第1話 薬花の目
――よし、あと少し。
庭の池に一輪の白い花。
夏の眩しい光を受けて、池の陽蓮華が刻一刻とその蕾を開いていく。
私は庭の芝生に身を伏せて、花に視線を合わせた。
池に映る私の瞳の色が普段の深緑色からペリドットのような金緑に変わる。
花が一瞬だけまばゆく光った。
――今だ!
私は、陽蓮華の茎にハサミを入れて、花を切り落とした。
ちょうどいい八分咲き。
夏の強い日差しの下でしか咲かない花。
この状態が一番質の良い上級ポーションを作るのに最適な状態なのだ。
私は採集したばかりの陽蓮華を水の張った桶に浮かべた。
白い陽蓮華がわずかに発光している。
早く工房に持って行って、調薬してもらわないと。
私は腰に巻いたベルトのハサミ用ホルダーに愛用のハサミをしまった。桶を持って、速足で丘の上の工房を目指した。
「ゴードンおじ! 今年も完璧なの取れたよ!」
工房の中は、夏の暑さと薬花を煮る大鍋の熱で蒸し風呂のようだ。
中では、薬花の仕分け、花びらを萼から取る作業、すり鉢で潰したり、大鍋で煮たりと数人の調薬士が汗を流しながら働いている。
「おう、どれ、見せてくれ」
最近入ってきたばかりの新人に薬花の仕分けを教えていたゴードンおじが仕事の手を止めて、こちらへ駆けてきた。
柳色の作業着の袖をまくり、首には白い手ぬぐい。白髪混じりの黒髪に、黒い髭。祖父の代からうちで働いてくれている一番のベテランで調薬主任でもある。
顔に流れる汗を首にかけた手ぬぐいで拭いてから、桶の陽蓮華をじっくりと品定めする。
「……さすがお嬢だ。こんなにいい状態で採集できるのは、五十年この仕事をしてきて、お嬢だけだ」
「えー、お父さんもやってたじゃん」
私は数年前に病でなくなってしまった父を思い出した。
幼いころは一緒に庭を回って、薬花のことを教えてくれた。
父も私と同じ、見るだけでその薬花にどんな効能があるのか瞬時に見分けることができる能力があった。
「いいや、先代よりお嬢の方がずっと正確だ。これはお世辞じゃない」
ゴードンおじがまた額の汗を拭った。
「よし、じゃあこの陽蓮華は、儂が預かる。最高の上級ポーションに仕上げるから任せてくれ」
「うん。お願いね」
私も首にかけていた手ぬぐいで汗を拭いてから、背中に下がっていた麦わら帽子を被って、また外に出た。
工房の外へ出ると、びゅうっと夏の風が吹きつけた。
薄緑色のワンピースと前にかけたエプロンが風で揺れる。後ろで一本にまとめた三つ編みまで舞い上がった。
麦わら帽子が飛ばないように手で押さえ、少し風が収まってから顎の下で紐を結ぶ。
目の前には、広くてなだらかな斜面に広がる薬花の庭。
風に揺れる白い露光花。
さらさらと流れる小川に、その先には、日陰でしか咲かない火消しリリィを育てるための森も一望できる。
私の実家、ヴェルナ薬花商会はフロムハイム領にあるポーションを生産する商会だ。原料の薬花の栽培と収穫――加工までを一手に取り扱っている。
従業員は三十人ほど。我がヴェルナ家は、平民ではあるが広大な土地を領主に預けられ、フロムハイム領を陰ながら支えている。
「今日も絶好の仕事日和だね」
そして、私、マティ・ヴェルナは、このヴェルナ薬花商会の娘だ。
父が亡くなってから三年。
まだ四歳になったばかりの弟に代わり、商会の仕事はほとんど私が切り盛りしている。
私は風で流れてきた花々の甘い香りを胸いっぱいに吸い込んで、砂利の道を下った。
朝一番の陽蓮華摘みが終わったから、次はおばちゃんたちの手伝いだ。
丸くて白い花弁の露光花が咲き乱れる庭には、もうすでに薬花栽培士のおばちゃんたちがハサミを持って入っていた。自分たちの胸ほどある長い茎をかき分け、花をハサミで摘み、背中の籠に入れていく。
「お疲れ様です」
「おや、お嬢。陽蓮華摘みは終わったのかい?」
作業の手を止め、庭から顔を出したのは、薬花栽培主任のおばちゃん――ヘルカおばちゃんだ。
「うん、さっき終わったとこ。今月の露光花もいいね」
「そうだね。いいポーションができそうだ」
先ほど池で摘んだ陽蓮華と違い、こちらの露光花は低級ポーションや毒消しの材料になる。
四季咲きの花で雪が降る冬以外は一年を通して収穫できるうちの主力商品だ。
今はまさに、低級ポーションを作るための収穫だ。
ふと目をやると、若い栽培士が一人、離れた場所の花を摘もうとしていた。
「あ、そっち日影のはまだ摘まないで。こっちの岩に近いところだけ、今は取ってください」
日影の花は、毒消しを作るのに使った方がいい。それを若い栽培士が摘もうとしていたのだ。
「本当にお嬢の薬花を見分ける目はすごいね。お嬢のおかげでポーションの品質が安定するんだからさ」
「え、あぁ、うん。ありがとう」
