第6話 マティ、商談といこう
「おい、マティ……大丈夫か」
傘をさしていたのは、カイルだった。
「……うるさい……ほっといて」
私は拳を強く握ってから重い体を起こして立ち上がった。
キュロットについた土を叩いて払う。
「なぁ、マティ」
カイルの顔は見ない。見たくなかった。
私は、カイルのさす傘から、外へ飛び出した。
「おい!」
小雨の降る中を走っているとカイルが後ろから私の手を掴んだ。
「やめて」
私は、その時初めてカイルの顔をちゃんと見た。
いつものふざけた笑顔は、そこにはなかった。
カイルは雨に濡れながら、苦しげに顔を歪めていたのだ。
「何も言わない。でも、傘だけは持ってってくれ」
カイルは、そういうと私に黒い傘を押し付け、自分は雨の中を走っていった。
私は、その後ろ姿を寒さで震える体で見送った。
カイルがおそらく親切でしてくれていることは分かる。
だけど、自分の手では、何もできないことを突きつけられているようで、惨めだった。
宿の自室に戻った私は、肩で息をしていた。
悔しくて、悔しくて――
考えないようにしていた怒りがまた腹の中に湧きあがった。
『ふん、できるもんならやってみろ』
エドリックの、あの勝ち誇った顔。
私は膝をつき、ベッドに顔を埋めて、布団を叩いた。
「くそ! くそ!……くそ!」
『セレナさえいれば、ヴェルナ薬花商会に払っていた金も運送費も無駄な物を全て削減できる』
『やっぱり君と結婚しなくて正解だったよ。僕は、君のそういうところが嫌いなんだ』
追い打ちをかけるようにエドリックの言葉が頭の中を巡った。
私もヴェルナ薬花商会も、必要だって証明したい。
でも、私が自信を持っていた商品の品質だけでは、どうにもならない壁にぶつかっていた。
――挫けるな。何か別の道を考えないと。
私は、震えながら立ち上がった。
まずは、自分の体調を整えて、次の戦いに万全の状態で挑むんだ。
私は、濡れた服を脱ぎ捨て、バスルームに向かった。
バスタブに体を預け、金の蛇口をひねると熱いシャワーが降ってきた。
冷えた体に少しずつ熱が戻ってくる。
体の震えがおさまってきた。それと一緒に苛立った心も少しだけ落ち着いた。
――卸す先が見つからないなら、自分の手で直接お客様に売るしかない。
私は、明日の目標をここで決めた。
* * *
私は次の日、朝一番で泊まっていた宿を引き払った。
王都で取引先が見つからない以上、長居は無用だ。
王都の門の前の共同厩舎でデューを受け取る。
そのまま出ようかとも思ったが少しだけ冷静になって、私は厩舎のおじさんに話しかけた。
「すみません。馬につける魔物避けって、どこに行けば買えますか?」
「あぁ、それならマルベルト魔導具商会に」
「そこ以外でお願いします」
たとえどんな理由であろうと私は二度とマルベルトで買い物をしない。
「じゃあ、門の前の冒険者ギルドに行くといい。マルベルトよりちょっとだけ高いがな」
私は、おじさんに手短に礼を言って、共同厩舎を出た。
門の左手。大きな石造りの建物があり、剣を腰に下げた冒険者が入っていくのが見えた。
近づいてみると入口の横の窓が開いていて、カウンターのようになっていた。ギルド職員と思われる受付が一人座っている。
そこに角の生えたウサギをカウンターに乗せる冒険者が一人いた。
なるほど、魔物素材の取引なんかは匂いもあるだろうし、建物の外で渡せた方が便利ね。
冒険者ギルドを使ったことがないから分からないが、おそらくあの窓が簡易的な受付の役割をしているんだろう。
私もデューの手綱を引いて、冒険者と入れ替わりに受付嬢に声をかけた。
「すみません。魔物避けがほしいんですが」
「魔物避けですね」
受付嬢はにっこりと笑ってから、カウンターの下から平たい木箱を取り出した。
中には、お札のような物やポピーが着けていたペンダントのような物が入っていた。
「右から、魔除けの護符、魔物避けの首飾り、旅人の護石、上級魔物避け、馬用魔物避けとなります」
確かに一番左にあるものはポピーが着けていた物にそっくりだ。
「馬用魔物避けはいくらですか?」
「こちら、馬の移動速度でも効果が落ちない一級品ですので、金貨二枚になります」
「金貨二枚!?」
私は目玉が飛び出るかと思うほど驚いた。
これは、とてもじゃないが手が出ない。
「ほ、他のは、おいくらですか」
受付嬢は慣れているのか、私の驚きは特に気にもせず笑顔で対応してくれた。
「魔除けの護符が銀貨三枚。魔物避けの首飾りが銀貨八枚」
「あ、あ、お姉さん、ちょっと待って」
想定していた以上に高い。
魔除けの護符なら、ぎりぎりセーフか……
「魔避けの護符は、一人用で効果は弱めです。街道だけの移動ならこれでもいいでしょう。お客様、失礼ですが目的地をお聞きしても構いませんか?」
そうだ、目的地!
