔みたいに一緒にやろうぜ」
「……えへへぇ」
こはくは嬉しそうにうなずいた。
「じゃあ、夜も一緒にいてくれるぅ?」
「ん? 夜?」
「うん。寝るまで一緒にお話ししたいのぉ……」
「いいぞ。久しぶりに色々話したいしな」
「……やったぁ」
こはくは俺の左腕を抱き締めた。コメント欄が速く流れていく。
【こはくちゃん距離近すぎw】
【寝るまで一緒!?】
【完全に甘えてる】
【1年間待ってたんだから仕方ない】
【朔斗、意味分かってなさそう】
ん? 何か変なこと言ったか?
まあ、いいか。
「次はいぶきの部屋だな」
「承知した」
いぶきが扉を開けた。部屋の中には、大きなベッドと机が置いてある。壁には剣を立てかけるための台があり、床には筋力トレーニング用の器具が並んでいた。
「おお、すげえ。部屋でも鍛えるつもりなのか?」
「当然だ」
いぶきは真剣な顔で答えた。
「自分は、もっと強くならなければならない」
「いいな。俺も一緒に鍛えていいか?」
「……お前も?」
「おう。久しぶりに手合わせしたいしな」
いぶきは俺の右肩を見た。それから、自分の両手を握り締めた。
「……自分は、もうお前に怪我をさせたくない」
「模擬戦でそんな大怪我しないって」
「……そうではない」
いぶきは下を向いた。
「自分が弱かったから、お前は右腕を失った。自分がもっと強ければ、あんなことには……」
低い声が震えている。
「だから、今度こそ強くなる。お前の前に立てるように……」
「おう。じゃあ、一緒に頑張ろうぜ」
「……感謝する」
いぶきは深く頭を下げた。うん。相変わらず真面目だな。
最後は俺の部屋だ。
「じゃあ、俺の部屋も紹介するぞ」
扉を開けると、ベッドと机が置かれていた。机の上には配信用のパソコンがあり、壁には剣を置くための棚もある。
それから、大きなクローゼットも用意されていた。
「いい部屋だろ?」
【朔斗の部屋シンプルだな】
【配信環境すごい】
【ここでゲーム配信もするのか?】
「おう。ゲーム配信もやりたいな。1年間ゲームできなかったから、めちゃくちゃ楽しみなんだよ」
【生きて帰ってきてよかった】
【普通の生活を楽しんでほしい】
俺はベッドに座り、左手で布団を触った。改めて柔らかいことに感謝だ。いやあ、これから毎日こんなベッドで寝られるのか。
「これなら、ぐっすり眠れそうだろ。1年間は地獄だったからな。おかげで腰がガチガチよ」
ふと3人を見ると、下を向いて泣きそうになっていた。しまった、余計なことを言ったか。
「朔斗」
レイナが近づいてきた。
「夜、何か困ったことがあったら、すぐに呼びなさい」
「おう。ありがとな」
「私の部屋はすぐ近くよ。いつでも行けるから」
「分かった」
こはくも俺の隣に座った。
「あたしも来るよぉ。朔斗くんが眠れなかったら、一緒にいてあげるねぇ」
「おう。頼むよ」
「腰もマッサージしてあげる」
「サンキュ」
いぶきは部屋の入口に立っていた。
「自分は夜も警戒する」
「いや、寝ろよ」
「問題ない」
「大ありだって!」
【3人とも過保護すぎるw】
【朔斗、もう1人になれないな】
【右腕失ってるから心配なのは分かる】
【これ、共同生活大丈夫か?】
俺はコメントを見て笑った。
「まあ、みんな仲良しだから大丈夫だろ」
そう言うと、3人が俺を見つめた。レイナは少し頬を赤くし、こはくは嬉しそうに笑っている。いぶきも小さくうなずいた。
ルームツアーはこれで終わりだな。
俺たちはリビングへ戻り、ソファに並んで座った。
