第5話 お礼は言わない
私は財布の中を見た。
このまま王都に新しい取引先を探しに行こうと思っていたから、多めに入っている。
――やるしか、ない。
挫けている暇なんかなかった。
少しでも早く新しい取引先を見つけて、商会の皆を安心させないと。
私は、領城を飛び出した。
石畳の坂道を駆け下り、息を切らしながら共同厩舎に駆け込んだ。
「おじいちゃん、もう出る。デューを連れてきて」
おじいちゃんは、こんなに早く私が戻ってくると思っていなかったのか目を丸くした。慌ててデューを厩舎の奥から出してくる。
「夕方までじゃなかったんか?」
「予定が変わったの」
私は、おじいちゃんに銅貨二枚を支払い、デューの背中に飛び乗った。
「お嬢さん、もう午後だ! どこまで行くんだい!」
すぐに出ようとした私をおじいちゃんが呼び止めた。
「暗くなると街道にも魔物が出る!」
それでも止まるわけにはいかない。
噂が広まっている以上、うちの悪評が広まる前になんとかしなければいけないのだ。
「おじいちゃん、でもいかないと」
「おばあちゃん、俺も急用ができた」
私が馬上から声のした先を見ると、そこにはおばあちゃんに銅貨を渡すカイルがいた。おばあちゃんはにこにこ顔で急いでカイルの馬を引っ張ってくる。
カイルはおばあちゃんに礼を言って、カイルの愛馬のポピーに跨った。
「……宿を取ってるんじゃなかったの?」
「本店から呼び出しがあったんだ。こっちは休日だってのに、困ったもんだよな」
カイルはふっと肩をすくめて笑った。
「帰るついでに付き合ってやる。俺のポピーには、魔物避けがついてる」
ポピーが誇らしげに胸を張った。青毛の首元では、魔物避けのペンダントがきらりと光っている。飼い主に似て、嫌な馬だ。
うちのデューがぶるると嘶いた。
お礼を言うべきなのは、分かる。
でもカイルのにやにやした顔を見ると絶対に言いたくなかった。
「……これは、貸しよ」
「お、貸しってことは、返してくれんのか?」
「そのうちね。だから……お礼は言わないわよ」
私は、カイルの顔を見たくなくて、さっさとデューを走らせた。
南端のフロルハイムから中央の王都までは、馬を飛ばせば夜までには着けるはずだ。
「ほら、これ。食べとけ」
すぐに並んできたカイルが走りながら私に紙袋を差し出した。
「なにこれ」
そう言った瞬間、ぐう、と情けない音が鳴った。
私は、紙袋を受け取って中身を見た。
中には黄色い卵が挟まったサンドイッチが入っていた。
「どうせ何も食べてないんだろ。途中で倒れられたら迷惑だからな」
「うぅ……ありがとう」
お礼なんか言いたくなかったけど、さすがにこれは何も言わない訳にはいかない。
たまごサンドを食べながらカイルを見ると、ぎょっとした顔をしていた。
「マティがお礼……急がないと雨が降るかもしれないな」
やっぱり嫌い!