ついでだから、そのこともお姉さんに相談してしまおう。
「今一番冒険者が多いダンジョン前まで行きたいんです。私、ポーションを売りたくて」
そう。私が新たに決めた作戦。その名も「卸先がないなら、直接冒険者に売っちゃえ作戦」だ。ダンジョン前で行商をすれば、さすがに売れるだろうと踏んだのだ。
「まぁ! 行商の方だったのですね! それなら王国北東部の辺境にある奈落の大迷宮がおすすめです! それと――」
お姉さんはにっこりと微笑んだ。
「奈落の大迷宮に向かわれるのなら、馬でも一週間はかかります。魔物避けではなく、護衛の冒険者を雇うことをおすすめいたします」
「な!」
なんて――商売上手なお姉さんなんだ。
お姉さんのセールストークは止まらない。
「一番安いFランクの駆け出し冒険者なら、一人当たり日当銀貨二枚です。どうです? 雇いませんか?」
「雇いません」
ていうか、雇えません。
行きと帰りで二週間かかるとして、単純計算で銀貨二十八枚は痛すぎる。
「魔除けの護符を一枚買います。あと、地図もください」
あんなに高く感じた護符が急に安く感じられた。
商売上手な受付嬢から買った魔除けの護符を胸ポケットにしまい、私はデューに跨った。
地図には、ギルドのお姉さんが教えてくれたおすすめの道順まで書かれている。
私の胸は、期待で高鳴っていた。
* * *
一週間後。街道に沿って移動したおかげか、護符のおかげか、何事もなく目的地の奈落の大迷宮に着くことができた。
奈落の大迷宮の前は、想像していた以上ににぎわっていた。
たくさんの冒険者が行き交い、私以外にもたくさんの露天商が軒を連ねている。
これは、期待できそうだ!
さっそく私もポーションを広げようかと思ったが、念のため周りの商人に行商のルールなんかがないか確認しておこう。
「すみません」
一番人がよさそうなパンを売っているおばちゃんに話しかけてみた。
「いらっしゃい」
「あの、私、ここに来るのが初めてで。私も出店を出したいんです」
「あぁ、それなら、向こうにある大きな建物が見えるかい? あれが領主府だから、あそこで出店許可証を発行してもらうんだよ」
「出店許可証……ありがとうございます」
また金のかかる予感がした。
ここまでの一週間の旅路にかかった金額が宿代に銀貨六枚、食費に銀貨一枚、デューの餌や厩舎代で銀貨一枚に魔よけの護符が銀貨三枚でしょ……
これに出店許可証が加わるとなると、相当な出費だ。
私は、だんだん気が重くなってきて、ため息を吐いた。
結局、領主府から一日だけの出店許可を出してもらうのに銀貨一枚かかった。
今日一日だけ売って、そのまま商会に帰るとなると銀貨二十枚の出費と言うことだ。
うちの商会の一般従業員の月給が銀貨二十枚。全員分の人件費が銀貨八百枚ほどになる。
今日の稼ぎでその全てが賄えるとは思えないが、せめてもの足がかりぐらいは掴んでみせる。
私はダンジョンの入口に近いところにピクニックシートを引き、デューからポーションの入ったスーツケースを降ろして蓋を開けた。
デューは私の後ろの方で草を食み始めた。
「いらっしゃい、いらっしゃい! ポーションの買い忘れはないですか!」
うちのは、物がいいし、冒険者は使い慣れたポーションをきっと買ってくれるわ。
だけど、冒険者たちはちらりとこちらを見るだけで誰も私に声をかけてこない。
「どうぞ、見てってください! ヴェルナ薬花商会のポーションです! 低級ポーションから上級ポーション、火傷治療薬に解毒剤まで、なんでも扱ってますよ!」
……
…………
………………
売れない……
空はすっかり茜色に染まっていた。
どうして……
その時——
「どいてくれ! 怪我人だ!」
怪我人!?
