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【連載版】「もう踊る相手もいないな」と婚約破棄されたので、お祖父様を一曲お誘いしました【全5話】  作者: 堀吉 蔵人


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第4話 次のお誘い

 

「こちらへ戻ってきてくださいませ」


 セリーヌに呼ばれ、マリウスは振り向いた。

 彼女は広間の真ん中で、片手を差し出している。戻ろうとして右足を出すと、壁際の舞踊教師が、軽く手を叩いた。


「左からです。その前に、お辞儀を」


 マリウスは足を引っ込めた。

 たった四歩、向こうへ行って戻る。その間にすることが多すぎた。


 事の始まりは、一週間前に見せられた招待状だった。

 セリーヌの叔母が開く夜会で、収穫祝いの組踊りをするという。茶卓を挟んで座っていたセリーヌは、その一行を指で示した。


「今度こそ、ご一緒したいですわ」


 ロシュ伯爵家で踊り損ねた曲のことは、彼も覚えていた。彼女が誘ってほしいと言っていたのに、結局、あの組踊りには付き合わずに終わったのだ。


「普通の舞曲なら、何曲でも付き合うよ」

「そちらも楽しみです。でも、この踊りもしたいんです」


 薄い紙の上に、細い指が置かれたままだった。

 マリウスは紅茶を飲んだ。彼女が次の話へ移る様子はない。


「……あまり慣れていないんだ」

「では、少し練習しませんか。私も、後半はよく間違えるので」


 そうして彼は、彼女の家の広間に来ることになった。

 セリーヌの母は窓際で針仕事をしている。ときどき顔を上げるので、足がもつれるたびに、マリウスは襟元を直した。


「今度は私の方を見て、戻ってきてください」


 セリーヌがもう一度、手を差し出した。

 田舎臭い踊りだと思っていた。決まった足運びを繰り返して、大勢でにぎやかに回るだけだと。

 ところが、向かいの相手へ手を出したあとは元の相手へ戻り、列の外側を通り、また向きを変える。見ているときには気にもしなかった順番が、踊る側になると一つずつ行く手を塞いだ。