私は、パクパクっとサンドイッチを食べて、カイルの背中を叩こうとしたがポピーが気がついて、さっと距離をとった。
空を切った手がより一層イライラを募らせる。
カイルはそんな私を見て、肩を揺らして笑っていた。
* * *
王都に着くと辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
だけど、さすがは王都と言うべきか。街灯だけでなく灯りをつけて営業している店が多く、街そのものが光っているようだった。
私とカイルは並んで王都の門をくぐった。
カイルの魔物避けの効果かは定かじゃないが、結局魔物には遭遇せずに門の中へ入ることができた。だけど、この時間に宿が取れるか心配だ。
王都の門をくぐってすぐに私はデューから降りてカイルに向き直った。
カイルもポピーから降りる。
「カイル、送ってくれて……うん、借りはそのうち返す」
お礼はもう言いたくない。
「宿はどうするんだ」
「どっかは空いてるでしょ」
私は、デューを王都の門近くの共同厩舎に預けた。デューの首を撫でて、しばしの別れを告げる。
「うちに来るか? 客間ならいくらでもある」
私はカイルの提案に口の端を引きつらせた。
絶対に、嫌。
私は、デューから離れ、努めて笑顔で振り返った。
「いいえ、結構です。では、私はこれで」
これ以上カイルと一緒にいたら、イライラしすぎて病気になる。
カイルに何か言われる前に、私は道行く人たちの間を縫ってさっとその場から立ち去った。
王都の宿は、外から来た客のために門の近くに集中している。
それほど歩き回ることなく、宿の並ぶ大通りに出ることができた。夜だと言うのに、街が明るく、人通りも多い。
私は大通りに並んだ宿にざっと目を配った。
ここは、どこも高そうだ……
どの宿も一階におしゃれなカフェやレストランが併設されていて、座っている客層も品がある。
私は大通りから一本内側に入った宿も見た。
そこは大衆食堂のようなものが併設されていて、表のテーブルには、酒に酔った男たちがげらげらと笑い合っていた。
予算を考えるとできるだけ安い宿がいい。
だけど、女の身で一人で泊まることを考えるとあんまり安い宿も使えない。
何より明日から商談に行くのだから、風呂があって身なりを整えられる宿の方がいいだろう。となると、選択肢は大通りに面する宿か……少し高くつきそうだ。
私は、もう一度自分の財布の中身を確認した。
――やっぱりカイルに泊めてもらえば良かっただろうか。
私の頭の中の天秤がお金とカイルで揺れている。
守るべきは、私のプライドか……それとも財布の中身か……
いや、財布の中身は大事だ。
でもカイルは嫌。
「ええい、思い切りだ! 私は大枚をはたいて、商談に臨むんだ!」
私は、一番近くの白い壁が美しくて、美味しい匂いがぷんぷんと漂ってくる立派な宿に入った。
* * *
――次の日。
私は昨日着ていたのと同じ勝負服、手にはポーションの詰めた革のカバンを持って宿を出た。
片っ端から回ってやる。
颯爽と王都の街を歩いた。
まず向かったのは、宿から割りかし近いベルク商会だ。
この商会は、国内の地方特産品を多く取り揃えている商会だ。
うちの商会で作ったものもフロルハイム領の特産品として売り込めないかと考えたのだ。
店の前に立つと、緊張で胃が痛くなる。
ベルク商会は、朝だというのに客で行列ができていたからだ。
私もその行列に並ぶ。
アポイントメントなど取っていないのだから、正面から入るしかない。
炎天下の夏の日差しがじりじりと痛い。
フロルハイムより石畳や石の建物が多い王都の方が地面から照り返す熱が熱かった。
三十分ほど並び、やっと店に入ると店の涼しさにびっくりした。
きっとどこかに大型の魔導具があるのだろう。
店員と思われる青いエプロンをした女性がいたので、声をかけた。
「あの、すみません」
「はい、何かお探しですか?」
「実は私、ヴェルナ薬花商会の者で」
私が商会の名前を出して、名刺を差し出した途端――店員の顔色が変わった。
「ちょっと、来て」
女性店員が私の腕を取って、扉を一枚隔てた店舗の奥へと引っ張った。
「あ、あの」
私は、訳が分からず戸惑ったが、振り返った店員は険しい顔をしていた。
「ヴェルナの名前をうちで言わないで」
「え……?」
女性店員は、私の名刺をもぎ取るように取って私の名前を見た。そして、驚いたように目を見開く。
「あなたがマティ・ヴェルナ!?」
「はい……そうですけど」
険しかった店員の顔が一気に憐みの顔へと変わる。
「私、ベルク商会の娘のクララ・ベルクよ。あなたのことは、気の毒に思うけど、うちではあなたの商品を扱えないわ」