薬花は、育つ環境で微妙に効能に差が出るのだ。
同じ陽蓮華でも岩や硬い土に囲まれて育った花は回復の効果が高くなり、日陰で育った花は、解毒の効果が強くなる。
薬花の育て方の知識は、専門的に勉強したら誰でも身に着く知識ではあるが、実際に期待した効果の薬花に育っているかは普通は薬にしてみないと分からない。
だけど、私の「薬花にどんな効能があるのか」が分かる能力のおかげで、そこを正確に判断できるのだ。
効果の出方は、その年の気温や降水量でも変わるから、私の能力が重宝しているというわけだ。
安定した品質のポーションを作るために見極めてから花を摘む。それが私が生まれ育ったヴェルナ薬花商会の創業当初からのモットーなのだ。
だけど、私はおばちゃんの言葉に先週の出来事を思い出していた。
先週、今日と同じように、薬花を摘む順番を指示していたら、婚約者のエドリックに「そんなの誤差の範囲だろ」と、言われたのだ。
なぜか分からないが、最近、エドリックの様子がおかしい。
「お嬢? どうかしたかい?」
私の顔が曇っていたのか、ヘルカおばちゃんが心配そうに顔を覗いていた。
「ううん、ごめんなさい。なんでもないよ」
――考えすぎ、だよね。
私は、雑念を振り払い、露光花に向き直った。
しばらく集中してハサミを入れていると、砂利道を走る馬車の音と馬の嘶きが聞こえた。
「お嬢。エドリックさんがいらっしゃいましたよ」
丘の上、工房と隣接して建つ我が家の前で、若い調薬士が一人、手を振って知らせてくれていた。
「ありがとう! 今行くから、応接室で待ってもらってて」
私はハサミホルダーにハサミをしまった。
「ヘルカおばちゃん、後は頼みます」
ヘルカおばちゃんは、顔を上げてにっこりと笑った。
「いやぁ、あんなに小さかったお嬢も、もう少しで結婚かね。式はやっぱり王都で挙げるのかい? フロルハイムでもやってくれれば、皆で見に行くんだけどね」
「うーん、どうかな」
私は、ヘルカおばちゃんに苦笑いを返した。
たぶんだけど、フロルハイムでも結婚式をしたいだなんて言ったら、エドリックにまたため息を吐かれる気がした。
私とエドリックは生まれた時から婚約者だ。
今は亡き私の父とエドリックの父のマルベルト魔導具商会長が互いの商会の繁栄のためと、私たちの意思なしに決まった結婚だった。
だけど、私はエドリックのことが気に入っていた。
エドリックとは、小さい頃この庭で一緒に走り回って遊んだし、学園に通っていた時は一緒に教科書を並べて勉強をした仲だ。
エドリックは、バターブロンドの髪に綺麗な浅葱色の瞳の美男子だ。
だから、学園でも一緒に並んで歩いていると、他の女子からは嫉妬の目で見られたこともあった。
それでも、エドリックは、いつだって私だけを見てくれた。
私の地味なこげ茶の髪先にキスを落としてくれたし、ペリドットに変わる瞳も綺麗だと褒めてくれた。
学生時代まではだ。
最近、前と違ってどこか冷たくなってしまった彼だけど、できるなら困らせたりせず、以前のように笑い合いたかった。
「……お嬢。やっぱりどこか具合が悪いのかい?」
また変な顔をしていたらしい。
ヘルカおばちゃんを心配させてしまった。
「……なんでもないよ。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
私は露光花の庭を抜けて、丘の上の我が家へ向かって走り出した。
丘の上まで上がると、我が家の木製の塀の向こうに馬車が見えた。
家の前に止まっていた馬車は、いつもエドリックが乗ってくる馬車とは違うものだった。木製の丁寧に磨かれた馬車で、扉には金の見たことのない家紋が刻まれていた。
我が家の玄関から中に入り、すぐ壁に取り付けられたフックに麦わら帽子をかけた。
逸る気持ちを抑えて、エドリックがいる応接室に行く前に寄り道して、洗面所に向かう。
鏡の前で顔を拭き、後ろでまとめていた髪を解いて、ブラシを通す。
軽く顔に白粉を叩いて、紅もさした。
腰のベルトとエプロンも外すと、やっと少しだけましになった。
これで、よし。
こないだ仕事着のままで会ったら、エドリックに嫌がられたのだ。
『はぁ……君は好きな男の前でくらい綺麗にできないのか』
って、怒られちゃったんだよね。
仕方ないじゃん。ドレスで庭に出るわけにもいかないし、化粧をしても汗で落ちちゃうんだから。
私は、エドリックに会えるのが楽しみで応接室へ急いだ。
学生時代のような彼の笑顔が見たかった。
応接室の扉を開けた私は、ぴたりと動けなくなってしまった。
「あぁ、セレナ。君はどこに座っていても綺麗だ」
パウダーブルーのドレスに天使のようなブロンドの女性。
応接室にいた私の婚約者のエドリックは、隣に座る見知らぬ女に笑いかけていた。