「いやあ、どうだった? 月虹クロニカの新しい拠点。結構いい部屋だろ?」
【最高だった】
【4人の生活配信もっと見たい】
【こはくちゃんかわいい】
【レイナ様、奥さんみたいだった】
【いぶきちゃん護衛する気満々で草】
【次の配信は何するの?】
おっ。ちょうどいい質問が来たな。
「次回は、いよいよダンジョンに潜るぞ!」
俺は左手を上げて、カメラに向かって笑った。
「1年ぶりに、月虹クロニカの4人で攻略配信をする予定だ。楽しみにしててくれよな!」
【うおおおお!】
【ついに復活か!】
【待ってたぞ!】
【4人で攻略するところまた見たい!】
【でも朔斗、体は大丈夫なのか?】
コメント欄が盛り上がっている。俺も楽しみだ。1年間、ずっと1人で戦っていたからな。また3人と一緒にダンジョンへ潜れるなんて、最高じゃん。
ところが、隣にいたレイナが俺の左腕をつかんだ。
「……朔斗」
「ん?」
「その前に、やることがあるでしょう?」
「えっ? 何かあったっけ?」
レイナは俺の右肩を見た。その顔は、いつになく真剣だった。
「健康診断よ」
「……健康診断?」
「ええ。1年間もダンジョンに閉じ込められていたのよ。しかも、右腕まで失っている。体の状態をきちんと調べなければ、探索なんて認められないわ」
「いや、俺は元気だぞ?」
「元気かどうかを調べるための健康診断でしょう」
なるほど。確かにそう言われると、何も言い返せないな。
「でも、1年間ずっと戦ってたし、今さら必要か?」
「必要よ」
レイナがきっぱりと言った。こはくも俺の左腕にしがみついた。
「必要だよぉ! あたしも朔斗くんの体、ちゃんと調べてほしいのぉ!」
「こはくまで?」
「だってぇ……」
こはくは俺の右肩を見つめた。大きな黄緑色の目が潤んでいる。
「あたし、あのとき朔斗くんの怪我をちゃんと治せなかったから……。今度こそ、体のこと全部知っておきたいのぉ……」
「いや、だからあのときは助かったって」
「……うん。でも、あたしが見落としてる怪我があったら怖いもん……」
こはくは俺の腕を抱き締めた。
「お願い。ちゃんと調べてもらってぇ……」
いぶきも深くうなずいた。
「自分も賛成だ」
「いぶきまで?」
「お前が万全の状態でなければ、自分は安心して戦えない」
いぶきは俺の右肩を見つめた。
「自分が守れなかった傷を、これ以上増やしたくない」
3人とも、かなり本気らしい。まあ、健康診断くらいならいいか。
「分かった、分かった。じゃあ、ダンジョンに行く前に健康診断を受けるよ」
そう言うと、3人が大きく息を吐いた。レイナは胸元に手を当て、こはくは嬉しそうに俺の腕へ頬を寄せてきた。いぶきも、少しだけ肩の力を抜いた。
「……約束よ、朔斗」
「おう。約束だ」
「えへへぇ。あたしも一緒に行くからねぇ」
「自分も付き添う」
俺はカメラに向き直った。
「というわけで、次のダンジョン配信の前に健康診断を受けることになりました。みんな、もう少し待っててくれよな!」
【健康診断は大事】
【レイナ様が正しい】
【1年間行方不明だったんだから当然だろw】
【てか、さっさと病院行けや】
【3人とも付き添うのか】
【朔斗、逃げられないなw】
【月虹クロニカ、相変わらず仲良しだな】
俺はコメントを見て笑った。いやあ、やっぱり配信は楽しい。久しぶりに4人で話せたし、新しい部屋も紹介できた。次は健康診断を済ませて、いよいよダンジョン攻略だ。
楽しみだな。
……ただ、俺には1つ気になることがあった。あの厄災クラスの化け物と戦ったとき、俺の体に起きた異常について。