「待って、どうしてですか!? あの、ポーションを見てくれませんか? サンプルを」
私が言い終わる前にクララは首を横に振った。
「あなたの悪評が貴族層中心にもうずいぶん広まってしまってるの。『真実の愛を邪魔する悪女』だってね」
「そ、そんな」
「うちには、貴族のお客様も来るから、あなたのポーションは置いてあげられないわ。悪いことは言わないから帰って」
クララは、その後私を店舗の入り口ではなく裏口からこっそりと出してくれた。
がっくりと肩を落とす私にクララが気の毒そうにため息を吐く。
「ごめんね。あなたが悪いんじゃないことは、なんとなく分かるわ。だってあなたがそんなことしても何の得もないもの。同じ商会の娘の立場として、本当に気の毒だと思う。頑張ってね」
クララはそういうと裏口の扉を静かに閉めた。
目の奥が熱い。
唇を噛んでいると血の味がした。
駄目。こんな一件断られただけで挫けたら。
私は、涙をこらえて、力強く一歩を踏み出した。
次に向かったのは、ガルド交易商会だ。
ガルド交易商会は国の西側、西方洋に面するグランハーフェン領に本店を構える商会だ。主に海外からの輸入品を取り扱う商会で、船を出し海外に買い付けにも行く大きな商会である。
王都にも本店の次に大きい支店があり、海外からの輸入品を取り扱っている。
船を出すためには、乗組員の薬も仕入れる必要がある。
私は、そこを狙ったのだ。
ガルド商会の建物は、交易品を売る店舗部分と商談を行う事務所部分が隣り合うように建っていて、私は事務所の入り口を叩いた。
すぐに眼鏡をかけた事務員が一人出てきた。
「こんにちは。ポーションの営業に来たのですが、お話を聞いていただけませんか?」
さっきの反省を生かして、事務所前で商会の名前はあえて出さなかった。
眼鏡の事務員は、にっこりと人当たりのいい笑顔を浮かべた。
「どうぞ。担当の者を呼んで参りますので、中でお待ちください」
私は、思わず飛び上がりそうになるのを堪えて、事務所の中へ入った。
「こちらでお待ちください」
案内されたのは、上等な革張りのソファが置かれた応接室だった。
私は、そっとそのソファに腰を下ろして、担当者が来るのを待った。
程なくして、一人の男が部屋に入ってきた。
現れた男は中肉中背の五十代くらいの男だった。太い指には宝石のついた指輪が光っている。その男は、私の襟についたヴェルナ薬花商会のブローチを見ると、ニヤリと笑った。
「大樽一つ銀貨三枚なら買おう」
「ぎ、銀貨三枚!? そんなの無理です!」
担当者の男は、私の向かいにどかっと座るなり、商品も見ずにそう言った。
マルベルト魔導具商会に卸していた時は、大樽一つ銀貨五枚の取引で、なんとか従業員たちの給料を払っていたのだ。それを銀貨三枚だなんて、どう考えても赤字だ。
「なら、今日は帰ってくれ。うちはこれ以上負けない。もしヴェルナ薬花商会が銀貨三枚でも売りたくなったら、その時は歓迎しよう」
男はそれだけ言い残すとさっさと部屋を出て行った。
――足元を見られたんだわ。
私がヴェルナ薬花商会の人間だと分かって、こっちの状況も全部わかってあんな金額を提示してきたんだ。
私は、悔しさで唇を噛みながら立ち上がった。
従業員を守れないなら、交渉の余地はない。
次よ。次こそは――
そんな期待もむなしく、次の商会でも結果は同じだった。
次に向かったのはエーベル薬品商会だったが、そこは他に取引先があるからと断られた。
何件も回った。門前払いは当たり前。
卸す量が足りないと断られたところもあった。
入れてくれたとしてもガルド交易商会のように足元を見られる。
「帰ってくれ!」
営業に行った先の商会で、店員に突き飛ばされ、私は石畳の地面に膝をついた。
ポーションがつまったカバンは変わらず重いままだった。
冷たい雨がぽつぽつと降ってきた。
私は、その場から動けなかった。
小雨が髪や肩に当たり、だんだん体が重くなってくる。
――私が甘かった。
いい商品なら売れると思っていた。
今のヴェルナ薬花商会には信用がない。
話すら、まともに聞いてもらえなかった。
私は、自分の見通しの甘さを呪った。
カツカツと革靴が石畳を踏む音。
さっと地面に影がさし、雨が当たらなくなった。
ぽつぽつと雨が布に当たる音だけがする。
「おい、マティ……大丈夫か」
私は、顔を上げた。
濡れた前髪で視界が歪む。
前髪を手で掻き分けると、誰かが私に傘をさしていた。
雨に濡れた目で色が滲む。
わずかに見えた桔梗色。
――また私を笑いに来たの?
そこにいたのはカイルだった。