「ここで回るのだったね」

「回るのは、次ですわ」


 差し出した手を取られる前に、マリウスだけが半回転した。

 背中の方で、セリーヌが小さく笑った。


「まだこちらにおります」

「分かっている」


 言ってから、振り向かなければ顔も見えないことに気づいた。

 向き直ると、彼女は笑いを収めようとして、唇を結んでいた。けれど彼の顔を見ると、また肩が揺れた。


「少し待ってくれ。最初から確かめたい」

「はい。何度でも」


 快く返された言葉に、マリウスは教師の方を見た。

 教師も、当然のようにうなずいていた。


 * * *


 夜会の日、マリウスは馬車の中で膝を四度叩いてから降りた。

 二度目の稽古では、最後まで間違えずに踊れた。もっとも、稽古を受けていたのは彼とセリーヌだけだったので、相手を替えるところは教師の手を借りた。

 今夜は、そこに本当の相手がいる。

 広間へ入ると、セリーヌが母の隣から彼を見つけた。袖口に小さな花を飾った、淡い黄色のドレスを着ている。


「お待ちしておりました」


 近づいてきた彼女の足元を、つい見てしまった。

 稽古のときには、ドレスの裾を少し持ち上げてもらっていた。今夜はそういうわけにもいかない。


「どうかなさいました?」

「いや。よく似合っている」


 靴のことを考えていたのは黙っておいた。

 セリーヌは頬を緩め、花のついた袖を少し持ち上げた。


「踊っても邪魔にならないように、ここへつけていただいたんです」


 その準備のよさを聞くと、帰ってもう一度練習したくなった。


 初めの二曲は、よく知っている舞曲だった。

 セリーヌは彼の手を取り、無理なく歩幅を合わせた。こうしている間は、足元を見ずに話もできる。彼が母の育てている薔薇の話をすると、今度見せてほしいと笑った。

 その約束をしているうちに、楽団が位置を変えた。


「次ですわ」


 彼女の声が、少し弾んだ。

 マリウスは手袋の指先を引き、彼女へ手を差し出した。


「では、一曲」

「はい」


 返事はすぐだった。


 四組で列を作り、お辞儀をする。

 向かいへ四歩。手を取り、場所を替える。相手の婦人が軽くうなずいたので、マリウスも頭を下げた。

 セリーヌのところへ戻ると、彼女の方から手が伸びてきた。


「合っていますわ」

「そのくらいは覚えたよ」


 少し胸を張ったところで、もう次の組が動き始めていた。

 マリウスは慌てて足を出した。


 稽古と違って、音楽は彼を待ってくれない。

 考えている間にも列が進み、差し出された手を取れば、次の場所へ連れていかれる。間違える暇がないというのも、案外助かるものだった。

 ただし、足を上げる回数まで減るわけではなかった。

 半分ほど踊ったところで、ふくらはぎが張り始めた。上着の背中が暑い。セリーヌはまだ、曲に合わせて軽く体を揺らしている。


「ここから速くなるのだったか」

「ええ。次は、私と回るところです」


 それなら覚えている。

 彼女の手を取って回ると、黄色い裾がふわりと広がった。袖口の花も揺れる。セリーヌはそれを見下ろしてから、彼を見て笑った。


「きれいに回れましたね」


 彼はうなずいた。

 返事をするより先に息を吸いたかったが、それだけのせいでもなかった。

 稽古のとき、彼女はここが好きだと言っていた。ようやく、どんな顔をするところなのか見られたのだ。


 最後のお辞儀を済ませると、マリウスは膝を伸ばした。

 楽団への拍手が起こる。セリーヌも手を叩き、それから彼へ向き直った。


「楽しかったですわ。ご一緒できて嬉しい」

「……それは、よかった」


 もう少し気の利いた返事をしたかったが、息が続かなかった。

 彼女は彼の額を見て、扇を開いた。


「お座りになりませんか。私も喉が渇きました」


 マリウスは、今夜聞いた中で一番ありがたい申し出にうなずいた。


 * * *


 椅子へ腰を下ろすと、靴の中で足の指が縮こまっていた。

 そっと伸ばしている間に、セリーヌが給仕から受け取ったグラスを差し出した。水に柑橘の香りがついている。


「ゆっくり召し上がってくださいね」


 彼女も隣に座り、一口飲んだ。

 楽団は次の曲を始めている。それでも立とうとはせず、膝の上で扇を閉じた。


「二度も練習に来てくださって、ありがとうございました」

「覚えないまま出るわけにはいかなかったからね」

「私、あの広間で踊ったのも楽しかったんです。お母様が途中から針仕事をやめて、見ていらしたでしょう」


 それには気づいていた。とてもよく気づいていた。

 マリウスはグラスを持ち直した。


「次は、もう少し上手にできる」


 セリーヌの顔が明るくなった。


「でしたら、来月もご一緒してくださいませ。叔母様が、昼間にもこういう集まりをなさるそうです」


 来月。

 それだけ間があれば、足も休まる。


「それなら、私も予定を空けておこう」

「嬉しい。今度は違う組踊りも教えてくださるんですって」


 彼は飲みかけのグラスを下ろした。


「違う踊り?」

「ええ。最後に二列が向かい合うそうです。ご存じですか?」


 知らない、と答えるのに、少し時間がかかった。

 セリーヌは彼の返事を待ち、無理はなさらずに、と言いかけた。その袖口で花が揺れた。

 マリウスはグラスを卓に置いた。


「また、少し練習すればいい」

「ご一緒に?」

「ああ」


 彼女は母のいる方を見てから、彼に顔を寄せた。


「では、四日後の午後はいかがでしょう。お母様もいらっしゃいますし、先生も来てくださる日なので」


 ずいぶん早い。

 そう思ったが、笑って待っている顔に、もううなずいていた。


 帰りの馬車に乗るとき、マリウスはいつもより慎重に踏み台へ足をかけた。

 別れの挨拶をする間は、背筋を伸ばしていられた。馬車の扉が閉まると、座席へ深く腰を下ろす。

 来月の予定を空けただけのつもりが、四日後にも約束ができていた。

 窓の外で、セリーヌが小さく手を振った。彼も手を上げると、彼女は嬉しそうに笑った。

 馬車が動き出す。

 マリウスは膝の上で、指を一本ずつ折った。明日、その次、そのまた次。

 四日目には、また左から踏み出さなくてはならない。

 座席の下で足を伸ばし、彼は小さく息をついた。


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