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薬花の庭の主 ~倒産寸前の商会で、あなたが無駄と切り捨てた物を必要だと証明する~  作者: ポムの狼
第一章「守りたいもの」

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第2話 婚約破棄

「え、エドリック?」


 喉が渇く。

 言葉が、出ない。


「マティ、話がある。座ってくれ」


 私を見たエドリックにさっきまでの笑顔はなかった。

 かつてはあんなに優しかった浅葱色の瞳が、今は氷のように冷たい。


 私は自分の家なのに、手に汗を握りながらエドリックと向かい合うソファに座った。



「あの、エドリック……そちらの方は」


「マティ、君との婚約を破棄したい」


「……え」



 ——意味が分からなかった。



 応接室とは名ばかりの素朴な客間の壁にかかった鳩時計の針の音だけが響いていた。



 え、婚約破棄? ……なんで?



 エドリックの言葉を飲み込むのに時間がかかり、それでも状況が理解できない。



 ——信じられなかった。



「……冗談、だよね」


「悪いけど冗談じゃない。僕はこちらのセレナと結婚することになった」


「え……? ごめん、意味が分からない」



 私はこの時初めて、エドリックの隣に座る女性の顔をしっかりと見た。


 愛らしくて丸いグレイの瞳に、天使のようなブロンド。白くてきめの細かい肌は、育ちの良さをうかがわせた。

 パウダーブルーのドレスを着たその人は、まるで絵本から飛び出してきたお姫様そのものだった。

 私と目が合うと怯えた子犬のような顔をした。



「僕たちの婚約は、元はといえばお互いの親が勝手に決めたことだろ」


 エドリックの静かな、だけど冷たい言葉に私は視線をエドリックに戻す。



「……そうだね。でも、お互いの商会にとってはいいことだし、私」


「君は、薬花のことばかりで僕のことなんか愛してないだろ」


 エドリックのことが好きだと言おうとして、先に言葉を被せられてしまった。



「そんなことない!」


「いいや、そうだ。君は、子どものころから僕しか知らないから本当の愛がどういうものなのか知らないだけなんだよ」


 エドリックが私の言葉に困ったように笑った。



――なに、これ。話が噛み合わない。


 掴もうとした手のひらから、さらさらと砂がこぼれるみたい。



「それに君とは仕事の価値観も合わない」


 エドリックの言葉は、強くない。

 怒ってもいないし、怒鳴ってもいない。


 だけど、その言葉には、間違いなく私への棘が含まれていた。


「君は品質だなんだと言って、生産性や効率を後回しにすることがあるだろ。そこも、僕は納得できないんだ」


「そんな」


 それは、うちの、ヴェルナ薬花商会のモットーで——

 今まで、父やご先祖様、たくさんの従業員たちが大切に守ってきたものだ。


 曲げることは、今まで商会を支えてきた全ての人達を裏切ることだと分かっていた。


 ――それでも



「じゃあ、私が、あなたに合わせるから!」


 あなたが好き。


 他の人の所になんか、行かないで――

 


「 不満なことがあるなら、全部直すから!」


 お願いだから。


「私もその人みたいに、綺麗になれるように頑張るから」


 婚約破棄だなんて、言わないで。




 肩を震わせながら言葉を繋いだ私に、エドリックが短いため息を吐いた。


「セレナを愛してるんだ。マティ、君のことは何とも思ってない。もう君とは結婚できない」


 堪えていた涙が頬を伝った。


 かつて十年ではきかない年月を一緒に笑い合ったエドリックから、その言葉が出たことが受け止められなかった。



「嘘だ……嘘だって、言ってよ、エド」


 みっともないって分かってる。

 だけど、言葉も涙も止まらない。


「ずっと一緒に過ごしてきたじゃない……」


 子供の時は、一緒に手を繋いで歩いた。

 雪の降る寒い日は、私の手を握って温めてくれた。

 学園の試験の前は、一緒に夜遅くまで勉強した。


 あの全てが――全部、嘘だったっていうの?



「泣くなよ。これじゃあ、まるで僕が悪いみたいじゃないか」


 エドリックは、涙が止まらない私を見て、心底嫌そうな顔をした。



「マティ。これは、間違ったことじゃない。ただ正しい形に直すだけだ」


「……正しいかたち?」


 私が説得になびいたとでも思ったのか、エドリックの顔が少しだけ明るくなった。

 姿勢を前のめりにして、熱弁を振るう。


「あぁ、そうだよ。君も僕のように本当に愛せる人を探した方がいい。その方が絶対お互いに幸せなんだ。今は、家族と別れるみたいにちょっと寂しいだけ。君は大げさだよ」


 まるで、幼い子供に言い聞かせる大人の理屈みたい。


 ――そんなの、分かんないよ。





 私の涙が止まらないのを見て、初めて横に座っていたセレナが動いた。


「ごめんなさい、マティさん……私が……私が悪いんです。エドリックは悪くないんです」


「セレナ」


 向かいの席でセレナがハンカチで目を押さえた。

 私が泣いてもなんの心配もしなかったエドリックがまるで壊れ物でも触るようにそっと、セレナの手を取った。



 ――あぁ、そっか。



「私がエドリックのことを好きになってしまったんです。婚約者がいるから、駄目だって自分に言い聞かせたのに、それでも思いが消せなくて」


「セレナ、僕も同じ思いだから、自分を責めないでくれ」



 もう、エドリックは、戻ってこないんだ。



 互いに慰め合う二人を見ていたら、やっとその事実が腹の底に重く沈むのを感じた。決して消えない錘のように。



 「……わかりました」


 やっと出た声は、震えていた。



 乾いた唇を噛んでから、すっと息を吸い込んだ。

 手でごしごしと乱暴に目を拭いた。


 口を震わせながら、精一杯口角を上げ、笑顔みたいなものをつくった。



「……どうぞ、二人で幸せになってください。これからは、取引先としてお付き合いできれば幸いです」



 私には、私の気持ちより守らなきゃいけないものがある。


 ここでエドリックとの関係を拗らせて、エドリックの実家のマルベルト魔導具商会を敵に回すことだけは、絶対にあってはならなかった。



「マティ。それもできないんだ」



 エドリックのその言葉に、今度は全身の血の気が引いていくのを感じた。


「どういうこと。うちのポーションはマルベルト魔導具商会でも一番の売れ筋でしょ」


 エドリックが足を組み、手を顎に当てた。

 その姿は、どこか誇らしげですらあった。


「それもセレナができるんだよ」


「……え?」


 ――なにを、言っているの?



「実はセレナは教会の聖女候補にまで選ばれたほどの癒しの力の使い手なんだ」


 私は、その言葉にひゅっと息をのんだ。

 心臓がどくりと跳ねた。


 教会の聖女が作る聖水はその効果の高さと神秘性も相まって、一本でうちの商会の回復薬を何十本も買えるほどの値が付く。同じ業界に働く私には、それがよく分かっていた。



「そうだ。せっかくだから、やって見せたら早いんじゃないか? マティにも、君の奇跡を見せてあげてよ」


 エドリックの提案にセレナはにっこりと微笑んだ。


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