私は、ポーションを数本持って声のした方へ飛び出した。
この際金なんかいい。怪我している人の助けになれるかもと思ったのだ。
だけど、私はその場で言葉を失った。
ダンジョンから抱えられて出てきたのは、腕に深い切り傷を負った人だった。腕は縛って止血されているが、傷が深く痛々しい。
抱えてきた人は、怪我人を地面に座らせると腰のポーチからレモン色の小瓶を取り出す。
「あの、私、ヴェルナ薬花商会の者です。何かお手伝いできることはないですか?」
「あぁ、心配してくれてありがとう。だけど大丈夫だ」
大丈夫な訳がない。
怪我人は真っ青な顔をしているのだ。
だけど、冒険者の男は余裕の表情を崩さなかった。
そして、レモン色の小瓶の中身を怪我人に飲ませた。
すると怪我人の体が淡く光り、みるみるうちに怪我が塞がっていく。青かった顔にも血の気が戻り、苦痛で歪んでいた顔には余裕が戻っていた。
「そ、それ! どこのポーションですか!?」
私は思わず冒険者に掴みかかった。
「あん? これか? マルベルト魔導具商会のだよ」
私は、その言葉に血の気が引いた。
「何回か使ってみたけど、効果も……まぁ、悪くないな。俺は前のやつの方が好きだったがな」
この人……ちゃんとうちが作ったポーションとセレナが作ったポーションの違いが分かるんだわ。
「前のが好きだったのに、どうしてこっちを買うんですか?! 見てください! 私、ヴェルナ薬花商会の者です。以前マルベルト魔導具商会で扱っていたのはうちの商品です!」
私は、手に持っていたヴェルナ薬花商会のポーションを見せた。
「あぁ、これこれ! いつものだ!」
冒険者は、ほっとした顔で笑った。
「いくらだ? 買ってもいい。中級ポーションはあるか?」
「ありがとうございます! こちら、中級ポーション、銀貨三枚です」
冒険者の顔が急に曇った。
「高いな」
「え……でも、前はマルベルトでもこの値段だったはずです」
そして、うちの商会の収益を考えるとこれ以上値引きできないぎりぎりの価格だ。
「今のマルベルトのポーションは、銀貨1枚だ」
「え……」
私は、その価格差に言葉を失った。
「悪いな。そっちの前のポーションが好きだったけど、値段が前のままなら買えない。こっちも少しでも安く済ませたいからな」
冒険者の男は、隣に座ってぼんやりしている怪我の治った仲間に肩を貸して去っていった。
その日ポーションは売れなかった。
道行く冒険者は、皆レモン色の小瓶を手に笑顔で歩いている。
私は、その光景をただ眺めることしかできなかった。
日が落ちて、周りの露天商も店を畳み始めた。
それでも動けない私にデューが鼻先で私のことをつつく。
「あぁ、ごめんね。デューもお腹空いたよね」
私は、スーツケースの蓋を閉め、ピクニックシートを畳む。
シートを畳む手が震えた。
もう、私に解決方法は思いつかなかった。
皆に退職金を払おう。ずるずる続けるより、ちゃんと給料を払えるうちに商会を畳んでしまった方がいい。
「うぅ……」
目から、涙があふれた。
――どう頑張っても、勝てない。
私は人目もはばからず、その場に泣き崩れた。
私は、何の収穫も得られぬまま、また一週間かけてフロルハイムまで戻った。
見慣れた畑の続く田舎道をデューの背に乗って進む。
出張用に持ち出した財布の中のお金は、すっかり空になってしまった。
残ったのは、ポーションの詰まった重いスーツケースだけ。
皆になんて報告しよう。
そのことを考えると、申し訳なさで押しつぶされそうだった。
遠くにピンクの壁に赤い瓦屋根の我が家が見えてきた。
煙突からは煙が上がり、私の好きなシチューの匂いが風に乗って流れてきた。
家の前まで着くと塀の前に見たこともない豪華な馬車が止まっていた。
黒く塗られた馬車に二頭の青毛の馬。御者の男まで、上等な黒いスーツを着ていて身なりがいい。
「あの……どちら様ですか?」
私は、デューから降りて、馬たちの世話をしていた御者の男に声をかけた。
口ひげの御者の男が顔を上げ、私を見てにっこりと微笑んだ。
「おかえりなさいませ、マティ・ヴェルナ嬢。うちの主人が中であなたの帰りを待っています」
私は、その言葉に慌てて、デューを厩舎に入れた。
もしかしたら、王都で営業していた商会のどこかが来てくれたのかもしれない。
急いで応接室まで走り扉を開けた。
「遅いぞ、マティ」
そこにいたのは、黒いスーツの男だった。
艶のある黒髪は綺麗に後ろに撫でつけられ、桔梗色の瞳はいつもよりも鋭い。
「な、なんで……」
応接室のソファに座りながら書類を見ていたのは、カイルだった。
カイルは顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「マティ、商談といこう」
そこにいたのは、いつものふざけたカイルじゃなかった。




