第7話 カイルの提案
私は、目の前に座る男が本当にカイルなのか信じられなかった。
いつもは無造作に流してあるだけの髪も今日は綺麗に整えられ、服も全く着崩していない。艶のある濃紺のネクタイをしっかりと締め、まるで別人だ。
「ん? どうした」
「え、いや、いつもと全然違うから」
私は戸惑いながら、カイルと向かい合う席に座った。
「言っただろ。今日は遊びじゃなくて商談だ」
「商談って……ランフォード総合商会がうちのポーションを買ってくれるってこと?」
カイルがふっと息を吐くように笑った。
「違う」
「じゃあ」
「単刀直入に言う。お前の商会と提携したい」
――提携?
私はカイルの言っていることが分からなかった。
「どういうこと」
「お前、うちの店、来たことないのか?」
「ない。だってフロルハイムにないじゃない」
カイルの実家――ランフォード総合商会は、王都に本店を構えている他にも地方都市にいくつか支店を持つ大きな商会だ。客層は平民が中心で、食品や衣類、日用品といった生活に欠かせないものを大きな店舗に集めて売っている業態の商会である。
ただ、残念ながらフロルハイムには、まだ支店がない。
話には、聞いたことがある。
うちの薬花栽培士のおばちゃんたちが王都に遊びに行ったときに行って、「便利だからフロルハイムにもできないかしら」って言ってたからね。
私の返事にカイルは苦笑いを浮かべた。
「うちの商会は色々な商会と提携して、うちの店舗の中にその商会の店舗が入ってるんだ。テナントって言うんだけど分かるか?」
「あぁ……市場みたいな感じ?」
「イメージとしては近い。うちの商会は、その市場のような箱の一部を他の商会に貸してるんだ」
うん、なんとなく分かってきたぞ。
「それで? 提携って言うのは?」
「お前のヴェルナ薬花商会にうちのテナントで商売をしてほしい」
ん?
「ちょ、ちょっと待って」
私は腕を組んでしばらく考えを整理した。
「卸しじゃなくて、直接販売ってこと?」
「そうだ。それで、その売り上げからテナントの賃料をうちがもらう。まぁ、売り上げがなくても払うもんは払ってもらうがな。これが契約書と資料だ。目を通してくれ」
私は、カイルがテーブルに置いた書類を手に取ってじっくりと目を通した。
まずは契約書から目を通す。
固定賃料が月に銀貨三十枚に売上歩合が売り上げの十パーセント……
驚いたことにカイルが渡してきた資料の中には、うちの商会が出店した場合の想定月売上が銀貨千二百枚と書かれていた。固定賃料や売上歩合で差し引かれても、うちは銀貨千枚以上の儲けが出ることが書かれていたのだ。
「……この、月の売上高の想定なんだけど、ちょっと無理があるんじゃない?」
「俺は、無理だと思ってない。だから、うちの商会でも会議に通して、ここまで企画を作ってきた」
「根拠は?」
カイルが鼻で笑った。
馬鹿にされたみたいで鼻につくが我慢だ。
「マティは一回うちの本店を見に来た方がいい。……そうだな、うちの商会は街の中全部があるイメージだ」
私は、カイルの言葉に合わせて脳内でイメージを広げた。
店が街? 言われても、いまいちぴんと来ない。カイルの言う通り、一度見に行く必要がありそうだ。
「食料品、生活用品、本、衣類。うちに来れば、大抵の物は買える」
「そうなの!?」
その話が本当だとしたら、相当大きな店舗なのだろう。
「そこにお前のとこの医薬品も加えたい。薬だけを別に売るんじゃなくて、買い物の流れの中で自然に売れる量が銀貨千二百枚ってことだ」
「う、うん……」
「パンを買い来たついでに薬も買う。それだけだ」
本当にそんなにうまくいくのだろうか。
「言っとくけど、うちの商会、私の婚約破棄でとんでもない悪評が立ってるのよ」
自分で言っていて悲しくなるが、それが事実だ。
私は、王都の商会をいくつも訪ねて自分で確かめたのだ。
「お前の悪評を知っているのは、主に貴族層だ。なぜか分かるか?」
「それは、向こうのヴァルティア子爵って言うのが言いふらしてるからでしょ?」
「それもあるが、向こうには平民層にまで噂を流せない理由があるんだ」
「理由?」
私は腕を組んだ。確かに貴族だけに噂が広がるのも不思議な話だ。うちを徹底的に叩きのめしたいなら、平民層にも噂を流してもいいような気もする。
「マルベルト魔導具商会の最大の顧客は冒険者――つまり平民だ。商会の息子が平民の娘を捨てて貴族令嬢に乗り換えた話を聞いたら、自分たちと同じ身分の方を気の毒に思うのは当たり前のことだ。だから、平民層にはあえて噂を流してない」
「な、なるほど」
平民層に広がるとマルベルトが困るってことね。
「そして、うちの商会の最大の顧客は平民だ。だから、お前の風評を気にする必要はない。むしろ宣伝に使ってもいいくらいだ」
「宣伝!?」
「あぁ、そうだ。大商会の跡取り息子に捨てられた娘の薬の良さをランフォード総合商会が見つけた。それでヴェルナ薬花商会の出店を後押ししたって噂を流す。向こうへの攻撃にもなって、こちらの宣伝にもなる。一石二鳥だと思わないか?」
カイルは組んだ足に肘をついて私に不敵な笑みを浮かべる。
――敵には回したくない顔だった。
「でも……初期の資金はどうしよう」
新しいことをするとなると、いつもはかからないはずの金がかかる。
私は、経理担当の母が頭を掻きむしる姿が目に浮かぶようだった。
「そのくらい、マルベルトが寄こしてくる慰謝料でなんとかなるだろう。お前の所は、あわや倒産の危機にまで追い込まれてるんだからな」
カイルは涼しい顔でテーブルに置かれた紅茶を飲んだ。
「うちの商会の顧問弁護士を貸してやろう。それくらいは、手伝ってもいいよな」
この時だけ、カイルの顔が少しだけ歪んだ気がした。
だけど、目下の悩みはカイルの提案に乗るか否かだ。
どうしよう……
確かにカイルの提案はものすごく魅力的だ。
だけどうちの商会が今まで進んだことのない方向へ大きく舵を切ることになる。
お父さんもご先祖様たちもやったことのないことをできるんだろうか。
従業員の生活。
商会の未来。
全部が私の肩に重くのしかかる。
簡単に決められることじゃなかった。
悩んで俯いていた私にカイルの言葉が降ってきた。
「うちはヴェルナ薬花商会だから、この話を持ってきた」
私は、その言葉にぱっと顔を上げた。
「ヴェルナ薬花商会の安定した薬の品質。それを保つための企業理念。努力を惜しまない経営者と従業員たち。その全てを評価している。他のとこだとこうはいかない」
その言葉は、今の私が喉から手が出るほど欲しかった言葉だった。
目頭が熱くなった。
「だけどお前の商会は、このままだと広がらない」
カイルの顔は真剣そのものだった。
「ヴェルナ薬花商会には価値がある。だから《《うち》》が使う」
カイルの言葉は、私にとって飴であり、冷徹な鞭でもあった。
「マティ。お前はどうしたい」
すぐには言葉が出なかった。




